昨日(2/27)、クラブツーリズム奈良旅行センター(近鉄奈良駅ビル5階)の「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」(毎月第4土曜日13:00~14:30開催 1,200円)で、「空海の足跡を訪ねる」という講話をさせていただいた。ご参加いただいたFさん(ならランゲージサポート)は、早速ご自身のFacebookに、
今日は、まほろばソムリエのヤマトロジー講座に行ってきました。鉄田さんの弘法大師についての講座、楽しく、情報盛り沢山で、さすがだな~、と思いました。ヤマトロジー講座は、毎月第4土曜日にされているそうで、次回は3月26日、恵心僧都源信についてです。
と紹介して下さった。有り難いことである。講話の中で私はWikipediaを引用し、空海(真魚)は《延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人(さえきのいまえみし)が建てた氏寺の佐伯院に滞在した(真魚は讃岐佐伯氏)》という話を紹介した。そして「佐伯今毛人は身分の高い人でした(正三位)。平城宮跡の西面にある佐伯門(宮城門の跡)に名の残る佐伯氏です。空海が滞在したという佐伯院は、平城京内にありました」とごく簡単に説明した。
最後の質問タイムになって、奈良市北京終町で宿泊施設を経営されるAさんから「近所に佐伯院跡といわれる場所がありますが、正確な所在地は分かっているのですか?」というご質問があり「いえ私は存じませんので、あとで調べてブログで紹介させていただきます」と頼りないお答えをした。
帰宅してから調べてみると、「エンサイクロメディア空海」というサイトに情報が出ていた。どうやら奈良市八軒町東交差点のあたりである。奈良文化財研究所の千田剛道氏のお話から推測したというから、信憑性は高い。抜粋すると、
佐伯院は平城京五条六坊にあった。その佐伯院の旧跡に立ってみたいという思いが募り、その現在地を歩き調べてみた。往時の「五条六坊」とは今のいったいどの辺にあたるのか、参考文献をたよりに住宅地図と照合するのだが、所詮素人考古学では判明しないことがわかった。そこで思い切って奈良文化財研究所に電話をして「五条六坊」の現在地についての資料の提供をお願いした。
応対に出てくださった文化財情報課の千田剛道さんが早速懇切な資料を送ってくださったので、ようやく見当がついた。千田さんによれば、奈良周辺の文化財調査研究には一番詳しい奈良文研でも、佐伯院についての詳しい学術調査は行われていないとのことで、資料や先学の論文を参照して往時を偲ぶほかはない。
図の右側(外京)の区画の中に興福寺や元興寺とともに佐伯院の名前があり、その場所も示されている。外京区画の右端には東大寺も見える。佐伯院から左下(左京の右端)には大安寺が見え、広大な敷地を擁していたことがわかる。
「五の坪」の現在地はどこか。千田さんからいただいた地図を手に実際に同じ道を行ったり来たりして現地を歩いてみたのだが、市街地化して住宅やマンションや駐車場や商店や社屋が立ち並ぶ現況から、佐伯院の旧地を確認することはできなかった。おそらく、現在の奈良市八軒町東の交差点のかどにあるガソリンスタンドから東南の一帯が「五の坪」(佐伯院の旧地)と推定される。すぐ南にJR桜井線の線路が走っている。
この場所だと、空海ゆかりの不空院と大安寺の間になり、なるほどと納得する。私はあまりこの辺りの土地勘がないので、より詳しくはAさんや、このお近くに住むM先輩からの情報を待つことにしたい。Aさん、良いご質問を有難うございました!
今日は、まほろばソムリエのヤマトロジー講座に行ってきました。鉄田さんの弘法大師についての講座、楽しく、情報盛り沢山で、さすがだな~、と思いました。ヤマトロジー講座は、毎月第4土曜日にされているそうで、次回は3月26日、恵心僧都源信についてです。
と紹介して下さった。有り難いことである。講話の中で私はWikipediaを引用し、空海(真魚)は《延暦7年(788年)、平城京に上る。上京後は、中央佐伯氏の佐伯今毛人(さえきのいまえみし)が建てた氏寺の佐伯院に滞在した(真魚は讃岐佐伯氏)》という話を紹介した。そして「佐伯今毛人は身分の高い人でした(正三位)。平城宮跡の西面にある佐伯門(宮城門の跡)に名の残る佐伯氏です。空海が滞在したという佐伯院は、平城京内にありました」とごく簡単に説明した。
最後の質問タイムになって、奈良市北京終町で宿泊施設を経営されるAさんから「近所に佐伯院跡といわれる場所がありますが、正確な所在地は分かっているのですか?」というご質問があり「いえ私は存じませんので、あとで調べてブログで紹介させていただきます」と頼りないお答えをした。
帰宅してから調べてみると、「エンサイクロメディア空海」というサイトに情報が出ていた。どうやら奈良市八軒町東交差点のあたりである。奈良文化財研究所の千田剛道氏のお話から推測したというから、信憑性は高い。抜粋すると、
佐伯院は平城京五条六坊にあった。その佐伯院の旧跡に立ってみたいという思いが募り、その現在地を歩き調べてみた。往時の「五条六坊」とは今のいったいどの辺にあたるのか、参考文献をたよりに住宅地図と照合するのだが、所詮素人考古学では判明しないことがわかった。そこで思い切って奈良文化財研究所に電話をして「五条六坊」の現在地についての資料の提供をお願いした。
応対に出てくださった文化財情報課の千田剛道さんが早速懇切な資料を送ってくださったので、ようやく見当がついた。千田さんによれば、奈良周辺の文化財調査研究には一番詳しい奈良文研でも、佐伯院についての詳しい学術調査は行われていないとのことで、資料や先学の論文を参照して往時を偲ぶほかはない。
図の右側(外京)の区画の中に興福寺や元興寺とともに佐伯院の名前があり、その場所も示されている。外京区画の右端には東大寺も見える。佐伯院から左下(左京の右端)には大安寺が見え、広大な敷地を擁していたことがわかる。
「五の坪」の現在地はどこか。千田さんからいただいた地図を手に実際に同じ道を行ったり来たりして現地を歩いてみたのだが、市街地化して住宅やマンションや駐車場や商店や社屋が立ち並ぶ現況から、佐伯院の旧地を確認することはできなかった。おそらく、現在の奈良市八軒町東の交差点のかどにあるガソリンスタンドから東南の一帯が「五の坪」(佐伯院の旧地)と推定される。すぐ南にJR桜井線の線路が走っている。
この場所だと、空海ゆかりの不空院と大安寺の間になり、なるほどと納得する。私はあまりこの辺りの土地勘がないので、より詳しくはAさんや、このお近くに住むM先輩からの情報を待つことにしたい。Aさん、良いご質問を有難うございました!