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(思い出を在りし日のままに@新潟交通モハ11)
新潟に115系を追い掛けて…と見せかけて、こっちの方まで来たのなら行ってみたい場所がありました。新潟交通電車線・月潟駅。昭和初期から平成11年(1999年)まで、66年間に亘り越後平野を走り続けた車両たちが、ここ旧月潟村の中心地にあった月潟駅の駅舎とともに保存されています。そのカラーリングから「かぼちゃ電車」と言われた新潟交通の電車たち。個人的にも、「乗ろうと思えば乗れたのに何で乗っておかなかったんだ」ランキング上位の鉄道だっただけに、失われた時間を取り戻しに来た思いもあります。そんなこんなでお目にかかった新潟交通の保存車両は、改めて見ると色遣いが凄く昭和で素敵としか言いようがなくて、あーやっぱり現役当時に乗りに来ればよかったな、と蒸し返すように後悔の感情が持ち上がってしまうよね。
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廃線までの新潟交通電車線の主力を務めたモハ10形は、設備更新のために木造の旧型車両から機器をひっぺがして、「日車型標準車体」と言われた中小ローカル線向けの汎用車体を載せた車両です。そのため、車体だけを見れば製造年が昭和41年ですからそんなに古い車両ではなかったんですね。見てくれは同じでも形式は様々で、製造時期や流用機器の違いによりモハ10形の他に18、19、20、24形などの異形式が在籍していました。県庁前から東関屋までの路面区間を走行するため、大きな排障器が付けられている辺りは福鉄の200型なんかと共通する思想がある感じ。
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この日は保存会の方々によって車内も開放されていました。車内に漂う旧型車両に特有の体臭のような香りを、天井の扇風機が優しくかき混ぜていました。足元のヒーターの吹き出し口や、本当に網で出来た網棚の質感。運転台に取り付けられた大きなハンドブレーキ。廃線から既に20年弱を数える新潟交通ですが、改めて20年前と言っても全線廃線は平成11年なんで、乗ろうと思えば乗れたんですよねえ。確か車で東関屋の駅の近くを通った時にちらっと見たか見ないかくらいで…近くの新潟競馬とか三条競馬には行ってたんだけどねえ。ってか三条競馬どころか新潟県競馬もとっくになくなっちゃってますけど。
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車内の細かなアイテムをつぶさに見て行くと、この時代の鉄道車両は掲示物の書き文字に独特の優しさがありますよね。これだと、特に「紐」という漢字の上手な崩し方に優しさがある。そして車内に「貸傘」のシステムがあるというのも優しい。傘を持たずに新潟の街へ出て、雨に降られた乗客には嬉しいサービスではなかったか。「次回返してね」と書いてあるけど、ちゃんと傘は返って来ていたのだろうか。
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月潟駅に憩う新潟交通モハ11。日車標準型らしいシンプルなデザインでつぶらな尾灯のその表情は、何となくカエルを思わせるところがありまして愛らしい。新潟交通と言えば、新潟市域を中心に県内トップのシェアを誇るバス会社ですが、その社紋には今でも鉄道のレールとバスのハンドルがあしらわれていて、鉄道事業とバス事業を両輪とした会社であった事を今に伝えています。
しかしまあこんな車両が21世紀の寸前まで単行で新潟の郊外をのんびり走っていたというのだから、何度も言うけどやっぱ乗りに来とけば良かったよね(笑)。後悔先に立たずとはよく言ったもんだが、この趣味をしていると実にその言葉が必要になるシーンが多いように思う。越後平野の片隅で過ぎし日に思いを馳せる、パンプキンノスタルジア。