青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ああ、上信栄光の70’s。

2023年06月21日 17時00分00秒 | 上信電鉄

(躑躅の額縁@千平駅)

鏑川に沿って走る上信線のデハクハコンビは、富岡の街を過ぎて麦畑の平野を西へ西へ。神農原から南蛇井に向かって上信越道の高架をくぐり、目の前に妙義荒船の前山が迫る。富岡盆地の平野部が尽きる頃、電車は下仁田の一つ前の小さい駅に停車して・・・思わず反射的に飛び降りた千平の駅。駅を囲む家の生け垣に、遅咲きの躑躅が満開。電車を降りた私の目に飛び込んで来たのは、躑躅の額縁。

高崎の駅から小一時間、私だけを山裾の小さな駅に残して、デハクハコンビは終点の下仁田に向けて走り出して行った。クハ1301の変形三枚窓と切妻のペッタンコなお顔、そして大きな深海魚のようなまん丸ライトが愛らしい。もう紫陽花の季節だというのに、未だに躑躅が咲いていた山峡の駅、千平。いつ来ても箱庭のようなつつましい設えで迎えてくれる。個人的にも好きな駅の一つ。

ここ千平から下仁田にかけては、富岡盆地と下仁田盆地を分かつ山が鏑川に迫り、鏑川は「不通(とおらず)渓谷」や「はねこし峡」と呼ばれる深い谷を刻んで流れて行きます。図らずも車窓風景としたら比較的単調な上信線の沿線の中では、この千平から下仁田にかけてが一番アクセントが効いた区間と言えます。駅間距離的には一番長い区間なのですが、思い切って鏑川沿いを下仁田まで歩いて行く事に。

千平の駅でお別れしたデハクハコンビ、返しの列車を赤津信号場近くのストレートでお出迎え。赤津信号場は、駅間距離の長い千平~下仁田間に設けられた交換設備で、沿線が高崎市のベッドタウンとして開発された昭和50年代に上信電鉄の輸送力増強が急務とされた時代に作られたもの。同時に佐野・新屋の両信号場も開設されていて、交換設備の増強による本数増とスピードアップ、そして車両の更新が群馬県の補助によって行われたのだそうで。当時は急行も準急も走らせていたというのだから、その頃の上信電鉄の鼻息の荒さたるや・・・と言ったところでしょうか。

デハ252とクハ1301のコンビも、そんな上信電鉄に非常に勢いのあった昭和50年代前半の自社発注車両なのですが、あれから半世紀弱が過ぎて、ご多分に漏れず沿線の高齢化と人口減は地方私鉄の目下の課題。西上州の山並み迫る隘路を、非常にゆっくりした速度で走って行きました。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西上州、湿っぽい空気の中を。 | トップ | 山のあなたの空遠く。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

上信電鉄」カテゴリの最新記事