tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良の良さ by 岡潔著『春宵十話』/観光地奈良の勝ち残り戦略(109)

2016年09月26日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
先日(9/22)「地元民からの反論」(観光地奈良の勝ち残り戦略 108)という記事を書いたところ、2日間で5,000人以上の方からアクセスをいただき、恐縮している。Facebookにも、数え切れないほどのコメントをいただいた。今日は故岡潔氏の「奈良の良さ」という文章を紹介する。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」のYさんからご教示いただいた。素晴らしい文章なので、講演などでよく紹介させていただいている。
※写真は、すべて奈良公園。2008.11.15撮影

岡氏は紀見村(現・和歌山県橋本市)のご出身だ。《数学者。京都大学理学部数学科を卒業 (1925) 。母校および広島文理科大学助教授を経て,奈良女子大学教授となる (49) 。同大学名誉教授。理学博士。数学に関する初期の研究は,有理関数についてのものであったが,1929年から4年間パリへ遊学し,その後多変数解析関数論の研究に着手,「岡の原理」「はり合せの原理」を立てて,そこで未解決であったクーザンの問題第1,第2,近似問題,レビーの問題を決定的に解決し,世界の数学界に大きく貢献した》(『ブリタニカ国際大百科事典』)という方である。では、全文を紹介する。

 春宵十話 (角川ソフィア文庫)
 岡 潔
 KADOKAWA/角川学芸出版

古い奈良の良さが次々と失われてゆくという状態に対して、「これでは困る」ということはいいやすいが、「それならこうしたら・・・」とはなかなかいいにくい。しかしそれにこだわらずに感じたままを話すと、奈良の良さといってもわからない人が政治をやっているといえる。

だいたい、ことばを聞いてわかるというが、それで内容までちゃんとわかるということはない。たとえば秋の日射しと言っても、秋の日の射し方ということではないが、それは自分が本当に秋の日射しの深さがわかるようにならなければ、ことばでいってもわかりはしない。

してみると本当にわかるのは簡単なことではない。私の好みをいえば奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
 
秋の日射しがわかるといったわかり方はだんだんと少なくなって来ているのではないだろうか。金の時代、銀の時代という考え方があるが、明治からこちらの日本文化をみると、漱石の全盛時代は金の時代で、その弟子の寺田先生あたりは銀の時代だった。そうして私たちの世代はもう銅の時代で、日没前という印象はぬぐえない。



こうしてだんだんと秋の日射しもわからなくなって来ている。特に、あまり強くないニュアンスというものがわからなくなっている。奈良に限らず、本当の良さがわからなくなって、形式的に大切にしているだけだという気がする。そうしたところで国が貧乏するわけでもないから、軽くみているのではないだろうか。

しかし、これはたとえば皮膚が傷ついて損なわれるようなもので、心臓や肺のような内臓部でないから構わないように見えるけれども、皮膚から細菌がいくらでもはいり、ついには内臓を侵すようになる。映画や小説を通じて悪質の趣味が侵入すると人の心は腐敗し、それは死に直結する。

奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。これを守るには良いとする人に政治をやってもらわねばならないが、それには、良いもののわかる次の時代の人を育てるのが一番近道で、また確かな方法だと思う。



そこで現状ではそういう世代にそっくりそのまま残してやるのが一番大切だということになる。いまああすれば良い、こうすれば良いというのは危険で、良いものがわかっていないのだからいじり回すのはむしろ破壊に通じ、だんだん悪いほうへ行ってしまう。破壊がひどくならないうちに良いものがわかる人たちが出てきてやってほしいと思う。

奈良は日本文化の発祥地で、民族としてインフェリオリティ・コンプレックスを持たない時代の文化が栄えた所だけに、本当に良い所だと思う。だからこういう所を保存しておくのは良い趣味をつちかい、新しい文化を興す元になるのではないだろうか。観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。


これは素晴らしいお話である。とりわけ
●奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいいと思うが、こういう奈良の良さというのも秋の日射しというのと同じで、わかる人にしかわからないだろう。
●奈良の良いものを保存したいが、本当に良いものはちょっとしたところ、何でもないところにある。
●観光観光というけれども、もちろん見に来たい人は来ればよいが、それよりもこの町を中心に日本らしい文化を興したいものだ。そんな夢を私は持ち続けている。
というところには深く頷いた。

奈良の観光振興はもちろん大切なことではあるが、「奈良は、大仏を拝んで鹿にせんべいをあげて40分の観光地」などと揶揄されると、そんな観光客には来てほしくないと思う。おそらく東大寺も望んではいまい。

奈良は安物の観光地をめざすべきではない。「修学旅行生が減って困っている」というが、おそらく奈良の良さは子どもには分かるまい。奈良に来るなら、きちんと事前学習してから来てほしい。

志賀直哉は「奈良は名画の残欠(ざんけつ=切れ端)のように美しい」と書いた。岡潔は「奈良の築地塀のこわれた所など、世の移り変わりに超然としているようなのがいい」とする。このような「奈良の良さ」の分かる人にこそ、奈良に来ていただきたいものだ。
コメント (9)
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