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田中利典師の「北の巨星、堕つ」

2025年01月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈北の巨星、堕(お)つ〉(師のブログ 2017.8.18 付)。利典師が師と仰ぐ「北海道のくま先生」こと大行者のY師(山口順昭大和尚)が、91歳で逝去されたのである。利典師と弟さんの良知師は、わざわざ北海道まで弔問に出向かれた。以下、全文を紹介する。
※トップ写真は、椿寿庵(ちんじゅあん=大和郡山市)の椿(2010.2.6 撮影)

「北の巨星、堕つ」
北海道の新冠(にいかっぷ)在住のY先生。本宗内では知らない人のいない名物先生でした。私も若い頃から大変お世話になり、また行者としても、大きな影響を受けた巨星でした。

佐藤愛子さんの掌編小説「ヨシのキツネ」や、ひろさちやさんの「マンガ仏教全集」修験道の部で出てくる山伏など、先生が題材となった作品がいくつも世に出るほど、比類なき大山伏さんでした。

奇しくも、62歳の誕生日にその悲報を受けました。私にとって、思いの深い一日となりました。先生の威徳を偲んで、一文を認めます。

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Y先生ー。北海道のくま先生といえば、金峯山寺では知らない人のいない大行者でした。東南院の大峯奥駈修行では未だに伝説の名物奉行であります。法力、行力に勝れるばかりではなく、人を蕩(とろ)かす話術とその人徳は、多くの方々に慕われ、先生の周りはつねに大きな笑い声で満ちあふれていました。

ここ日高(北海道日高郡新ひだか町)の地で馬頭観音寺を開き、あまたの信徒を教化されるなか、私たち兄弟も20代の若き日、先生の下で、数ヵ月にわたり、随身修行のご縁を得ました。その間、数百数千の信者さま宅や馬屋のお祓いにお手伝いさせていただきました。

懐かしい先生との生活でしたが、いまにしておもえば、先生から受けたこの法恩が、宗務総長としての私の実績や、弟・良知管長の今日の活動の糧になっているのは申すまでもありません。

いただいた大きな恩徳に対して、なにもお礼らしいことがなせぬまま、お別れの時を迎えたことは後悔の念に耐えませんが、伏してここに御礼を申し上げる次第です。

馬頭観音寺住職としての活動、大峯行者としての活動、そして長きにわたっておつとめいただいた本宗宗議会議員・宗機顧問としての活動をはじめ、公私にわたるご交情を思うと、話が尽きぬ楽しい思い出の数々がよみがえりますが、91歳を一期として、大往生を遂げられた先生の霊前に「今生の大仕事、本当にご苦労様でした」「ありがとうございました」と申し上げて、今生惜別の一言と致します。

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お通夜は明日、本葬は明後日と決まっています。ここ2年あまり先生は病床にあり、昨年には兄弟二人でお見舞いにも来させていただきましたが、再度の見舞いが叶わぬままとなっていました。最後のお別れに、二人して参列をさせていただきたいと思います。
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