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田中利典師の「墓じまい、寺離れを考える」

2025年01月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈『聖(ひじり)の社会学』(イースト新書)読破!〉(師のブログ 2017.8.26 付)。この本、私は読んだことがない。しかし興味深いので、私も(古書を)注文しておいた。著者の勝 桂子(すぐれ・けいこ)さんが、Jiin com に、こんな文章を寄せていた。

日本の仏教は、聖(ひじり)によって支えられた
中世日本の墓は村落墓地が主体でした。その村落墓地へ、通りがかりの旅のお坊さんを呼び止め、「生活の面倒はみるから、このお堂を守ってもらえないか」と頼んだのが、住職という職業の始まりといわれます。

異国と接していないものの、隣接する地域と山や海で隔てられたこの国では、旅人=哲学者であり、旅をする僧侶(聖)は人生の達人でありました。しかし、1つの寺を住職一家が支えるというこの風習は、複数の僧侶がサンガを形成して寺を守る海外の仏教とくらべ、僧侶の堕落も招きました。

聖(ひじり)はいまでも存在する!墓じまいによって、たとえば金銭の話しかしてくれないような堕落した僧侶との縁を切り、新たな弔い先を見つけようとする場合、慕えるお坊さん(=聖)を見つけてほしい。そういった思いのもと、寺と墓をめぐる社会的背景と死後事務などの法的手続きについてまとめた『聖の社会学』(2017、イースト新書)をこのたび上梓しました。

墓じまいをご検討中のかたをはじめ、宗教法人関係の案件を受けていらっしゃる士業の先生がたにも一読いただければと思い紹介させていただきました。


あと、AMAZONの「著者について」を紹介しておく。

著者について/勝 桂子(すぐれ・けいこ)
1965年東京都生まれ。行政書士、葬祭カウンセラー、ファイナンシャル・プランナー。国際基督教大学教養学部社会科学科にて仏教思想史を専攻(源了圓に師事)。卒業後、株式会社PARCO販売促進部にてイベント企画やパルコドラマスクールの制作を担当。

退社後、フリーの雑誌記者として、マガジンハウス刊行の雑誌「Hanako」、「自由時間」等に舞台、芸術、お笑い関係の記事やレビューを執筆。子育て中に行政書士資格およびAFP資格取得。2007年こちらOK行政書士事務所開業。遺言、相続、改葬等のほか、公益法人の設立・運営のサポートを手がける。

また、『いいお坊さん ひどいお坊さん』(ベスト新書)著者として各地の僧侶研修、一般向け講座などに登壇。 生きづらさと向きあう任意団体「ひとなみ」を主宰し、宗教者や医師、士業者、葬送分野の専門家と一般人をまじえた座談会を随時開催している。 東京観光専門学校葬祭ディレクター学科非常勤講師。


前置きが長くなった。以下に利典師の全文を載せておく。

『聖の社会学』(イースト新書)読破!
勝桂子さんの著書『聖の社会学』が手元に来て、9日がかりでようやく読み終えました。いいわけなのですが、私はすんごい遅読です。それは読むのが遅い、というより、読みかけのままで、次々に新しい本を手にしてを読み出すという癖があり、つねに20冊くらいは併読をしています。

それで、ついつい、1冊を読み終えるのに、時間を要してしまうのです。勝さんの本も、ものすごく読むほどに面白いと思いながら、9日も掛かってしまいました。で、先にお詫びをしなくてはいけないです。

この「聖の社会学」を読み始めての感想をFBにアップしましたが、はしがきのところだけを読んで、インサイダー、アウトサイダーという違和感について綴りました。これは大きな間違いだと読み終えて、思っています。

最初に論評したFBでは、ひろさちやさんの評論無責任主義をアウトサイダーという、過去に行ったシンポジュウムでの批評を加えて、ひろさんのスタンスになぞらえている部分がありましたが、大きな誤りでした。

ようは内外関係なく、いまの日本人の宗教事情についての、勝さんの憂いと提言が本書には満ちていることに気づきました。はしがきの印象だけで書いてしまったことをお詫びします。

本の中でも書いておられますが、内と外の間で、僧侶と一般の方の通訳をなさっているようなお立場に終始した著述でした。それゆえに、読み進むなかで、「そうそう、そうなんだよ、その通りその通り」と思うことがたくさんありました。

とはいえ、「え…」とか、「うーん」とか「これは違うなあ」と思うこともありましたが、それと同じくらい、「凄いなあ」と思うことがたくさんあって、かなりジェットコースターにのっているような気持ちで読んだのでした。(笑)

山折哲雄先生や小川英爾和尚や高橋卓志さん、井之上昭代さん、はたまた加藤悦子さんなど、本書に出てくる人間関係は私と重なり合うことも多く、出会うべくして出会った本だったと思いました。

昭和10年代から団塊の世代にかけての、敗戦の災禍がもたらしたあの時代人の精神文化の退廃も含めて、いまの「墓じまい」「寺院消滅」を推し進める流れは、もう何年も前から私もいろんな講演会などで警鐘を鳴らしてきていたので、本書の意図はよーくよくわかります。

…ま、寺院消滅は言い過ぎで、淘汰されるだけでなくなりはしないでしょうし、たくさんの立派なお坊さんが黙っていませんから改革されて、消滅せずに見事に生き残るお寺はたくさんあるはずです。

もしかすると、それより心配なのは宗派消滅なのではないかと私は思っています。ともかく大いに賛同することばかりでした。そりゃあ、いまの現状をみれば誰だってそうおもいますよね。

私のことをいうと、多くの方がご存じのとおり、奈良県吉野の総本山金峯山寺を中心とする修験教団「金峯山修験本宗」で45歳から60歳まで、あしかけ15年間は宗務総長という教団の重職を務めました。その間たくさんの教団改革を試みました。

もともとうちはお檀家を抱える檀那寺が末寺には少なく、いわゆる祈祷寺や個人で活動をする行者さんの修験教団なのですが、それでも戦後の歩みの中で、いろいろ硬直化していることも多く、幸い若くして管長様から宗務総長を任じられたおかげで思い切りチャレンジ出来ました。60や70になってから教団のトップをやっても、なんにもしませんからねえ。

そういう身の上故に、なお、あえて言うなら、この本に書かれている内容を僧侶自身、宗門自身が声高に言わない現実を、ときには腹立たしく、ときには憂いを感じながら、読み終えたのが正直な気持ちです。是非、なにはさておき、前線で活躍するお坊様方に読んでいただきたいと思いました。
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