(お社の森を眺めて@夜間瀬~上条間)
夜間瀬駅の踏切近くにある神社を横目に、小雪ちらつく扇状地を湯田中に向かうゆけむり号。今回の長野行、引退が決定した鯨のラスト運用を写真に収めて来ることよりも、どっちかって言えば久々に「ゆけむり号」こと小田急HiSE10000系を撮りたかったというのがありました。小田急時代は、交通バリアフリー法に引っかかって短期間の活躍に留まった悲運のハイデッカー車両、平成17年に長野電鉄へ無償で譲渡されてから既に17年の時が流れました。こと「ゆけむり号」として譲渡された2編成に関しては、今年で小田急時代の在籍年数を長電に来てからのキャリアが越えようとしています。もうそんなになりますかという気持ちだねえ・・・
この夜間瀬の小さなお社は、「豊受社(トヨウケシャ)」という名前が付いています。祀られているのは「豊受姫」という食糧の神様で、五穀豊穣を祈願しての村の鎮守様なのでしょう。朝から神社の隣の自治会館みたいな場所に人の出入りがあったのだけど、どうやら今日はこのお社で「どんど焼き」をやる様子。正月飾りやお札や書初めや達磨なんかをお焚き上げして、この一年の無病息災を祈る行事ですが、日本全国で行われるポピュラーな小正月の行事。「どんど焼き」の他にも「賽ノ神」だったり「セエノカミ」だとか「左義長」なんて言ったりもするそうですが、皆さんの地域ではどんな呼び方をなさいますかね。
旧知の友人と合流し、そのお仲間の皆さんと、どんど焼きの櫓が組み立てられていく様子を眺める。我々以外にも、正月らしい情景に打って付けのモチーフと見えて、カメラを片手に続々と愛好者が集まって来ました。めいめい正月飾りや注連縄、書き初め、お札、破魔矢なんかを持って集まって来る夜間瀬の人々。我々も夜間瀬の集落の人々の正月行事に遠巻きに混ぜて貰いながら、どんど焼きの準備作業を眺めていると、行き交う列車を見送るたびに櫓は大きくなって行きます。雪遊びに興じる子供たちの正月風景を眺めながら、鉄道写真に関しては、ガッツリと写真をメインに撮影するのもいいけれど、こうやって地域の歳時記的なひとコマと絡めると、より味わいが深まるような気がするなあなんて思ったり。
友人氏たちと久し振りの歓談をしながらの撮影。何となく、色々と動くのも面倒になって、どんど焼きに火が付くまでは今日は夜間瀬界隈にドンと腰を据えて撮影しましょうって雰囲気になった。続々と持ち込まれるどんど焼きの燃料の中でも、ひときわ目立つのがダルマ。真っ赤なそのフォルム、願いを成就させてお役御免と相成ったか、お焚き上げを待つばかりのその表情をパチリ。都会ではそんなにダルマなんか飾らないと思うんだけど、このどんど焼きの会場だけでも結構な数のダルマが集められた。意外に皆さん家に飾っているもんなんですね。
神社の隣をゆるりと回って、リンゴ畑に向かう農道が続いている。雪に埋もれた四種踏切から。昼に近くなって、晴れ間も見えて来た夜間瀬界隈。明るい光の中を湯田中へ向かう1000系ゆけむり。設備面では、編成が短くなったこととトイレが使われなくなったこと。外装に関しては、ワインレッドだった窓下のラインと裾が長電レッドに塗り替えられたこと。同じ赤系の色調なのでそう大きく変わった印象はないのですけど、もう長電に来て20年弱。すっかりこの塗色が馴染んでしまって、小田急時代のワインレッドのカラーリングを忘れてしまいそう。
小田急時代のHiSEがどんな塗装だったかと言われると、こんな塗装でした。覚えてますか(笑)。この画像を撮影したのが2011年、東日本大震災の年だったようです。小田急から姿を消したのが2012年3月ですので、もう10年以上経ってしまったんですねえ・・・。HiSEも構造的に負荷がかかりやすい連接台車ですし、長電で湯田中の急勾配を昇り降りしながらどこまで車齢が伸ばせるか心配ではあったのですが、すっかり長電の顔、信州の顔として溶け込んでいるようです。
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