(油染みた跨線橋@郡上八幡駅)
小一時間の郡上八幡の街歩きを終えて、再び「まめバス」で駅に戻って来ました。子供に郡上八幡の街なんて渋過ぎて別に面白くもないかなと思ったんだけど、鯉が泳ぐのが見られたから楽しかったと言っていた(笑)。そんなもんか。もう時間は夕方の5時近くになっているんだけど、郡上八幡ってのはまだまだ長良川鉄道では中間地点くらいの位置でしかない。旅はさらに北へ北へ、数多の旅人の靴の油の染みたような跨線橋を渡り、北濃方面へ向かいましょう。
雨は少々本降りになって来た。本当に今年の梅雨はいつ開けるともしれない徹底的な梅雨である。しのつく雨を突いて、郡上八幡16:52発の13レ。長良川鉄道の伝統色とも言えるブルーとオレンジのラインカラーで、ナガラ503がやって来ました。
郡上八幡からさらに鉄路は長良川に沿い、瀬に泡立ち淵に澱む清き流れを見ながら北上して行きます。靄が掛かったような山里の夕方は早くも薄暗さを帯びるようになって来てはいるのだけど、それでも鮎釣り師たちは釣る事を止めず、激しい流れの中でひたすらに竿を振るっている。趣味の世界に時間を問う事は野暮なのかもしれないけど、時刻は夕まづめ、魚の活性も良い時間帯なのかもしれない。鮎は川底の石に生えたコケを食みながら暮らす魚で、縄張り争いの習性を狙って、針の付いた鮎でケンカを仕掛ける「おとり鮎」の釣り方が有名。
川沿いに「おとり鮎」「オーナーばり」などと釣り関係の看板を見ながら、郡上大和の駅で上り列車と交換。さっき郡上八幡まで乗って来た「ながら・かわかぜ」が戻ってきました。9レ美濃白鳥行き→503レ北濃行き→18レ美濃太田行きと運用されているようです。郡上大和は旧大和町の中心駅、降りる事は出来ませんでしたが、焦げ茶の板塀に小ぢんまりとした駅舎がなかなか雰囲気良さそうな。苔生したホームも味があります。
長良川鉄道・北の主管駅である美濃白鳥。今日はこの美濃白鳥で泊まる事になっています。すっかり雨に濡れて滲む列車の窓。美濃白鳥で僅かながら乗っていた乗客が下車して、ここから北濃方面に向かうのは我々親子と同じように乗り鉄を楽しんでいる男性1名のみとなりました。美濃太田から美濃白鳥までは自動閉塞ですが、白鳥から北濃までは1列車しか入れないスタフ閉塞の区間になっていて、駅員から運転士にスタフが渡されます。ここからはこれが通行手形。
美濃白鳥から先、少し川幅の狭まった長良川を渡って川の右岸に出ると、そのまま国道156号に沿って小さな集落に止まって行きます。美濃白鳥の次の駅は白鳥高原なんてリゾート地っぽい景気の良さげな駅名ですが、なんのこたーない集落の無人駅だったり。車窓に山は迫り、駅の裏に白山信仰の霊験あらたかな白山神社がある白山長滝の駅を出ると、運転台の横の料金メーターがピピっと動いて、美濃太田から37番目の駅・北濃。美濃太田からの料金1,690円。往復で3,380円か。「乗り鉄☆たびきっぷ」が額面で8,480円だった事を考えると、何だかものすごく得をしているように思えてしまった(笑)。
17:34定刻に北濃着。駅に建つ長良川鉄道終点の看板。はるばる美濃太田から72.2kmの道のりをお疲れさまでした。何となく、東北自動車道の青森ICにある最後のねぎらい看板を思い出してしまうな(笑)。本来の越美線計画では、まだここ北濃から北に線路は伸びて、長良川支流の前谷川の沢筋から桧峠をトンネルで越え、石徹白(いとしろ)の集落から福井県の大野市側に下って行く計画だったようだ。ここ北濃の地に鉄路が通じたのは昭和9年の話。北陸本線とは別ルートで東海地区と北陸地区を結ぼうという機運は早くからあって、既に昭和の初めの段階でこんな奥美濃の片田舎まで鉄道が来ていた事になる。
その後の越美線延伸計画は、太平洋戦争の戦局の悪化に伴い頓挫。戦後も計画自体は途切れずにあったようなのだが、今度は国鉄の財政難の中で建設が遅々として進まず・・・福井県側からは、越美北線が鉄建公団の建設で何とか昭和45年に九頭竜湖までを開通させたのですが、そこから先は昭和55年の国鉄再建法に引っかかり、計画が凍結されてしまいました。そして越美南線自体も、昭和59年には地方交通線の第二次廃止対象となり、国鉄の分割民営化を機に第3セクターの長良川鉄道となりました。
一向に繋がらない鉄路への罪滅ぼしとして、越前大野と美濃白鳥の間を国鉄バスが結んでいた時期もありましたが、既にバス便も廃止されて久しく。
北濃の駅は、夢の潰えた鉄路が、物憂げに草叢に消えて行くだけの終着駅となっています。
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