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真田丸(34)挙兵

2016年09月03日 | 日々是雑感
前回(8/28)のNHK大河ドラマ「真田丸」は「第34回 挙兵」だった。家康は上杉景勝を征伐することを決意したのだ。NHKの公式HPから「あらすじ」を拾うと、

家康暗殺に失敗し謹慎することになった三成。それでも収まらない清正らは三成襲撃を計画する。信繁は伏見城下での武力衝突を恐れ、きりに上田へ帰るよう指示するが、きりは玉のもとに身を寄せる。信繁は、信幸と協力して三成を守ろうと立ち向かう。そして、家康は会津の景勝を攻めることを決意。いよいよ、関ヶ原の戦いが迫る!

今回の放送で印象に残ったシーンを、いくつか紹介する。史実かどうかはわからないが…。まず、信繁は、三成に大谷吉継の娘・春と「結婚したら苦労するぞ」と言われた理由を聞く。三成がいうには、筆を日頃の礼の意味で春に渡したところ、勘違いして三成の正室に「別れてください」と言い出したのだという。これはとんだ勘違いだ。



寧についていたきりが暇を出された。信繁は、伏見城の近辺で争いが起こることを懸念し、きりに上田へと帰るよう勧めたが、きりはキリシタンの玉(細川ガラシャ)のもとに身を寄せると言ってきかない。これは何か火種になりそうだ。

前田利家も亡くなり、加藤清正や細川忠興などの反三成派は三成を襲撃しようとする。信繁は家康に説得を依頼し、何とかおさまる。しかし家康は引き換えに「三成には蟄居してもらう。政からは身を引いてもらう」と言いだす。三成は、「全てを投げ打ってここまでやってきた。なにゆえ、伏見を追われねばならぬ」と悔しさをにじませるが、最終的に三成は去り、家康は伏見に居を移す。

家康が信繁を呼び出し「ワシのもとで働かぬか?」と誘うシーンがあった。信繁は「お断りします。三成様ですら、家康様のもとで務まりませんでした。私で務まりますでしょうか」と言って断る。信繁は、お役御免となる…。



1年が過ぎ、家康がほぼ天下を手中におさめ。そんなとき会津の上杉景勝が上洛を拒否し、上杉の家老・直江兼続は、家康を挑発するかのような書状(直江状)を送る。書状を破り捨てた家康は激昂し「許せん。上杉景勝」と言い、上杉征伐を決意する。いよいよ関ヶ原の戦いが近づいてきた。

この回で、のちの大坂冬の陣で信繁の最大の理解者となる猛将・後藤又兵衛(基次)が登場した。演じるのは、哀川翔だ。信繁と又兵衛といえば、司馬遼太郎の短編小説『軍師二人』がよく知られている。大坂の陣の話だ。あらすじをブログ「読書と人生」から抜粋すると、

二人とも不世出の軍略家ながら、作戦家としての性格やアプローチの違いから、夏の陣で主張した作戦は異なるものだった。 作戦を差配した大野治長は、軍事に疎いことから、二人の作戦の折衷案という、もっとも愚かな案を採択する。大野治長の提示した折衷案に従って大阪方の武将達は出陣するものの、愚策であることを知っていることから、真田幸村は自説を引っ込め、後藤又兵衛基次の案に従うことにする。

基次の案に従い、後藤基次が先陣し、その後、真田幸村が合流することとしたが、折しも、濃霧が戦場一帯に立ちこめ、真田幸村は後藤基次との合流に大幅に遅れ、作戦は失敗に終わる。しかし、基次は、作戦が予定通り遂行されていれば、東軍を打ち破れただろうことを見届け、満足して、孤軍奮闘で戦死する…。


 新装版 軍師二人 (講談社文庫)
 司馬遼太郎
 講談社

さて今回も、締めは藤丸タダアキさんのブログ「地域活性局」から彼の感想を紹介する。

家康に挑んだ三成。しかし、家康の周囲にはすでに三成憎しの武将が集まっていました。三成は正義感がありすぎ、政権運営時に多くの恨みをかっています。そして三成は謹慎します。春(松岡茉優)は三成に恋をしたという話がありました。こんな話があったのでしょうか…。

秀吉が最後を託した前田利家が亡くなります。前田利家は織田信長政権時代の秀吉の同僚です。秀吉の子飼いの三成や加藤や福島にとっては主君の同僚です。その利家の死。そして加藤や福島が暴走します。気付けば、三成と家康の戦いは、三成と清正たちの戦いへ…。そして、家康に裁断されます。実際は三成は家康に助けられ、家康の次男、結城秀康に送られて自身の領地に帰ります。その後すぐ家康は伏見城、1年後には大阪城西の丸に入場して武威を示しました。



後藤又兵衛が登場しました。又兵衛は秀吉の参謀、黒田如水の家来です。信繁最後の戦い、大坂の陣では信繁のよき理解者になりました。大坂の陣の後に宇陀に来たという伝承があります。又兵衛桜です。

大坂の陣に向けて登場人物が増えてきましたね。さて、上杉景勝が福島県会津若松に帰り、対家康の挙兵の準備をします。真田丸34話の題名は挙兵。家康は景勝に上洛を進めますが、直江兼続から直江状が返ってきます。内容は家康を非難する言葉が溢れていました。家康は諸大名に上杉討伐の命令を出し、真田昌幸にも命令が来ました。真田丸34話はこのような流れでした。



さて、真田丸34話、挙兵の感想を書きます。三成と家康の争いが三成と清正たちの争いになっています。そしてもう一つ。豊臣政権には秀吉子飼いだけではなく、秀吉に臣従した大大名もいます。その最たる人間が徳川家康で、上杉景勝・毛利輝元・宇喜多秀家・佐竹義宣などもいます。

家康が秀吉の子飼いを自分の家来にしていくと、勢力が大きくなります。家康に肩を並べていた上杉や毛利は、家康が天下を取ると生きていけなくなります。つまり、豊臣子飼い同士の争いだけでなく、臣従した諸大名の争いも始まります。その流れを作ったのは石田三成でした。子飼い同士の争いに諸大名の争い結びつき、挙兵へとつながっていきます。34話挙兵には三成に加勢する上杉景勝の生き残りをかけた争いがあったのでしょう。
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