(優雅な単車・デオ700系@宝ヶ池駅)
宝ヶ池の叡山本線ホームに到着するデオ700系723号車。デオ700系は、叡山電車の体質改善を目指して昭和の末期に導入された両運転台型の単車ですが、当時の叡電の厳しい財政状況を背景にしてか完全新造とはせず、それまで使用していた旧型車群の機器を流用し、ボディだけを武庫川車両工業で載せ替えて作られました。既に製造して30年を経過している車両ではありますが、近年リニューアルを施し内外装を一新。行き先表示がLEDになったり、塗装も古都を意識したクラシカルで雅なものにお色直しをされています。この723号車は、古都・洛北の山紫水明なイメージを取り込んだ青に近いパープル。光の加減によっていろいろな色に見えますけどね。
出町柳から八瀬比叡山口へ。そして、比叡山ケーブルに繋がりロープウェイへ。比叡山を縦走するルートの一部を構成する叡山本線ですから、たった1両では観光シーズンの京都ではその輸送力が懸念されるところではあります。デオ700の単行は約90人の定員ですから、大型の路線バスより若干多い程度。出町柳の駅のターミナルとしての大きさを考えると、16m車の単行を突っ込むのが一杯というスペースのなさなので、日中は15分に1本の頻繁運転で観光客を捌くことになります。
宝ヶ池で鞍馬線を分けた叡山本線は、三宅八幡を経て終点の八瀬比叡山口駅へ。以前は「八瀬遊園」という名前で駅に隣接する遊園地があり、夏に開かれる「八瀬グランドプール」を中心に賑わいを見せましたが、かつての経営母体であった京福電鉄の収益悪化に伴い2001年に閉園となっています。この「電鉄系レジャー施設」というものは、かつての私鉄運営の基本ともいうべきものでしたが、関西でいえば近鉄のあやめ池遊園、南海のさやま遊園やみさき公園、阪急の宝塚ファミリーランド、阪神の阪神パーク、平成時代にみーんななくなってしまいました。関西の電鉄系遊園地で元気なのって京阪の「ひらパー!」ことひらかたパークくらいなもんですよね。関東でも東急の二子玉川園、京成の谷津遊園、小田急向ヶ丘遊園、西武のとしまえん、京急だと油壷マリンパーク・・・はそれほど大きな施設じゃなかったけど、いずれも現存しません。
まあそれにしても、この叡山本線の八瀬比叡山口駅の造形の鮮やかさには目を奪われます。駅全体が木造の大屋根で覆われているのだけど、リベット打ちの鉄骨で組み上げられた柱と、屋根を支える細やかな骨組みと、それらを束ねる弓なりのアーチ型をした横梁が描き出す見事な幾何学模様は、駅舎としての「美」に溢れている。ただ駅の上に大屋根を組んだだけではなく、よく見るとホーム部分と線路部分を境に大屋根は二段構えになっていて、その間に明かり取りの窓を挟んでいるのがなんとも洒落ている。この効果で大屋根の下が暗くならずに済んでいるのだが、また粋なデザインだなあと。自分もそこそこ各地の「駅」というものを見て歩いている方だとは思うのだけど、五本の指に残るくらいの「魅せる」駅だと思う。秋本番になると駅の周囲は紅葉に包まれ、それもまた素晴らしい風景なんだそうだ。
秋の爽やかな風が吹き抜ける、山の小さなターミナル。この駅が建造されたのは大正14年(1925年)のこと。元々、現在の叡山電鉄本線を敷設したのは京都電燈という電力会社ですが、京都電燈は蹴上の水力発電所で発電される電力の供給を受け、文明開化の波に乗って京都市街の近代化を押し進めた会社でもあります。当時の電力会社というものは、基本的に西洋の思想を取り入れたハイカラな会社だったでしょうから、このようなヨーロッパのターミナルを思わせるような駅が出来るのもむべなるかな、といった感じを覚える。八瀬で有名なのは、紅葉がお堂の磨き抜かれた板張りの床に鏡のように映り込む「光明寺瑠璃光院」ですけども、JR東海のCMで火が付いてから、秋のシーズンは見学自体がプラチナチケットと化しているそうです。あまりにも有名になり過ぎたせいで現在公開は期間限定の完全予約制。自由見学は受け付けておらず、しかも夜の特別公開についてはJR東海ツアーズの期間限定のオプショナルツアーに参加しないと見ることが出来ないらしい。お金を払って「映える」風景を体験するのもいいんですけど、電車賃だけで眺めることが出来る最寄り駅の造形美も、なかなかのものがあると教えてあげたいですねえ・・・
すっかり八瀬比叡山口駅の雰囲気に魅せられてしまったので、すぐに立ち去るのは勿体ないなあ・・・と思い、ベンチに腰を下ろしてこの駅のありようにどっぷりと浸って過ごす小一時間。大屋根のターミナルに単車のデオが着くと、駅を守る老駅員が、律儀に比叡山へ向かう乗客を出迎えます。