かぎろひ歴史探訪ウォークは、「奈良大和路を一歩深く紹介して散策にいざなう情報誌」である『かぎろひの大和路』からスピンアウトした歴史ウォークで、同誌編集者の豊永かずみさんが幹事をお務めになる。「事前申し込みなしの当日自由参加」で参加費は@1,500円、弁当・敷物は各自持参。
※トップ写真は朝護孫子寺本堂からの眺望

信貴山下駅の駅前には、かつて使用されていたケーブルカーとオルゴール水車が
本年(2020年)5月28日(木)には「信貴山から平隆寺」コースに参加した。参加者数は24人、別途スタッフが2人。コロナ騒動で4月26日(日)には参加者数が3人(別途スタッフが2人)だったことを思えば、8倍である。今回もよく歩いた。21,092歩、13.9km。健脚な豊永さんがコースを作ると歩行距離が長めになるが、日頃の運動不足解消にはもってこいだ。豊永さんのブログ「かぎろひNOW」によると、この日のコースは

童謡「きらきらぼし」を作詞した三郷町在住の児童文学作家、武鹿(ぶしか)悦子さん
の功績を讃えるため、三郷町と商工会、地元の学校で作る地域活性化連絡協議会が
製作。毎日計4回、定刻(午前9時、正午、午後3時、午後6時)に3分間奏でられる
近鉄生駒線信貴山下駅⇒(バス)⇒信貴山⇒千体地蔵⇒仁王門⇒猪上神社⇒成福院(石室十三仏)⇒舞台造り本堂⇒大日如来多宝塔⇒千手院(十三重石塔)⇒行者堂⇒休憩所(昼食、講座)⇒山内自由参拝⇒休憩所集合⇒ケーブル廃線跡⇒平隆寺⇒近鉄生駒線勢野北口

バスは急坂をぐいぐいと登る。下車後は旅館街を抜けて仁王門へ


バスで信貴山に登り、帰りは歩いて下る、という趣向だが、バスは信貴山の頂上(信貴山城址)までは行かない。朝護孫子寺から歩いて登るのだが、これが結構ハードだった(希望者のみの参加だが結局、ほぼ全員が登った)。

世界一大きいという張り子の虎
お寺のHPには《今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています》。


地上は相当暑かったようだが、山上には心地良い風が吹き、日陰はとても涼しい。大きなタオルを持参したが、そんなに汗はかかなかった。

こちらは、信貴山成福院の「石室十三仏」
日陰でランチを済ませたあとは、山道をひたすら登り、山頂をめざす。途中には大きな多宝塔や役行者を祀るお堂があった。





このあたりに「松永屋敷」などがあったそうだが、これは想像するしかない。
ケーブル廃線跡が道になっていて、そこを下る。ひたすら下ったところに平隆寺(三郷町勢野東2丁目11−60)がある。三郷町のHPによると《別名施鹿薗寺(せろくおんじ)、平群寺とも呼ばれ、聖徳太子建立46ヶ寺院の一つです。太子に仕え、この地で勢力を得ていた豪族平群氏の氏寺であり、太子安息の寺で、寺域は約1丁四方の伽藍で、盛時は東西1丁南北2丁、32坊を有していました》。

平隆寺(平群寺)本堂
《大和での数少ない飛鳥時代創建の寺院として、附近の古代瓦生産地とともに注目され、寺域は県の史跡に指定されています。現在の平隆寺は江戸時代の初期に再建され、本尊は石佛の阿弥陀如来(鎌倉期)で、これは秘佛とされています》。
平隆寺は初めてだった。こういうところに連れてきてくれるところが、このツアーの人気の秘密なのだろう。いよいよ次回は八木周辺を歩く。「かぎろひNOW」によると、
「かぎろひ歴史探訪」第14期⑧最終回6月11日(木)近鉄大和八木駅10時出発事前申し込みなしの飛び入り参加OK(1500円)。お弁当、敷物などをお持ちください。雨天決行 そろそろ梅雨入り? 正蓮寺大日堂・入鹿神社の境内には紫陽花がいっぱい。雨を待っているようでしたが、少雨にしてね。
皆さ~ん、6月11日(木)近鉄大和八木駅、午前10時にお目にかかりましょう!
※トップ写真は朝護孫子寺本堂からの眺望

信貴山下駅の駅前には、かつて使用されていたケーブルカーとオルゴール水車が
本年(2020年)5月28日(木)には「信貴山から平隆寺」コースに参加した。参加者数は24人、別途スタッフが2人。コロナ騒動で4月26日(日)には参加者数が3人(別途スタッフが2人)だったことを思えば、8倍である。今回もよく歩いた。21,092歩、13.9km。健脚な豊永さんがコースを作ると歩行距離が長めになるが、日頃の運動不足解消にはもってこいだ。豊永さんのブログ「かぎろひNOW」によると、この日のコースは

童謡「きらきらぼし」を作詞した三郷町在住の児童文学作家、武鹿(ぶしか)悦子さん
の功績を讃えるため、三郷町と商工会、地元の学校で作る地域活性化連絡協議会が
製作。毎日計4回、定刻(午前9時、正午、午後3時、午後6時)に3分間奏でられる
近鉄生駒線信貴山下駅⇒(バス)⇒信貴山⇒千体地蔵⇒仁王門⇒猪上神社⇒成福院(石室十三仏)⇒舞台造り本堂⇒大日如来多宝塔⇒千手院(十三重石塔)⇒行者堂⇒休憩所(昼食、講座)⇒山内自由参拝⇒休憩所集合⇒ケーブル廃線跡⇒平隆寺⇒近鉄生駒線勢野北口

バスは急坂をぐいぐいと登る。下車後は旅館街を抜けて仁王門へ


バスで信貴山に登り、帰りは歩いて下る、という趣向だが、バスは信貴山の頂上(信貴山城址)までは行かない。朝護孫子寺から歩いて登るのだが、これが結構ハードだった(希望者のみの参加だが結局、ほぼ全員が登った)。

世界一大きいという張り子の虎
お寺のHPには《今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています》。


地上は相当暑かったようだが、山上には心地良い風が吹き、日陰はとても涼しい。大きなタオルを持参したが、そんなに汗はかかなかった。

こちらは、信貴山成福院の「石室十三仏」
日陰でランチを済ませたあとは、山道をひたすら登り、山頂をめざす。途中には大きな多宝塔や役行者を祀るお堂があった。





このあたりに「松永屋敷」などがあったそうだが、これは想像するしかない。
ケーブル廃線跡が道になっていて、そこを下る。ひたすら下ったところに平隆寺(三郷町勢野東2丁目11−60)がある。三郷町のHPによると《別名施鹿薗寺(せろくおんじ)、平群寺とも呼ばれ、聖徳太子建立46ヶ寺院の一つです。太子に仕え、この地で勢力を得ていた豪族平群氏の氏寺であり、太子安息の寺で、寺域は約1丁四方の伽藍で、盛時は東西1丁南北2丁、32坊を有していました》。

平隆寺(平群寺)本堂
《大和での数少ない飛鳥時代創建の寺院として、附近の古代瓦生産地とともに注目され、寺域は県の史跡に指定されています。現在の平隆寺は江戸時代の初期に再建され、本尊は石佛の阿弥陀如来(鎌倉期)で、これは秘佛とされています》。
平隆寺は初めてだった。こういうところに連れてきてくれるところが、このツアーの人気の秘密なのだろう。いよいよ次回は八木周辺を歩く。「かぎろひNOW」によると、
「かぎろひ歴史探訪」第14期⑧最終回6月11日(木)近鉄大和八木駅10時出発事前申し込みなしの飛び入り参加OK(1500円)。お弁当、敷物などをお持ちください。雨天決行 そろそろ梅雨入り? 正蓮寺大日堂・入鹿神社の境内には紫陽花がいっぱい。雨を待っているようでしたが、少雨にしてね。
皆さ~ん、6月11日(木)近鉄大和八木駅、午前10時にお目にかかりましょう!