田中利典師の処女作にして最高傑作という『吉野薫風抄 修験道に想う』(白馬社刊)を、師ご自身の抜粋により紹介するというぜいたくなシリーズ。第7回の今回は「仏法に生きる」。
利典師は詩人・坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩を紹介され、真民さんの詩に感動する心から「自性清浄心」という仏の教えを説かれる。では師のFacebook(4/28付)から、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山上千本付近で撮影した吉野山の桜(2022.4.11)。
シリーズ吉野薫風抄⑦/「仏法に生きる」
自分のホントの心を偽って生きているのではないだろうかと、ふっと思う時がある。例えば腹立ちまぎれにどなったりして、そんな自分を虚しく思い、悪しき人などを口ぎたなくののしってそんな自分を哀れに思い、他人に親切に出来なくてそんな自分を悲しく思う。
心のままに生きているからこそ、怒ったり悪口一言ったりするんじゃないかと言われそうだけれど、本当にそうなのだろうか。人間の心って、元々はもっと清いんじゃないだろうか。だからこそ、そんなふうな時に、自分を虚しく思ったり、哀れに思ったり、悲しく思ったりするんじゃないだろうか、などと考えている。
私は詩人、坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩が好きだ。その真民さんの詩を紹介しよう。
「二度とない人生だから」
一輸の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから一匹のこおろぎでも
ふみころさないようにこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だからのぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月四季それぞれの
星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう
「一輸の花のごとく」
わが生よ一輪の花のごとく一心であれ
わが死よ一輸の花のごとく一切であれ
「無心」
一せいに咲き一せいに散る白木蓮の花
咲くも無心散るも無心
「花」
何が一番いい
花が一番いい
花のどこがいいか
信じて咲くのがいい
真民さんの詩に接していると、本当の自分の清い心がビンビンと感応する、そんな気がしてくる。どうです、そんな心持ちになりませんか。仏教の教義書には「本来自性清浄心」とか、「一切衆生悉有仏性」などと難解な表現でもって、人聞には本来的に仏となる可能性、清らかな心、仏の種が備っているだと説かれているが、これをわが身に鑑みて理解することは容易ではない。
しかし美しい心で美しく詩(うた)う清らかな言葉に感動する心を、仏心と呼んでかまわないとしたら、仏の教えはより身近なものになるにちがいない。真民さんの詩に感動する心と、自らの浅ましい行為に嫌悪する心は、実は根の所が一つなのであろう。それを仏は自性清浄心と呼ぶのである。
普段の生活では現れることの少なき真の自分がそこにある。だからこそ偽りなく生きねばならないのだ。仏法に生きるとは実はそういうことを言うのではあるまいか。
**************
これも若書きならではの青臭さがにじみ出ています(笑)。でもなんだかいまより、格段と純粋だなあと読み返しました。それにしても、真民さんの詩は歳をいき越すほどになお、心に沁みます。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。
利典師は詩人・坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩を紹介され、真民さんの詩に感動する心から「自性清浄心」という仏の教えを説かれる。では師のFacebook(4/28付)から、全文を紹介する。
※トップ写真は、吉野山上千本付近で撮影した吉野山の桜(2022.4.11)。
シリーズ吉野薫風抄⑦/「仏法に生きる」
自分のホントの心を偽って生きているのではないだろうかと、ふっと思う時がある。例えば腹立ちまぎれにどなったりして、そんな自分を虚しく思い、悪しき人などを口ぎたなくののしってそんな自分を哀れに思い、他人に親切に出来なくてそんな自分を悲しく思う。
心のままに生きているからこそ、怒ったり悪口一言ったりするんじゃないかと言われそうだけれど、本当にそうなのだろうか。人間の心って、元々はもっと清いんじゃないだろうか。だからこそ、そんなふうな時に、自分を虚しく思ったり、哀れに思ったり、悲しく思ったりするんじゃないだろうか、などと考えている。
私は詩人、坂村真民(さかむら・しんみん)さんの詩が好きだ。その真民さんの詩を紹介しよう。
「二度とない人生だから」
一輸の花にも無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから一匹のこおろぎでも
ふみころさないようにこころしてゆこう
どんなにかよろこぶことだろう
二度とない人生だから
つゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎを思い
足をとどめてみつめてゆこう
二度とない人生だからのぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月四季それぞれの
星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう
「一輸の花のごとく」
わが生よ一輪の花のごとく一心であれ
わが死よ一輸の花のごとく一切であれ
「無心」
一せいに咲き一せいに散る白木蓮の花
咲くも無心散るも無心
「花」
何が一番いい
花が一番いい
花のどこがいいか
信じて咲くのがいい
真民さんの詩に接していると、本当の自分の清い心がビンビンと感応する、そんな気がしてくる。どうです、そんな心持ちになりませんか。仏教の教義書には「本来自性清浄心」とか、「一切衆生悉有仏性」などと難解な表現でもって、人聞には本来的に仏となる可能性、清らかな心、仏の種が備っているだと説かれているが、これをわが身に鑑みて理解することは容易ではない。
しかし美しい心で美しく詩(うた)う清らかな言葉に感動する心を、仏心と呼んでかまわないとしたら、仏の教えはより身近なものになるにちがいない。真民さんの詩に感動する心と、自らの浅ましい行為に嫌悪する心は、実は根の所が一つなのであろう。それを仏は自性清浄心と呼ぶのである。
普段の生活では現れることの少なき真の自分がそこにある。だからこそ偽りなく生きねばならないのだ。仏法に生きるとは実はそういうことを言うのではあるまいか。
**************
これも若書きならではの青臭さがにじみ出ています(笑)。でもなんだかいまより、格段と純粋だなあと読み返しました。それにしても、真民さんの詩は歳をいき越すほどになお、心に沁みます。
◇◇
私の処女作『吉野薫風抄』は平成4年に金峯山時報社から上梓され、平成15年に白馬社から改定新装版が再版、また令和元年には電子版「修験道あるがままに シリーズ」(特定非営利活動法人ハーモニーライフ出版部)として電子書籍化されています。「祈りのシリーズ」の第3弾は、本著の中から紹介しています。Amazonにて修験道あるがままに シリーズ〈電子版〉を検索いただければ、Kindle版が無料で読めます。