青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

暑中見舞いの大代川

2018年07月16日 06時09分34秒 | 大井川鐵道

(暑中お見舞い申し上げます@新金谷駅)

LSEが定期運用から外れ、フッと力が抜けたような感じにもなりがちでしたが、「三連休でしょ?」って事で子供に急かされて夏の大井川鐡道へ参戦して来ました。いつもだったら大井川くらいだいたい下道で行ってしまうのだけど、ちょっと早めに行きたかったので新東名で。新東名使うと家から新金谷まで2時間で行けるのな。


ちょっと早めに行った理由は、最近マニアの間で大人気となっている大井川のEL急行を撮影するため。本来はトーマスSLにあぶれた乗客の救済臨?的な意味合いで運用されている列車のようですが、西武EL&トラスト客車のスハフ43が2両という渋い組み合わせがマニア心をくすぐります。まずは牧之原台地の上から金谷に送り込まれるEL急行を。金谷駅は機回し線がありませんので、金谷~新金谷間だけは両端に機関車を付けたプッシュプルの編成になりますが、この日はE101が補機を務めました。やっぱ夏の俯瞰はヌケが悪いのと、焦げ茶のE101は露出難しい…


ちなみに本命カットがこの切り位置だったのだけど、線路脇の雑草が暴力的で中間の客車を隠してしまって大失敗(笑)。ローカル私鉄ではこの時期夏草には注意が必要ですなあ。雪壁と夏草の高さは撮り鉄の感覚を時に狂わせるポイズン(毒薬)、というのは結構この趣味のあるあるのような気もしますが。布袋か。


改めて下に降りて、定番の大代川で順光サイドの一枚を。少し開き目に風景を入れて、牧之原台地の斜面に広がるお茶畑を取り込んでみました。開け放たれたオハフ43の小窓から覗くお客さんの顔、顔、顔。EL急行は朝8時半に金谷を出発するので、東京を始発の新幹線(こだま631号)で出ても間に合いません。乗車するには結構ハードルの高い列車と思われるのですが、この人気はどうしたもんか(笑)。


隣で構えた子供のワンカット。大井川と言えばトーマスSL目当ての子供も、このEL急行に興味津々。そして手持ちでここまで撮れれば上等である(笑)。使わせてるのは自分のお古だけどD90の色味って好きなので、イメージセンサーの部分だけでも移植して今の本務機に移し替えたいなと思っているくらいだ。

居並ぶ鉄ちゃん同士、お互いに熱中症に気を付けてねという言葉も出るような朝から油照りの大代川。
滴る汗を拭いながら、各自各地へ戦線展開です。
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いつもの風景の中を

2018年07月10日 21時36分23秒 | 小田急電鉄

(いつもの風景から@海老名駅・県道40号オーバークロス)

7月10日の今日を持って、ロマンスカーLSEがめでたく定期列車としての最終運行を終えました。会社帰りにどっかで見送れれば、と思っていたのだけど、駅や沿線のそこかしこにカメラを持った人間がウロウロ。とてもじゃないけど静かには見送れそうもないので、いつもの風景の中で見送って来ました。海老名駅の南側の県道の陸橋。いつもこの小田急の高架下の駐車場にクルマを止めて、ビナウォークで買い物したりとか銀行に行ったりとか、それこそロマンスカーに乗って家族で出掛けたりとかね。高架の歩道橋から見るいつもの風景の中を、LSEはこね34号。最後のはこね運用でした。

特に華々しいセレモニーも目にすることなく、車掌のお別れのアナウンスも聞けなかったけど、これはこれで一つのお別れの形。
夕焼けもせず晴れもせずというおぼろな空の下を、ゆっくりと警笛を鳴らして通過して行きました。
また、海老名で逢おう。
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思いは、次の時代へ

2018年07月07日 22時00分00秒 | 小田急電鉄

(去り行くもののすべてに@町田駅)

LSE最後の週末。最後は乗って締めようと思い立ち、昨日の帰りがけに駅の特急券券売機を叩いたところ、あっさりと親子2席分の特急券が取れて拍子抜け。ホントの最終日の列車は一般席まで満席らしいけど、まだこの土日ならよっぽど発車前でなければ余裕がありそうな雰囲気であった。町田駅の電光掲示板に、LSEでの運行を告げるはこね23号。えっ?LSEだなんてどこにも出てないじゃない…とお思いでしょうが、「11両編成」で運行されているのは7000型LSEのみ。


町田駅下りホームに滑り込んで来るはこね23号。行く先行く先で常にカメラを向けられているLSE、我々のような親子お名残り乗車組もチラホラ。土曜の午後の湯本行き特急、お名残り乗車の時間は約1時間。


窓側の人しか使えない、通路側の客の人権を無視した折り畳みテーブル。畳むときに横のボッチを押すんだけど、蝶番が結構硬くて畳むときに指挟む事しばし。いたずらに横のボッチを押して、うっかりテーブルの上のモノをブチまけた経験のある人間もいるはずw


倒すか、立てるか、二者択一しか出来ないLSEのリクライニング。今思うと何と前時代的な設えであろうか(笑)。確か展望席のシートはリクライニングすらしなかったんじゃなかったっけ??エアコンじゃなくて足元から焙られるタイプの暖房と言うのも昭和のクルマですよね。


車両の妻面にある自動ドア、プリントされているのは神奈川県の花であるヤマユリ。HiSEまで使用されていたデザインかと思いますが、このデザインともお別れになります。


ブルーリボン賞のマークと展望席。さすがにここはプラチナペーパー。定期最終運行を前に、愛甲~伊勢原の高架区間を行く。ここの高架の下り込みは400mm望遠でガッツリ圧縮する名撮影地でもあります。が、最近真上を第二東名が通るようになってしまったので、アングルも変わってしまったかもしれません。走行中にも拘らず入れ代わり立ち代わり記念撮影の乗客が訪れていまして、その分1号車のお客さんは落ち着かなかったろうなとも思う。1枚写真を頂戴して、そそくさと退散させていただきました。


1時間の個人的ラストラン。小田原で半数の乗客が下車し、箱根板橋のカーブを回ってゆっくりと進む登山線区間。連接台車特有のタタン、タタンというリズム感を味わいながら増水した早川沿いの隘路を行く。箱根のシンボル二子山も山頂が雲に隠れて、梅雨明け一週間見事な梅雨の戻り。西日本豪雨の被害が案じられますが。


箱根湯本着。その体がギリギリ収まるカマボコ屋根の下の1番線ホーム。湯本のホームは地形的にこれ以上延伸出来ないが故に、展望席のあるロマンスカーの全長は140m以上には出来ないという宿命を持っています。


LSEの引退は、SEから続くオレンジバーミリオン&シルバー&ホワイトの「ロマンスカーカラー」の終焉でもあります。箱根の風景にこんなに溶け込んだ伝統のカラーリングも、もう間もなく見納め。個人的には、このカラーリングが継承されないのは残念だなあ。HiSEと同じデザインだった時期が長かったけど、LSEがこの塗装に戻ると聞いてむっちゃヤル気出たもんね(笑)。思いを次の時代に届けるために、現役の車両の一本だけでも塗り替えて欲しいもの。どれを塗るかは相当意見分かれそうだけど。


折り返しの約10分間、多くのファンがその姿をカメラに収めようと展望席に群がります。とても個別に記念撮影の出来る状況ではないのがツライところですが、まあこのカオスっぷりも引退前末期感か。それぞれの人に、それぞれの最後の思い出の一枚。小学生の子供たちのファインダーに収まるLSE、昭和55年から38年間、間違いなく昭和と平成を駆け抜けた名車でありました。

平成24年のHi・R・JR371の一斉引退の時も思ったけど、これから何を撮ればいいのかな。
寂しくなるねえ。
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東京ナイトバルブ

2018年07月04日 19時59分39秒 | JR

(夜風に吹かれ丸の内@東京駅俯瞰)

珍しく泊りがけでの東京への出張。パーティーで一杯ひっかけてホテルに帰るまでの間、丸ノ内線を東京駅で降りて駅横のKITTEの屋上へ。一応カメラをバッグに仕込んでいたので、酔っぱらった顔を夜風にあてながら東京駅の夜景なぞを。さすがにTOKYOは夜景も暴力的に美しいですなあ。


ISO2000とか普段全く使わない感度で撮影してるんだけど、さすがに今まで持ってたカメラでは表せないようなノイズレスな感じで映る。辰野金吾設計の建造物では一番の美しさとの誉れも高い東京駅、丸の内周辺を囲むように聳え立つ高層ビルとの取り合わせは何ともSFチックなレトロと未来の時空融合である。


八重洲口のビル街と、東京駅の特徴である南北に付けられた擬宝珠型のドームを。赤レンガが印象的な東京駅ですが、初代東京駅で使われたレンガは埼玉の深谷にあった日本煉瓦製造で焼かれたため、その縁もあってか平成になって深谷駅の駅舎も東京駅を模したものに改築されているのはマニアには有名な話。


時刻は21時の少し前。一昔前なら、九州ブルトレの後を追って残るは出雲3号、瀬戸、23時前に急行銀河とあと3本位夜行列車が残っている時間でしょうか。長大幹線であった東海道本線は、今や上野東京ラインという名前に母屋を取られ、せっせと近距離の通勤客を運ぶだけの存在となりました。逆に、土浦・水戸・いわき方面への特急ひたちが姿を見せるようになって、何となく梅の香りと浜通りの潮の香りがほんのり漂うようになりましたね。


この時間になると周りはカップルばかりで愛をささやきあったりチュッチュしてたりするんだけど、まあ元々そういう場所だから来ちゃった自分が悪いと深く反省(笑)。丸の内の駅前広場を横切ってホテルへ行く途中、小腹が空いてゆで太郎で盛りそばとビール引っ掛けちゃったオッサンの、東京の夜は更け行くのみでありました。
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指折り過ぎ行く日々

2018年07月01日 20時01分45秒 | 小田急電鉄

(夏空へ羽ばたいて@新宿~南新宿間)

小田急グループの新宿の顔、センチュリーサザンタワーを大きく仰いで、真夏の空の下へ飛び出して行くLSE。デビューから38年、おそらく新宿の駅の形も相当に変わったものと思われます。まあアレよね、LSEが見て来た小田急の風景って、年齢的にもだいたいモノゴコロ着いたころからの自分の小田急の記憶とそう変わらないはずなんですよ。LSEがデビューした頃の新宿駅ってどんな感じだったっけなあ。少なくともサザンタワーはなかったので、この新宿1号踏切からの景色はだいぶ違っていた。昔はホーム出たらすぐ外だったから、地下ホームとの分岐なんかも車窓から良く見えたもんな。


制限35km/hの急カーブである新宿の大カーブを、ゆっくりと糸を引きながら回って行くLSE。車内では、この辺りから車掌氏の放送が入り始める頃か。山野ホール前にある新宿2号踏切では、大勢のファンがLSEの最後の日々にカメラを向けていました。神奈川県の県央地域にいると、どうしても自然の風景を求めて相模川以西で撮ってしまいがちだけれども、颯爽と都会を走るLSEの姿と言うのもいいものです。

指折り過ぎゆく日々を数えていたら、あっという間に来週がLSE最後の週末となってしまった。
悔いのないように、花道を見届けたいと思います。
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