(公立藤岡総合病院@日本中央バス奥多野線)
新町駅から走り出したバスは、まずは高崎線から南方面に走り、藤岡市内を目指します。藤岡市内の中心駅である群馬藤岡の駅に向かうのかと思いきや、市内に入ってからは真っすぐ駅には向かわず、総合病院や市役所にお立ち寄り。手元のスマホで地図と現在位置を照らし合わせながらルートを確認しておるのですけど、何だかんだと寄り道しては結構遠回りをしている。そもそも、バスなどの公共交通機関はクルマを運転できない学生や高齢者などの交通弱者のためのものであるので、こういうルートを通る事は珍しい事ではない。テレ東の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を見てると、バスは鉄道の駅前ではなく、地域基幹病院(医療アクセス)とイオンモール(食品購入)と市役所(住民サービス)の新たな「医・食・住」を結節点として再構成されている地域も多いですよね。夏に行った丹後半島も、地元バス(丹後海陸交通)が、半島最大の病院である「与謝の海病院」を中心に路線網が整備されていたのを思い出します。
藤岡市内をグルグルと回り、三回も八高線の踏切を渡ってやっと群馬藤岡駅。ここで若干名の車内人口の入れ替わり。藤岡市の中心駅ではありますが、既に交通の主軸はクルマでありますから、駅の設えも慎ましやかなもの。それでも、トンガリ屋根の瓦葺でオシャレな駅ではあります。八高線の高崎口は、藤岡の先の児玉までは区間列車も頻繁に運転されていて、この辺りは高崎市内への通勤通学圏と言えます。
群馬藤岡の駅前で暫しの時間調整の後、走り出したバスは県道13号線を南へ。車窓は郊外の田園地帯という雰囲気になり、県道が本庄・児玉方面からやって来た国道462号線に合流すると、進行方向左側には神流川の流れを見るようになります。この川が群馬・埼玉の県境で、川向こうが埼玉県児玉郡神川町。バス停は小さな集落ごとに等間隔に設置されているようですが、群馬藤岡の駅を出てからはほぼ全バス停を通過するような状態。それでも律儀に運転士氏はバス停の案内放送を切り替え、次の停留所をお知らせする放送を入れる。ほぼ鬼石に向かって全通過のドライブ状態だったのだが、八塩温泉にほど近い街道沿いのバス停から、相当歳の行った腰の曲がったばあちゃんが乗車して来た。おや、こんなばあちゃんがどこまで行くんだろうと思ったら、二つ先のスーパーの前のバス停で降りて行った。そういうニーズもある。
このバスの終点、鬼石郵便局前。最終的に、終点まで乗っていたのは私と、他に群馬藤岡駅前から乗って来た乗客一名のみ。一応旧鬼石町の中心街らしく、なんかバスターミナルでもあるのかな、と思ったのだが、終点は単なる郵便局の前の停留所だった。バスは僅かな乗客を降ろすと、とっとと神流町方面に向かって走り去って行ったのだが、少し先に広場と転回場所があるようだ。新町駅前からここ鬼石までちょうど1時間。新町~藤岡が30分、藤岡~鬼石が30分という感じだった。
鬼石郵便局の脇にあるバス停と小さな待合所。次のバスが来るまで約30分。バス停の前は「鬼面山」の銘柄を持つ由緒ある造り酒屋であった。鬼石の街は、八塩温泉郷や神流川の刻む三波石峡を中心にした観光地で、昔は東武バスが本庄から鬼石までかなりの本数のバスを運行していた。今はそのバスルートは系列の朝日自動車に引き継がれ、本庄駅~神川総合支所行きのバスとして運行が続けられています。
次のバスが来るまで、鬼石の街をブラリ。まあ、日本の地方はどこもこうなんだろうけど、「昔はそれなりに栄えていたんだろうなあ」という雰囲気。軒を連ねる古びた商店街、すし屋、金物屋、お茶屋、薬屋、肉屋などなど、並んではいるもののどの店が生きていてどの店が役目を終えているのかの整理がついていない。何となくだけど、関東山地に分け入る街はみんなこんな雰囲気がある。こないだ歩いた小川町の雰囲気をもう少しレトロ側に寄せて、勢いを無くしたみたいな感じ。
街の規模にしては酒屋や割烹が多く、おそらく古くから庭石として評価の高かった三波石の産出だったり、埼玉群馬の奥座敷としての八塩温泉郷だったり、それなりの産業と観光があって、地元の人はそれを生業として暮らしていたのだろう。酒屋の看板に書かれた「清酒 三波石」の文字。清酒の銘柄にまでなった地場の特産品。今の世の中に庭石にどのくらいの需要があるのか分かりませんけども、生活様式の変化やそもそも庭のある一軒家なんてあまり現実的でないのが首都圏の住宅事情です。石材業の需要の衰退があった事は想像に難くなく、それがこの街の現実と、昔日の繁栄を物語っているような気がしますねえ・・・
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