(画像:愉悦の時間)
肥薩線の「山線」と言われる吉松~人吉間のガイドを肴に。
あ、一応レンタカーなんでアルコールは飲めませんけど…
車内販売のビール、飲みたかったなあ(笑)。
平日の昼間って、むしょうに飲みたくなりません?
肥薩線山線区間にはいくつものハイライトがありますが、
その最たるものは「日本三大車窓」と言われる矢岳越えの展望の良さでしょう。
日本三大車窓と言えば北海道の狩勝峠、長野の姨捨、そしてこの矢岳越えなんですが、
一応狩勝峠も見た事あるし、姨捨には何回も行ってるしで、これでフルコンプとなる訳です。
真幸駅を出てから勾配はさらに厳しさを増し、1000分の30をフルパワーで登り詰める「しんぺい2号」。
後平、中竹、踵蔓(かがつる)の三つのトンネルを抜けると、矢岳山の南側中腹に登りストレートが開けて、そこが展望地。
これが(私的には)最後の日本三大車窓、矢岳越えの景観です。
列車はこの展望地で一時停止。
♪肥後と日向の境なる 矢岳トンネル出でこれば
雲居に望む霧島の 峰は神代のままにして
(鉄道唱歌51番)
眼下に広がるえびの盆地、盆地をたゆたう川内川。
向正面には左から高千穂峰、新燃岳、韓国岳の霧島連山!
…と、大仰には語ってみたものの、やっぱ展望モノって天気次第の採点競技ですよねw
韓国岳が見えるから、GOEは高いはずなんだけど(笑)。
曇天なら曇天でしょうがないんだけど、春霞と言うか空気もモヤっぽいしね。
若干視界の中で樹木がうざったいのだが、恐らく「日本三大」に選ばれた頃と比べて木が伸びてるんじゃないかなあと。
ま、それでも広がりのある風景である事には間違いはない訳ですけど。
晴れた日には右手奥に桜島、空気が澄めば開聞岳まで見える天下睥睨の地なんだって。
これは晴れの日にもう一度真価を問いたいところですねえ。
いつ来るんだかわからんがw
日本三大車窓を眺め、列車は矢岳越えのサミットを為す「矢岳第一トンネル(全長2096.17m)」に入る。
(写真は人吉側坑口)
ドラクエのお城を思わせる立派なレンガアーチの坑門を持つこのトンネルは、肥薩線の全通と同じ明治42年に開通した訳ですが、
明治の時代に2000m級のトンネルを開通させるのって結構凄い事ですよね。
このトンネルにより、青森から鹿児島までの鉄道網(関門海峡は航路)が完成の運びを見るんですが、
そう言う意味でもこのトンネルのもたらすものは大きく、当時の最新技術を投入し国策に近い形で建設が進められたそうな。
トンネルの坑口には双方とも扁額が掲げられていて、
人吉側には着工時の逓信大臣・山縣伊三郎の揮毫による
「天嶮若夷」
(てんけんじゃくい…天下の難所を平地のように越える事が出来る)
吉松側には完工時の鉄道院総裁・後藤新平の揮毫による
「引重到遠」
(いんじゅうちえん…重い荷物でも、列車で引いて遠くへ運ぶ事が出来る)
と言う明治の偉人の熱いメッセージが彫り込まれているのである。
で、その矢岳第一トンネルに掲げられた扁額。
山縣伊三郎の扁額に向かって(=吉松方面)走るのが「いさぶろう号」
後藤新平の扁額に向かって(=人吉方面)走るのが「しんぺい号」
と言うこの区間を走る列車のネーミングの由来なんでありますね。
改めてこれはよく考えられた名前だなあと感じ入った次第。
「本当に鉄道が好きな人」じゃなきゃ付けられない名前だと思うんだが。
これで下手に一般公募なんかしたら「西郷どん号」と「お龍さん号」程度で終わっちゃったような気がするんだがねえ(笑)。
矢岳第一トンネルにて肥後の国に入り、最初の駅である矢岳駅に到着。
ここは標高536.9mと肥薩線の駅の中では一番標高の高い場所にある。
吉松駅が標高210mくらいだから、かなり登って来ました。
日本三大車窓を見てから熊本側に戻ると、何ともひっそりした谷のどん詰まりにあるような駅だが、
昭和30年代頃は、付近の山から伐採された木材の集積地として賑わったらしい。
その昔日の栄華を知る渋い風合いの駅舎は、今は山あいのひっそり感を身に纏い実にいい感じだ。
矢岳駅でも停車時間を取って、ホームの脇にある「人吉市SL展示館」を見学させてくれる。
アテンダントの二人も下車し、乗客の記念撮影のリクエストに順番に応じている。
駅舎のベンチに腰掛ける人、山間の空気を吸ってタバコに火を付ける人、それぞれのフリータイム。
以前はここには2台のSLが保存されていたそうだが、今はD51170号機が1台のみで静かに余生を送っている。
重油併用の燃焼装置と帽子のような特殊な集煙装置を装備した肥薩山線仕様。
恐らくSL全盛時にはバリバリの現役世代であったであろう老夫婦が、懐かしそうにSLを眺めていた。
隣にいたSLは通称「ハチロク」と呼ばれた8620型58654号。
今は「SL人吉」の先頭に立ち、今年も3月6日より肥薩の川線を元気に走っています。