(画像:モーニングフライト)
ほいじゃあぼちぼちと今回の宮崎旅行に付いて触れて行きたいと思いますが、
なかなかゆっくりと書いていく時間もないので上手く伝わりますかどうか(笑)。
今回はやたらと朝早くて安い便を取ってしまったせいで4時起き。もちろん始発ですら間に合わないので羽田までは車で。
川崎の浮島にある民間パーキングから送迎して貰ったんだが、飛行機を安くしても二泊三日で5,000円取られてちゃ本末転倒だなと。
まあ今回スーツケースとか色々荷物が多かったんで帰りとか楽っちゃ楽でしたが。
宮崎までは約2時間弱のフライト。
飛行機は久々だったが、そのせいか妙に緊張してしまい自らの肝の小ささを露呈w
スカイネットアジアって初めて使ったけど、機体が古くて小さいのが安さの秘密なんだろうなあ。
気持ちを鎮めるために音楽でも聞こうかと思ったらイヤホンとかもないし(笑)。
どこぞのお古の飛行機は、左に青島を見ながらやたらと機体をフラフラさせつつ宮崎空港に着陸。
飛行機の外に出た瞬間、明らかに関東とは違う空気のむわっと感に南国を感じます。
予約してあったレンタカー屋で手続き。今回はトヨタのヴィッツでした。
宮崎インターに向かう道すがらのフェニックスの並木がいかにも宮崎!だね。
今日は宮崎市街には用はないので、早速宮崎自動車道に乗りえびの市方面を目指す。
宮崎から都城へ、左に霞んだ霧島連山を見ながら高原、小林、えびの。
約100kmなんだが車の数が圧倒的に少なくてストレスフリー。
そう言えばミンスの施策により宮崎~えびの間は無料になるらしいな。
俺が来るまでにやっとけっつ~の(傲慢)。
今日はまず肥薩線の「いさぶろう・しんぺい」号に乗るため吉松駅までやって来た。
えびのは宮崎県だけど、吉松駅は微妙に鹿児島県に入ります。
旧鹿児島本線であった肥薩線と、旧日豊本線であった吉都線の接続駅。
いかにもな国鉄風味の駅舎、広い構内には昔は機関区もあったそうで、鉄道の街として栄えた日々を偲ばせます。
明治後期に官営鉄道として肥薩線が全通してから約100年余。
住民のみならずお国の悲願であったはずの鉄道は、今や地方に行けば行くほど車社会な現実に利用する人の数は減り続けている。
それでも熊本~八代~人吉には「SL人吉」、人吉~吉松には「いさぶろう・しんぺい」、吉松~鹿児島には「特急はやとの風」と、
いずれも特別な車両をあつらえたJR九州の姿勢は素晴らしいんじゃあないですかね。
今はローカル線の肥薩線ですが、かつては南九州へのエース路線として明治から培われた歴史がある訳です。
その魅力に気付き、掘り起こし、観光ルートとして整備した訳だ。
まあ、鹿児島からは便利な九州新幹線でお帰り下さい!って事でしょうが(笑)。
吉松駅の駅前には、小さいながらも鉄道資料館なんかもあって整備されております。
そしてお隣りは軽食や喫茶、お土産なんかを扱うSL会館と肥薩線で活躍していたC55。
帰りに寄って行こうっと。
吉松駅で並んだ「はやとの風2号」&「しんぺい2号」。
ホームには今時珍しい立ち売りの駅弁おじさんもいたりします。
なんでも肥薩線を観光路線にするために、廃止された駅弁売りを復活させたんだとか。
徹底的に「鉄道のよき時代」にこだわった、これも一つのアトラクションなんでしょう。
「いさぶろう・しんぺい号」に使用される車両は非電化ローカル線の雄キハ48を改造したキハ140型。
漆を思わせるえび茶色のボディに、渋焦げ色の木目も落ち着いた内装。
車体中央に大きな展望窓付きのフリースペースを配し、車窓風景を存分に楽しめる作りになっている。
ワンマン運転ではありますが、道中の案内役として女性アテンダントも二名乗車。
行く先々で説明を加えてくれます。
平日ではありましたが、折しも近所の幼稚園の遠足にぶつかり車内は満席。
人吉まで行くらしいが、思えばすごく贅沢な遠足だな(笑)。
心なしか新幹線がプリントされたリュックサックを持った子が多いようなw
肥後と薩摩の分水嶺は、古くから「矢岳越え」と言われた肥薩線の難所でありました。
古くはSLが、特急おおよどが、急行えびのが南九州を目指して越えた山々を、
昔日の面影を辿りながらゆったりゆっくりと人吉までの旅は一時間強。
出発はちょうど昼前、立ち売りのおじさんから駅弁を一つ購入。
「しんぺい2号」が鉄道の街・吉松駅を出発します。