(画像:きょうはえんそく)
吉松駅から乗り合わせた遠足の幼稚園児御一行様。
撮って撮って!とせがまれたので一枚。
最近は肖像権だとか個人情報だとかうるさいんで一定の配慮をw
いい笑顔だったんで普通に乗せたいんだけどねえ。
正直どこの幼稚園の子か分からんのだが、希望すればプリントして送ります(笑)。
矢岳第一トンネルの人吉側坑口が山線のサミット。
サミットを抜けて一転下り勾配になった列車は、春の香りほのかな雑木林の中を快走。
エンジンの音も、ジョイントを叩く音もリズミカルに滑って行きます。
付近は大野渓谷と言う人吉の紅葉の景勝地だそうだが、車窓からは見えず。
大野第四、第三、第二、第一と四つの連続トンネルを逆順でくぐり抜けると、
列車は次の大畑駅を俯瞰するポイントで停車しました。
目指す大畑駅はループ線の途中にあるスイッチバック駅。
「ループ線+スイッチバック」と言う鉄道の希少要素を贅沢に二つも持っている、全国唯一の駅でもあります。
この俯瞰位置は、ちょうどループの輪っかの交差点付近に当たるのかな。
国土地理院の2万5千分の1地形図を見ると、ループ線の構造がお分かり頂けるかと。
と同時に、この地形図だけでご飯3杯くらい行けると思うんですがどうでしょうか(笑)。
山腹に付けられた大築堤のループ線を、ぐんぐんと右カーブして大畑駅へ降りて行く。
地図で見るとループ線の交点で上が標高335m、下が標高285m程度かな。
旋回一発で約50mの高度を稼ぐ訳だ。
前方に見える大谷トンネルを出ると、まずは大畑駅の引き上げ線に入り、そこから後進して大畑駅に入って行く。
駅への進入は、進行方向と逆向きになる訳だね。
駅のホームから見た、大畑駅のスイッチバック配線。
同じスイッチバック駅でも篠ノ井線の姨捨駅みたいに通過線を備えてはおらず、
この駅はどの列車も一回は引き上げ線と大畑駅のホームに入らなくてはならない。
山中の平地部分を切り開いて作った駅ですから、通過線を作るスペースがなかったんでしょうねえ。
列車は次の人吉まで向かうのだが、大畑駅で列車を降りる。
人吉の折り返し時間があまりなかったんで、一個前の大畑駅で降りて返しの「いさぶろう4号」を迎え撃とうと言う訳だ。
これなら、この駅で昼食を兼ねて約50分の滞在時間が持てる。
この駅でも停車時間を取って見学タイムはあるのだが、自分は荷物をまとめて園児とお別れ。
「しんぺい2号」が大畑駅を離れ、ループの残り半周を人吉に向けて下る。
肥薩線・大畑駅。
ここまでの真幸駅も矢岳駅も木造平屋の激シブな駅舎ではありましたが、ここもご多分に漏れず。
この駅の標高は294m、矢岳駅からは180mほど下って来た事になる。
駅舎の中は閉じられた改札口があり、待合室の部分には夥しい数の名刺が張ってある。
この駅を訪れた人が残して行ったものらしいが、なんか旧広尾線の幸福駅みたいだね。
ホームには「蓮華水盤」と呼ばれる噴水状の手水鉢があり、
蒸気の時代は人吉からあえぎあえぎ登って来た機関士や乗客が、煤落としと喉の渇きを癒していた。
離れた場所の山の湧水を引いたこの手水鉢。
開業当時は「九州一の洗面器」と新聞に紹介され、肥薩線の名物の一つだったそうだ。
人もそうだが、蒸気機関車にとっても水は大事なもの。
人吉で溢れんばかりに給水しても、断続的な登り勾配で大量の水と石炭を消費した機関車は、ここ大畑で再度給水を行う必要があった。
この石造りの塔は当時の給水施設の土台部分で、この上に鉄製の巨大タンクを置いて機関車に給水を行っていたそうだ。
一説によると矢岳越え一回で約1トンの石炭を消費したらしいのだが、凄い量だよな。
人吉~吉松の肥薩山線部分は、連続勾配と断続的なトンネルが続き、苛酷な運行を強いられる区間。
この区間を受け持った人吉機関区の中でも、山線は腕利きのベテラン、俗に「甲組」と呼ばれるエリート機関士達が担当しており、
機関区の中でも一番いい蒸気機関車と一番いい石炭が与えられていたそうだ。時間はお昼を少し過ぎた頃合い。
吉松駅前「たまり」謹製の駅弁で昼食。
時刻表にも載ってますが、正式名称が「御弁当」と言う駅弁です(笑)。
何の飾り気もない幕の内風の弁当ですがね。
味付けのやたらと甘じょっぱいのが九州風味です。弁当も食い終わり、駅のベンチに腰掛けつつホームの手水鉢を眺めて過ごす。
線路脇には菜の花もポツリポツリ咲き始め、南九州にもそろそろ春の気配。
大畑駅のホームの脇には桜の古木が並んでおり、あとひと月もしないうちに花見の駅となりましょう。春の山を渡るぬるい空気にうらうらとしていると、あっという間に帰りの時間。
キハのエンジン音が人吉方から聞こえて、手水鉢のホームに「いさぶろう4号」が入って来ました。