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田中利典師の「修験道といま(1)蓮華奉献入峰」(読売新聞)

2023年09月01日 | 田中利典師曰く
今日からの「田中利典師曰く」では、「修験道といま」(全5回)を順に紹介する。師が執筆し、2008年8~9月に読売新聞夕刊に連載されたエッセイである。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)

もう15年も前の文章だが、全く古さを感じさせないのは、さすがである。今日は「修験道といま(1)蓮華奉献入峰(れんげほうけんにゅうぶ)」(師のブログ2013.7.10付)から全文を抜粋する。

「修験道といま(1)蓮華奉献入峰」

おかげさまで今年の蓮華奉献入峰修行も無事終えることが出来ました。参加総勢103人。新客など何人かが途中でリタイヤしましたので、最終的は95人が満行できました。今年も大先達をつとめさせていただきましたが、ほんとに無事でほっとしました。

今年は私もいろいろなことがあったので、思いをもって望んだ蓮華入峰でしたが、たくさんの方々に支えられ、例年以上にありがたい修行となりました。

今年の蓮の花を山上本堂のご宝前にお供えし、大壇の上に登らせていただいて導師として勤行をしたとき、「これだけ多くの力で、応援、支援、祝福していることに気づけよ…」って言われたような、そんな気持ちにさせられました。

さて、毎年の蓮華入峰修行では多くのことを学びます。もう5年も前ですが、そんな蓮華での学びを読売新聞で5回にわたって、連載させていただいたことがあります。自分で言うのもなんですが、5年たっても、あまり色あせていないように感じます。よろしければご笑覧ください。

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「修験道といま(1)」蓮華奉献入峰

「さーんげさんげ、ろーこんしょうじょう~」と唱えながら大自然を跋渉する修験道の山修行。以前、「やりたかったんだよな、これ!」って呟いた女子大生の参加者がいた(注:東南院の大峯奥駈修行は後半行程に女性の参加を許可している。この女子大生の話はもう20年くらい前の奥駈でのこと)。

ここ10年くらいの間に、修験道の山修行は何度もマスコミに取り上げられ、年々注目を浴びつつあり、一般からの参加希望者も多い。とりわけ今年7月に行った蓮華会・蓮華奉献入峰修行に参加した人の顔ぶれは、現代社会を象徴するようだった。

蓮華会は私のいる金峯山寺の伝統法会で、大和高田市奥田地区の弁天池の蓮の花を、吉野山の蔵王堂をはじめ、大峯の諸神諸仏に献花する行事。奈良県の無形民俗文化財にも指定を受けている。

この行事の中で行われる「蔵王堂蛙飛び」は大きな着ぐるみの大青蛙が登場する奇祭としてつとに知られるところである。その蛙飛び行事の翌日8日に、吉野山から大峯山山上ヶ岳まで、山中に蓮華を供えつつ行ずるのが蓮華奉献入峰である。

さて今年の入峰参加者は97名。そのうち、宗内の教信徒以外の一般人は約半数。他宗門の僧侶のほか、さまざまな業種の方がいた。団塊の世代も多い。定年退職をして、その記念になにか自分を試したくて参加した人。妻に勧められて来たという人もいた。

例の姉歯建築士の耐震偽装問題の後始末に奔走している設計士もいたし、ニート、引きこもり、統合失調症など、心に病を抱える若者も来ていた。慶応大学の現役学生、一部上場の運送会社社長、農家のおやじ、公務員、占い師、鍼灸師、経営コンサルタントなどなど、例年にも増して多彩な顔ぶれだった。

彼らは山修行に一体なにを期待して参加しているのだろうか?あるいは現代人にとって山の修行はどんな意味をもつのだろうか?

修行を終えた参加者がぽつんと呟いた。「歩いている間中、足が痛くて痛くて仕方なく、もうやめよう、もう帰ろうと何度も思いましたが、終わってみると無事に修行し終えたことが有り難くて有り難くて仕方がありません。来年は是非もう少し身体を鍛え直して、みなさんに迷惑を掛けないように参加したいです…」。

また別の参加者は「さ~んげさんげ、と掛け念仏を唱えるたびに山の神仏に抱きしめられているような感動を覚えました」といった。

金峯山寺では5月から10月まで毎月一般の人に呼びかけて山修行を行っているが、その中でも7月の修行会は一日12時間も行ずる厳しい行程である。しかし厳しい修行の方が喜びを感ずる人が多いと私は思っている。
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