(スイッチバックの駅@上市駅)
岩峅寺からかぼちゃ60形に乗車し、電鉄富山まで乗ってこうかな・・・なんて思っていたら寺田で本線を純生カンなし雷鳥カラー60形(14763-74)が下って来たので慌てて乗り換え。上市まで乗ってみました。上市は小田急線で言うところの藤沢のような平地のスイッチバック駅ですから、各列車は到着すると運転士氏が運転台を移動します。元々は違う会社の2路線がくっついたのでこういう面倒な線形になっているのですが、地鉄のダイヤとしても境界駅になっていて、上市から先は運転本数もガクッと減ります。
土曜日だったこの日、朝の地鉄の乗客の主役の高校生たちが改札に消えていくのを見送る。時節柄、上市駅の通路に飾られた植木鉢の花。上市高校の生徒から送られた、沿線の高校生に贈られた卒業の餞。サイネリアという花らしい。窓ガラスの向こうに静かに佇む60形も、この40年間であまたの高校生の通学の足となったはずです。新車の60形に乗って通学していたあの頃の高校生たちも、思えばもう古希を迎えようとする歳になっているのですね。
乗って来た宇奈月温泉行が、滑川方面からやって来た電鉄富山行きと交換。こちらも雷鳥カラーの60形(14771-72)という事で、進入時に前パン側が並びました。60形は上市・立山側が前パンですから、これは60形ファンにとってはご馳走モノのシーン。これを見に来た(2回目)。14772に付いている丸カンには、上市町のゆるキャラ「つるぎくん」が描かれています。緊急事態宣言以降、地鉄は特急カンを付けるのを止めてしまっているので、せめてゆるキャラのカンくらいは付けとこうという事なんでしょうか。
朝の電鉄富山行きという事で、市街へ出掛けるお客さんが目立つ上市駅。土日はサイクルトレインとして電車への自転車の持ち込みも可能です。部活の高校生っぽいけど、家から駅までチャリンコ・電車に乗って駅から学校までチャリンコというのはなかなか便利そう。運転台の後ろが広くスペースが開いているので、そこに乗せるんでしょうね。
上下の電車が去った後、私だけが上市駅に残されました。広い待合室に並べられたベンチだけが物憂げにその所在を主張しております。ここ上市に工場を持つ「日本海みそ」の大きな電飾看板が上市駅のシンボル。上市駅は元々はショッピングセンターの入っていた大きなビルでしたが、今はそのテナントのほとんどが撤退。既に上市町内の商業施設は南側の県道周辺に移っており、相当量のスペースを持て余しまくっているような感じで、侘しいものがあります。
鉄道利用とショッピングの結びつき。それこそ昭和の時代の大手私鉄の百貨店建設と似たようなメソッドでの鉄道需要創出を意図してのものでしょうが、同様の意図で作られた旧・電鉄魚津駅(電鉄魚津ステーションデパート)も既になく、ここ上市駅も裏口側の寂れっぷりは特に濃いものが。僅かながらの蛍光灯で照らされた薄暗い廊下に、「93年度(平成5年)」のシールが貼られたまま閉じられたゲームセンターが残置されていた。中にバーチャファイターとかありそう・・・
真正面の姿はWikipediaでも調べれば出て来るので、あえて上市駅の西出口の姿を。ここが駅の入口と言われても99%の人が納得しないだろうな、という様相で、路地裏にある閉まった雑居ビルの一角にしか見えない。これでも一日に2,000人の乗降客がある地鉄の主管駅ではあるのだけど・・・今となっては駅舎を大きく作りすぎてしまったが故に、インフラの維持もダウンサイジングも費用が掛かって手が付けられないという事なのか。件の電鉄黒部ステーションデパートは、ホームが3階にあってエレベーターもないというバリアフリーもへったくれもない構造だったので、魚津市の都市計画の中で取り壊されてしまった。今思えば、あの建物を撮影出来たのは趣味的には良かったなあと思ってしまうのだけども・・・
地方鉄道の多くが、昭和の投資で平成は何とか切り抜けたけど、果たして今後は、というインフラの問題が強くのしかかっている現状にあります。確かに地鉄沿線、「風情ある駅舎」と「老朽化した設備」が紙一重になっている部分が多くて、我々のような門外漢は前者を好意的に捉えて表現したがるけど、身近な利用者や当事者にしてみれば圧倒的に後者が問題だと思っている事は想像に難くない。そこらへんが都市と地方の格差でもあるし、ただの通りすがりとそこに生活する人には圧倒的な齟齬があることは自覚しないといけないのだと感じます。