tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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地元民からの反論/観光地奈良の勝ち残り戦略(108)

2016年09月22日 | 観光地奈良の勝ち残り戦略
興味深い話を聞いた。奈良の観光振興などを手がける私のようなヨソ者に対する反論として、これは貴重なジモティー(地元民)の意見である。
※写真はすべて何年か前の今頃、明日香村で撮ったもの

発端は、8/28(日)に開いたNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の酒宴である。参加者からはいろんな話が飛び出した。奈良県のご出身で、現在は大阪市在住のFさんから「生粋の奈良県民(地元民)は奥ゆかしい。県外から来た外来人(ヨソ者)が奈良の活性化などを上から目線で言うのは、地元民にとってはいい迷惑だ」というご趣旨の発言をいただいた。感極まって泣き出す女性もいた。

酒宴での話なので誤解していてはマズいと思い、後日、メールで問い合わせた。その回答が以下の通りである。ご本人のお許しを得たので、転載させていただく。Fさんは編集の仕事をされているので、堂々たる論文である。

外来の奈良好き、または奈良の現状に危機感を持つ人は、往々にして、昔から何代も奈良に住んできた人々をよく言えばのんびりしているとか、大仏商法とか、どんくさいとか、口に出すか出さないかの差はあるにしても、やや軽く見た、または下に見た言動が見られることへの私なりの地元に代わった代理反論です。

外来人が、奈良の現状と将来に危機を覚えるあまり、在来人を非難がましく見るのも愛情の変形でしょうが、このぼんやりした人々が、何代にもわたり神社に寄付し、労力を提供し、お寺の改築をし、大和棟をはじめとする美しい農村風景を守ってきたのです。外来人は、金も労力も出さず、地元のご苦労や悲しみを理解せずに頭で議論しているだけだと思います。

平城京の時代でも、気が利いた人は、平安京の時に京都へ移ったでしょうし、現代では、外来人と共同歩調で、生駒や学園前で、新建材の美しい風景を作らない家で欧米的、文化的な暮らしと錯覚して暮らしておられます。100年後、学園前などの新興住宅地が美しい景観だと外国人が観光にやってくるでしょうか。

在来の奈良県人が無口で鈍臭いのは、深い悲しみを秘めて、祈りのDNAを受け継いできたのだと思います。国中(くんなか)にいかに出雲系、物部系の神社が多いことか。どう考えても、大和朝廷ができてから、出雲や吉備からきた人が作ったのではなく、先に大和の地に入った出雲や吉備の人々が、後から来た神武さんに象徴される征服者に従うまでに殺された多くのご先祖への祈りを黙って続けてきたのだと思います。



被征服の民、京都へついていかなかった人々は無口で口下手なのです。それは知恵でもあるのです。口は災いの元でもあり、征服者、時の流行は、やがて去っていくという諦念かもしれません。悲しみの祈りがある、すなわち勝者の大和朝廷の文化と、宇陀など征服された悲しみを秘めた地域の二重構造が、外来人が美しいと感じる奈良の風景を作っていると思います。

もちろん反論はあるでしょうが、私はいろいろ考えて、この結論に行き着きました。ただ、一方の征服された民だけに入れ込むのではありませんが、こういう視点も持って欲しいと願っています。

表に出て触れられる平城京の文化は素晴らしいものがありますし、悪辣と評価される藤原氏ですが、不比等が今日までの日本文化の骨格を作ったと、評価しております。万世一系という価値観を広め、中国のような易姓革命を否定する価値観を、史書を通じて作り上げた、凄い政治家と考えています。

京都は勝った人々だけが作った土地なので、在来人の悲しみが土地にないので、悲しみがない美しさだと思います。美しいが奈良より浅い。悲しみがない、風流だけの文化では奈良の美しさと太刀打ちできません。

そんな結論から、在来の気の利かない、無口の、口下手な奈良県人に対して、外来人は、謙虚で、 感謝・尊敬の念を持つ視点、概念の切り替え、パラダイムの転換をお願いしたいということです。

上から目線で、地域振興を訴えても、在来人には受け入れられないと思います。危機感のあまり、ついつい上から目線になる外来人は自戒して欲しいと感じております。



さらに言えば、大和の各地を紹介するにしても。古事記や日本書記など、いわば官製史書、勝者が都合よく筋書きを書いた史書、古事記など官製ではありませんが、朝廷に合わせた史書で、それをそのまま紹介するのではなく、その裏に秘められた逆の歴史にも思いを馳せて欲しいという願いです。大和朝廷中心史観に首まで浸かっていては、在来の奈良県人に申し訳ないと言いたいのです。

また、京大、東大というアカデミックな世界の学者は、学閥の力、締め付けがあるので、思考が硬直的ですが、アマチュアの研究者は、できるだけ思考は自由で柔軟、百家争鳴であるべきと考えます。

奈良を応援するあまり、大和朝廷中心史観、ヤマタイコクなどヤマト中心で古代の歴史が動いてきたと一つの思考で固まるのは、美しい集団風景ではありますが、新興宗教みたいで、避けるべきと考えます。官の学者がAと言えば、アマチュアはBでないかとへそ曲がりで考えないといけないのではないかと危機感を持っています。

我が国の歴史関係の学会は、対立者の間で議論しません。無視するのです。都合の悪い考古学データは無視し、双方議論しないのです。
大先生が亡くなるまで、異説は発表しません。発表しても、マスコミは取り上げませんし、定年後の再就職はかなわないからです。比較的自由なのは、文筆で食べていける私学系の学者だけでしょう。苦悶している、若手研究者はたくさんおられます。

そんなことを言いたかったとご理解ください。勿論、違う見解もあるでしょうが、私は、そう考えて、現在の外来人、私もそうですが、が考えている言論空間に違和感を感じていることを伝えたかったのです。




地元民が「何代にもわたり神社に寄付し、労力を提供し、お寺の改築をし、大和棟をはじめとする美しい農村風景を守ってきた」というのは、全くそのとおりである。「国中にいかに出雲系、物部系の神社が多いことか。(中略)先に大和の地に入った出雲や吉備の人々が、後から来た神武さんに象徴される征服者に従うまでに殺された多くのご先祖への祈りを黙って続けてきたのだと思います」ということも、今まで気づかなかった自分が恥ずかしい。

「奈良を応援するあまり、大和朝廷中心史観、ヤマタイコクなどヤマト中心で古代の歴史が動いてきたと一つの思考で固まるのは、美しい集団風景ではありますが、新興宗教みたいで、避けるべきと考えます」というのも、痛いところを突かれた。確かにひいきの引き倒しも「新興宗教みたい」で、部外者からは奇異な光景に見えることだろう。

地方銀行でも「地域へのコミットメント・コスト」ということを言う。採算が取れなくても、過疎地からは撤退しない(地元民に不便をかけるから)。寺社や商店街のイベントなどへの寄進や協賛にも協力する。地方祭にも行員を動員する…。このような目に見えないところで地元を支えているのだ。

「危機感のあまり、ついつい上から目線になる外来人は自戒して欲しい」。確かに、これは気をつけねばなるまい。目からウロコがボロボロと落ち、反省することしきりである。Fさん、ありがとうございました!
コメント (4)
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