(広い構内、貨物の面影@下仁田駅遠望)
西上州の鏑川沿いの段丘上の平地を走って来た上信電鉄は千平から山峡に入り、白山神社の山裾を小さなトンネルで抜けると、下仁田の小盆地に入って終着駅・下仁田に至る。ここから先に鉄道を通すのは難しいな、という感じで駅の向こうには山が迫り、そしてその向こうには妙義荒船に続く奇岩錚々たる山並みが続いている。下仁田駅の構内を見渡す四種踏切から駅を眺めると、いつも「山のあなたの空遠く・・・」なんてカール・ブッセの詩なんぞを諳んじてみたくなるのだが、明治の時代に、上野鉄道が下仁田まで鉄路を敷いた時代には、この先の内山峠を越えて佐久に至る計画があり。さすがに碓氷峠を超える高さの山並みを貫き鉄路を穿つような工事は夢物語ではあったのですが。上信電鉄という社名に、「山のあなた」にあったはずの夢だけを残して現在に至ります。
下仁田の街。全国に名前の知れ渡った、下仁田ねぎとコンニャクの街。その発展は古く、農産物や石灰石を中心とした鉱物、そして富岡製糸場のために盛んとなった養蚕など多種多様な第一次産業で栄えた街でもあります。街のあちらこちらに「古くから栄えた街」の名残りが見受けられ、駅のすぐ近くを少し歩くだけでもレンガ造りの立派な農業倉庫があったり、昔懐かしのホーロー看板があったりといわゆる「絵になる」街並みが続いています。
今は保線用のバラストの積み込み場所となった旧貨物ホームより。青倉石灰という会社が、この貨物ホームから平成の中頃まで石灰石の積み出しを行っていました。上信電鉄のご本尊様的な存在であったドイツ・シーメンス社製の古典電機デキ1・デキ2が、無蓋車に白く積まれた石灰石の貨車を牽いて、週2~3回の運行をしていたそうな。古い鉄道雑誌なんか見るとその当時の写真が載っていたのだが、黒塗りの小さな凸型デキが平日の昼間にのんびりと貨車を入れ替える風景が見られたらしくて、まあその当時はおそらく誰も気にしちゃいなかったんだろうけど、豊かな鉄道情景だったんだろうなあと思いますよね。
「ねぎとこんにゃく 下仁田名産」。上州かるたの一枚ですね。よく覚えておいてください。テストに出ますよ。ってか、上信電鉄の昔っからの古めの駅って、必ず待合室に上州かるたが飾ってありますよね。鉄道写真で訪れるだけでなく、街歩きや食べ歩きなんかも楽しそうな雰囲気がある下仁田の街。駅前の老舗旅館「常盤館」なんかに泊まって、コロムビアの下仁田ねぎのすき焼きでも食べながらじっくりと味わってみたい街ではあります。
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