青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

山青く、水は緑の猿翅峡。

2024年05月27日 17時00分00秒 | 阿武隈急行

(阿武隈山地の緑を集めて@阿武隈渓谷)

福島・宮城県境の阿武隈川は、蔵王山脈の南麓と阿武隈高地の北端のせめぎ合う場所を渓谷を刻んで流れています。これが阿武隈渓谷なのですが、切り立った崖と深い谷というよりは、岩肌を露わに早瀬が続く急流という感じ。関東で言えば、埼玉の長瀞あたりの風景に近いですかね。阿武隈渓谷も長瀞も、盆地から平野の間の山間部の渓谷ということで、形成される地形の雰囲気が似てしまうのでしょうね。ちなみに、長瀞と同じようにこの阿武隈渓谷にも「ライン下り」があります。阿武隈渓谷のライン下りは、もう少し下流の宮城県の丸森町から出ているのですが、動力船による周遊のようなスタイルなので、船頭さんが竿を使って船を操り、流れを下って行く・・・というものではありません。GWということで船着き場は賑わっておりましたねえ。

山の緑が溶けて染み出したような阿武隈川の流れ。あぶくま~丸森間の第二阿武隈川橋梁は、大きな淵を作って緩やかになった場所に架けられている。連続トラスを軽やかに渡って行く8100系。AB900形もいいけれど、8100の特徴である水と緑のストライプが、非常にこの風景に合っている。シンプルな下路ワーレントラスは、向瀬上の第一阿武隈川橋梁と同じ。昭和後期から平成にかけて建設された鉄建公団線の橋梁、だいたいみんなこのスタイルですね。野岩鉄道の湯西川の鉄橋とかもこんな感じだし。

山間部でやや川幅が狭まっているとはいえ、そこは東北地方二番目の大河である阿武隈川。渓谷を刻みながらも、その名に恥じぬ雄大な流れは変わることはありません。阿武隈渓谷は、別名「猿翅(さるはね)峡」などと言われますが、川幅の部分に比べて平地の少ない地形で、日本鉄道が明治時代にここに線路を敷くのは少し難しかっただろうな・・・と思わせるものがあります。南東北の山々の栄養分を集めた阿武隈川の豊かな水は、流域の広い耕土を潤し、山紫水明の美しい眺めで人々の心を潤してきました。川の流れは、この先の丸森町から沖積平野の角田盆地へ出て北に流れを変え、亘理郡亘理町で太平洋に注いでいますが、阿武隈急行の旅は、車窓に流れる田園風景や渓谷美、そして保原や梁川の街の姿など、阿武隈川が作り出した自然と文化を丸ごと味わう旅でもあります。


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