tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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雪丸は、奈良県で最強のゆるキャラです!

2022年06月26日 | 観光にまつわるエトセトラ


南都銀行の社内報「なんと」298号(2022年春号)の巻頭言で、王寺町のキャラクター「雪丸」が紹介されていた。2013年(平成25年)に誕生した雪丸は、今や奈良県で最強のゆるキャラに成長した。その歴史や背景について、王寺町文化財学芸員の岡島永昌さんが詳しく紹介されている。知れば知るほど、大したキャラクターである。以下、全文を貼っておく。
※トップ動画は「大和川に鯉のぼりが舞う!~雪丸ドローンと鯉のぼり~」(制作=王寺町)

雪丸は最強のキャラクター
執筆者:王寺町役場 地域交流課文化資源活用係
    係長・文化財学芸員 岡島永昌(おかじま・えいしょう) さん


雪丸。奈良県でこの名前を聞いて、王寺町のキャラクターを思い浮かべない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。全国的な知名度はまだまだですが、平成25年に誕生したキャラクターが10年もたたないうちにここまで成長してくれたことを、とてもうれしく思っています。

キャラクターの雪丸が人気を博した背景には、三つの要件があると考えています。一つ目が、雪丸はペットの代表的動物といえる犬であること、二つ目が、日本で最も著名な歴史上の人物である聖徳太子が関係していること、そして三つ目が、雪丸に歴史的な物語がともなっていることです。

王寺町の達磨寺には、雪丸の石造物がお祀(まつ)りされています。所蔵される古記録「達磨寺略記」によれば、境内の北東角に犬塚があり、それは聖徳太子が飼っていた犬の墓で、名を雪丸と言い、人の言葉を理解し、お経を読み、亡くなる際に「自分が死ねば、達磨の墓の丑寅(北東)に葬るように」遺言したといいます。

達磨の墓とは、今も達磨寺本堂下にある古墳(達磨寺3号墳)のことで、聖徳太子が助けたものの亡くなった飢人(のちに達磨大師の化身とされる)が葬られているとされています。今もその北東に別の古墳(達磨寺1号墳)があり、それが犬塚、つまり遺言に基づいて埋葬された雪丸の墓だと考えられ、その前に雪丸の石造物がお祀りされるようになったと思われます。

石造雪丸像は、江戸時代の寛政3年(1791)に出版された『大和名所図会』の挿絵にすでに描かれているので、230年以上の歴史があることになります。

今、王寺町は雪丸で埋め尽くされているといっても言い過ぎではありません。駅前など町内の要所には雪丸のフィギュアが置かれ、王寺駅から達磨寺までは道路に足跡が示された「雪丸ロード」が続いています。町内のバス停標識には雪丸が描かれ、ゴミ収集車にも雪丸がラッピングされ、道路への飛び出し注意を促すあの看板も坊やではなくて雪丸。

1年生がランドセルに着ける反射材にも雪丸の顔が大きくデザインされています。多くの人がキャラクターの雪丸を自然と受け入れているのは、それがまったく想像(創造)の所産ではなく、数百年にわたって地域で伝えられてきた歴史物語がともなっているからだと思うのです。

王寺町では、昨年から雪丸の他にもう一つ、歴史物語をベースにした催しを始めました。その名も「全国だるまさんがころんだ選手権大会」。達磨寺は聖徳太子が達磨大師(飢人)と出会い、助けたと伝承される地に建立されています。『日本書紀』などによれば、太子が出会ったとき、飢えた達磨大師は道に臥せって倒れて(転んで)いました。

言うなれば、王寺町は日本で初めて“達磨さんが転んだ”地であり、このことから誰もが子どものころに遊んだことのある「だるまさんがころんだ」をチーム競技にアレンジして、全国大会を開催することにしたのです。

実際、昨年11月20日に第1回大会を行いました。コロナ禍のため参加選手を奈良県在住者に限定した「全国大会」となりましたが、多くの応援・観覧者もあって大変な盛り上がりを見せました。選手権大会のイメージキャラクターにしたのも、だるまを被った雪丸の「だるころくん」です。第2回大会は参加チームを増やし、文字どおり全国から選手を募って開催する予定です。

王寺町にとって雪丸は最強のキャラクターで、もはやプロモーションに欠くことのできない存在です。歴史物語をともなう雪丸とともに、ますます活気ある町にしたいと思います。




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