tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

行基像は県下に三体、近鉄奈良駅前のブロンズ像は三代目!

2020年11月30日 | 奈良にこだわる
毎日新聞Web版(2020.11.29 15:00配信)に《「行基さん」近鉄奈良駅前に半世紀 実は初代の“生き写し”が2体…会いに行った》という記事が出ていた。行基像は近鉄奈良駅前のほか、霊山寺(りょうせんじ)と九品寺(くほんじ)にもそっくりな像があることは知っていたが、近鉄奈良駅前のブロンズ像は二代目だとばかり思っていた。それが三代目だったとは!とても行き届いた記事なので、以下に全文を貼っておく。
※トップ写真は近鉄奈良駅前の行基像。写真はすべて毎日新聞のサイトから拝借した

東大寺(奈良市)の大仏造立で知られる高僧・行基(668~749年)。地元では親しみを込めて「行基さん」と呼ばれ、行基像(高さ150センチ)が設置されている近鉄奈良駅前の広場は、住民や観光客にとって格好の待ち合わせスポットとなっている。この像、実は3代目で、しかも初代と同じ像が奈良県内にあと2カ所設置されているという。最初の設置から50年となる節目の今年、3人の行基さんに改めて会いに行ってみた。

行基は奈良時代、布教の傍ら貧民救済に奔走し、各地に橋や道路を造るなど社会発展に尽力した。寺にこもる僧が一般的だった時代、活動は時に異端視されて弾圧を受けることもあったが、晩年には聖武天皇に大仏造立を任され、日本で初めて僧侶の最高位・大僧正の位を授けられた。

近鉄奈良駅前に行基像が設置されたのは、駅前広場が完成した1970年のこと。奈良市によると、当時の市長だった故・鍵田忠三郎さんが「行基の精神を受け継ぎ、駅前のシンボルにしよう」と提案、広場の完成を記念して噴水の真ん中に設置した。



設置から50年目を迎えた行基像(近鉄奈良駅前)

像の制作を依頼されたのは、伝統工芸品・赤膚焼(あかはだやき)の窯元「大塩正人(まさんど)窯」(奈良市)の7代目、故・大塩正治(まさはる)さんだった。孫の正巳さん(58)は「およそ2年かかったと聞いた。あれだけの大きさの焼き物を作ったことはそれまでなかったので、祖父も相当苦労したと思う」と話す。


霊山寺の行基像

この時、「像が壊れた場合に備えて」作られたのが、他の2体。ただ、そのまましまっておくのはもったいないと考えた鍵田市長が、いずれも行基が建立したと伝わる霊山(りょうせん)寺(奈良市)と九品(くほん)寺(奈良県御所市)に贈った。3体とも東大寺の方向に向かって設置されたという。

行基広場の像は、その後、「行基さん」さながらの苦難の道を歩んできた。初代はいたずらで頭部を壊され、86年に正治さんが作り直した。2代目は雨風で傷みが激しくなり、95年に奈良市の彫刻家、中西重久さん(故人)がブロンズ製の3代目を制作した。これが現在の像だ。


九品寺の行基像

他の2体は現在もオリジナル
一方、他の2体は現在もオリジナルのまま。霊山寺では参道沿いに、九品寺では本堂脇で静かに参拝客らを見守っている。霊山寺の東山光秀(こうしゅう)管長は「像の前で手を合わせる人も多い。寺のシンボルとなるものを頂き感謝している」。九品寺の清水良彦(りょうげん)住職は「弾圧にも負けず、民衆の幸せを願って生き抜いた行基の像があることは、寺の誇り」と語る。

紅葉シーズン真っただ中の11月のある日、近鉄奈良駅前は多くの観光客らが行き交い、待ち合わせの人々が行基像を取り囲むように集まっていた。奈良市のパート従業員、古谷晴美さん(42)は「今日も『行基さんの前で待っているよ』と友人と約束した。50年、100年先も駅前のシンボルとして輝き続けてほしい」と話した。【加藤佑輔】
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