tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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叡尊は、宇治茶の隆盛に貢献!

2016年02月25日 | 奈良にこだわる
西大寺中興の祖・興正菩薩叡尊(えいそん or えいぞん)のことを調べる必要があって先日、お寺にお邪魔した。なお叡尊とは「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」によると、

1201-1290 鎌倉時代の僧。建仁(けんにん)元年5月生まれ。律宗。京都醍醐(だいご)寺で出家し真言をまなぶが,戒律の復興をめざして戒如に師事。嘉禎(かてい)2年覚盛(かくじょう)らと東大寺で自誓受戒し,大和(奈良県)西大寺を拠点に各地で授戒。後深草上皇や北条氏らの帰依(きえ)をうける。

殺生を禁じ,橋の修復などをおこない,貧民救済に尽力した。正応(しょうおう)3年8月25日死去。90歳。大和出身。字(あざな)は思円。諡号(しごう)は興正菩薩。名は「えいぞん」ともよむ。著作に「感身学正記」「関東往還記」など。


拝観の受付で、目当ての『興正菩薩御教誡聴聞集/金剛仏子叡尊感身学正記』2,000円を見つけて買い求めた。受付の男性がとても親切で、叡尊のことをいろいろと教えて下さった。その中に「叡尊が宇治茶の栽培を薦め、それが今日の隆盛につながった」というお話があった。興味深く思い、ネットで調べてみると、こんな情報が出ていた。西大寺の大矢長老のお話によると、

「不殺生戒」の実践として、叡尊上人は宇治川の漁師に漁をやめさせ、代わりにお茶の栽培を教えました。これが今の宇治茶隆盛につながっています。

 感身学正記〈1〉西大寺叡尊の自伝 (東洋文庫)
 叡尊
 平凡社

さらに法楽寺(大阪市東住吉区山坂)のHPによると、

京都の宇治がお茶の名産となったのは、鎌倉期の戒律復興の立役者、興正菩薩叡尊によります。叡尊が、宇治川一帯を幕府公認の「殺生禁断の地」と禁漁区としたため、地元の漁師達の生活はたちまち困窮。そこで叡尊律師は、漁業にかわる生活の糧として、地元の漁師たちに茶の栽培を勧めたということに因みます。

もっとも、漁師達からすれば、自主的でなく強制的に稼業を変更させられたのですから、相当に不満があって幕府に抗議すらしたようですが、結局ここが日本でも有数の高級茶葉の産地となっていきます。いずれにしろ、日本におけるお茶の普及と戒律復興を担った人々とは、深い縁があるようです。


宇治には、叡尊が建立したという十三重石塔がある。宇治市観光協会HPの「おすすめスポット」によると、

十三重石塔 国内最大級の石塔
府立宇治公園中の島(塔の島)にある高さ約15mの国内最大級の石塔で、1286年に西大寺の僧叡尊により建立されました。叡尊は朝廷の命により宇治橋の修復を行いましたが、殺生禁断の思想の持ち主で、網代や漁具を埋め、その上にこの石塔を建立し、魚霊の供養と宇治橋の安全を祈りました。


「茶の普及に貢献」ということになれば、西大寺で有名な「大茶盛」とも結びつく。この辺り、もう少し掘り下げて見ることにしたい。皆さん、ご存じでしたか?

コメント (4)
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