(N37、接写@東三条駅)
分水の鉄橋で迎え撃った125Mを追って、東三条の駅に来てみました。125Mは柏崎発ですが、越後線を新潟には向かわずに吉田から227Mとして弥彦線に入り、東三条へ行く列車です。この後は再び弥彦線を226Mで吉田に戻り、吉田から143Mで新潟へ向かう運用。夏休みの日曜日、部活に向かう様子の女子高生がホームで折り返しを待っていました。あわよくば弥彦線内でワンカット…なんて思ってましたが、さすがに分水からでは間に合わんかったね。
朝から蒸し暑さ漂うホームで、思う存分N37編成を接写。第一次新潟色に塗り直されたのは最近なので、まだ塗装には艶が残っていますね。
連結面だったり、ジャンパ線だったり、幌だったり。往時の流行りだったパノラミックウインドウにアンチクライマ、渡り板、尾灯、前照灯、そしてタイフォン。こんな近くでマジマジと見た事ないけど、うん、飽きの来ないデザインのいいクルマだと思います。
車内の座席はリフォーム済みで案外きれいだったけども、ふと足元を見ると床のひび割れが樹脂テープで補修されているあたり、経年劣化による車体の傷みは隠しようもない。古老の歴戦の刀傷だと思えばそれも味わいかな。この1000番台についてはほぼ自分と同級生なんで、まだまだ古老などとは呼びたくないのだけれども(笑)。
全盛期は全国で2,000両に迫る大所帯を形成した、昭和の近郊型電車の総決算とも言える車両です。寒冷地の山岳路線を対象にした作りですから、やっぱり冬は雪深くなる地域が似合うクルマなのではないでしょうか。越後の街を、通勤通学の足として駆け抜けて来た115系。約50年に亘る活躍の終焉の時期が刻一刻と迫っています。
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