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田中利典師の『吉野薫風抄』白馬社刊(4)/修行によって験(神仏の思し召し・お計らい)を得る

2022年06月11日 | 田中利典師曰く
田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第4回の今回は「修行得験(しゅぎょうとっけん)」。師のFacebook(4/25付)から転載する。
※トップ写真は、吉野ロープウェイから望んだ吉野山の青もみじ(2022.5.20撮影)

シリーズ吉野薫風抄(4)/修行得験
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。よろしければご覧下さい。
 
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修行得験

「ある日、峰中勤行所の祠(ほこら)でいつものようにお勤めをしていると、一匹の蚊が飛んできた。見ていると、祠の前で坐っていた蛙にパクリと食われてしまった。その蛙、次の日もその次の日も祠の前に坐っていた」。

「3日目、またその祠に来ると、今度は一匹の蛇が例の蛙を飲み込もうとしていた。一瞬救けてやろうかなと思ったけれど、そんなことをしても何にもならんと思い返してやはりじっと見ていた。僕はこうして修行中にこの世の無常について教えられた…」と、ある修行者が行中での体験を話してくれた。

この話を聞いて、私は釈尊伝(お釈迦さまの伝記)の中にある同じような説話を思い出した。お釈迦さまがまだシャカ国の王子であった頃、農耕祭に臨席された。見ていると、耕された畑から一匹の虫が顔を出した。そこをすかさず空から小鳥が飛来してその虫をついばんだ。そして今度は大空から大鷲が飛来して一瞬のうちにその小鳥を食え去った。この光景を目のあたりにされ、人生の無常に目覚められたお釈尊さまはいよいよ出家の念を固くされたと、釈尊伝は伝えている。

ある行者とは今年の5月から大峯を行じている100日回峰行者である。彼が若きお釈迦さまが経験されたのと同じ体験を以って、人生の無常という真理を教えられたのは、まぎれもない神仏の思召しであろうし、回峰行者への御本尊のお計らいなのであろう。命を賭けて捨身の行、身心脱落の境地に至る抖擻三昧(とそうざんまい)の苦行を行じたが故に見せて頂くことが出来た、神仏の啓示(けいじ)なのだ。

修験とは修行得験(しゅぎょうとっけん)といわれ、修行によって験を得ると理解されるが、実にこの験が誤解されやすい。験というと霊験とか、霊感とかいう超自然現象、超能力にばかり結びつけられる傾向にある。しかしながら、験とは本来そんな狭い意味に理解していけないのである。

験とは神仏の思召し、お計らいの全てである。そして一番重要なことは、超自然現象を期待するのは神仏の思召しやお計らいの中でも次元の低いことであって、本当の思召し・お計らいとは諸法の真理を覚らせて頂くことにあるのである。仏の本懐(ほんかい)はまさにここにある。今回、回峰行者の修行談を聞いて、私は回峰修行に修験道の本道を進む者の姿を見たような、そんな気がしている。
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