読売新聞から取材を受けた。最初「tetsudaさんと、的場輝佳(まとば・てるよし)さんにご登場いただきます」と聞いて驚いた。的場さんは旧知の間柄だが、NPO法人「奈良の食文化研究会」理事で奈良女子大学名誉教授。こんな専門家と、一介の食いしん坊が並んで出ていいものかと迷ったが、「柿の葉ずしの話をメインにお聞きしたいです」と言われて安心した。吉野川・紀の川筋の柿の葉ずしは、普段から食べ歩いているし、紀州の実家では、秋祭りの頃に作っていたからだ。
※トップ写真は、吉野山「静亭(しずかてい)」の柿の葉寿司。葉は塩漬けしていない
ついでに志賀直哉の話をしたら、それも大きく紹介してくださった。志賀の随筆「奈良」は、奈良県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年の新年号!)の巻頭を飾った。そんなところで志賀が奈良の悪口を書くはずがない。小説の神さま志賀は、奈良をベタ褒めする随筆の中で、途中で少し落として最後に大いに持ち上げる、という手法を使った。そのなかの「食ひものはうまい物のない所だ」の9文字だけをつまんで、針小棒大に言い立てた輩がいただけなのである。しかもこれは82年のもの前の話だ。私はこれを講演の機会のあるたびにお話ししている(例えば奈良ロータリークラブさんの卓話)。
閑話休題。記事中の私の部分を以下に抜粋しておく。
New門(ニュースの門@奈良) 奈良に「うまい物あり」 古里の味
食(く)ひものはうまい物のない所だ――。作家の志賀直哉がかつて随筆にそう書き、地元の人もそれを受け入れているふしがある。実際はどうなのか。奈良の食をよく知る2人に語ってもらった。
大正末期から昭和初期にかけての13年を奈良で過ごした作家・志賀直哉の随筆「奈良」に「食ひものはうまい物のない所だ」とあり、これが独り歩きして、今もテレビ番組などで面白おかしく取り上げられるのを歯がゆく感じています。
この文章は、県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年)の巻頭に寄せたもので、悪口を書くわけがない。最後に「兎(と)に角(かく)、奈良は美しい所だ。(中略) 今の奈良は昔の奈良の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいやうに美しい」と賛美している。その前にある「うまい物」の部分は、文章に緩急をつけた箇所なのに、それが何十年も引用され続けている。
私は、京料理の「雅(みや)び」に対し、奈良の食べ物は「俚(さと)び」、つまり、里の味わいが特色だと思う。歴史の中で、農山村の行事や祭りが食と結び付いている。その代表格が、吉野地方で川開きの季節に各家庭で作る「柿の葉ずし」です。
残念ながら伝統食の多くは消えつつあるが、祭りの時におばあちゃんが山盛りを作って出してくれた料理を思い出し、「作ろう」「食べよう」となって次の世代へとつないでいけたらいいですね。
※トップ写真は、吉野山「静亭(しずかてい)」の柿の葉寿司。葉は塩漬けしていない
ついでに志賀直哉の話をしたら、それも大きく紹介してくださった。志賀の随筆「奈良」は、奈良県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年の新年号!)の巻頭を飾った。そんなところで志賀が奈良の悪口を書くはずがない。小説の神さま志賀は、奈良をベタ褒めする随筆の中で、途中で少し落として最後に大いに持ち上げる、という手法を使った。そのなかの「食ひものはうまい物のない所だ」の9文字だけをつまんで、針小棒大に言い立てた輩がいただけなのである。しかもこれは82年のもの前の話だ。私はこれを講演の機会のあるたびにお話ししている(例えば奈良ロータリークラブさんの卓話)。
閑話休題。記事中の私の部分を以下に抜粋しておく。
New門(ニュースの門@奈良) 奈良に「うまい物あり」 古里の味
食(く)ひものはうまい物のない所だ――。作家の志賀直哉がかつて随筆にそう書き、地元の人もそれを受け入れているふしがある。実際はどうなのか。奈良の食をよく知る2人に語ってもらった。
大正末期から昭和初期にかけての13年を奈良で過ごした作家・志賀直哉の随筆「奈良」に「食ひものはうまい物のない所だ」とあり、これが独り歩きして、今もテレビ番組などで面白おかしく取り上げられるのを歯がゆく感じています。
この文章は、県観光連合会の雑誌「観光の大和」創刊号(1938年)の巻頭に寄せたもので、悪口を書くわけがない。最後に「兎(と)に角(かく)、奈良は美しい所だ。(中略) 今の奈良は昔の奈良の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいやうに美しい」と賛美している。その前にある「うまい物」の部分は、文章に緩急をつけた箇所なのに、それが何十年も引用され続けている。
私は、京料理の「雅(みや)び」に対し、奈良の食べ物は「俚(さと)び」、つまり、里の味わいが特色だと思う。歴史の中で、農山村の行事や祭りが食と結び付いている。その代表格が、吉野地方で川開きの季節に各家庭で作る「柿の葉ずし」です。
残念ながら伝統食の多くは消えつつあるが、祭りの時におばあちゃんが山盛りを作って出してくれた料理を思い出し、「作ろう」「食べよう」となって次の世代へとつないでいけたらいいですね。
