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田中利典師の「一陣の風のような山伏」

2024年12月13日 | 田中利典師曰く
今日の田中利典師曰くは、〈一陣の風のような人でした…〉(師のブログ 2017.4.29 付)。金峯山寺で約5年を過ごされた大峯行者・岩室院貫道さんへの追悼文である。利典師は、彼の葬儀(1999年)で弔辞を読まれ、それを『金峯山時報』の「蔵王清風」欄に書かれた。その文章をご自身のブログで紹介されたものだ。
※トップ写真は、「奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~」で、2024.12.3撮影

利典師は岩室院さんの修行ぶりを、「役行者の再来かと思えるような大修行」「行者の鑑(かがみ)」と書く。風のように到来して、わずか5年で風のように去って行った岩室院さん。私も、「これは人間ワザではないな」と舌を巻いた。彼はなぜそんなに生き急いだのか。以下の記事全文をお読みいただきたい。

「一陣の風のような人でした…」ー田中利典著述集290429
過去に掲載した金峯山寺の機関誌「金峯山時報」のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて拙文を本稿で転記しています。今回も昨日同様にかなり古い文章。18年前(1999年)のものです。今年(20217年)5月ではや19回忌になる、わが法友の大峯行者のお話。

彼の葬儀に弔辞として読み上げた文章を元に、「蔵王清風」に起こしたものからの転載です。昨日、大峯回峰のことを書いた文章を転記して、なんだか、急に彼を懐かしく思い出しました。

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「一陣の風のような人でした…」
平成6年に金峯山寺に47歳で入山し、そして平成11年6月、53歳でのお別れ。金峯山寺で過ごした年月はわずか5年。その僅かな間に、多くのものを僕達に残し、誰も出来ないような大きなことをあなたはやり遂げました。岩室院貫道さん、あなたは本当に一陣の風のような人でした。そしてなぜあなたがそんなにまで急ぐのか僕達はずーっと理解できませんでした。

平成8年、あなたが大峯百日回峰行に入る直前、突然「わしは裸足で行がしたいのに本山は許してくれへん」とあなたは泣き出しました。「何言うとるねん。そんな無理なこと許可できるはずがないやないか」となだめる僕達と夜遅くまで言い合いましたね。

不承不承でしたが、その時は地下足袋を履いて、修行されました。翌平成9年は笙ノ窟での二百日参籠修行。そのときは周囲の反対を押し切り、見事に裸足での山上ヶ岳日参行をやり遂げました。僕達はそんなあなたを驚愕の思いで見つめるのみでした。

そして昨年の「大峯奥駈一期三十三度修行」というとてつもない修行の満行。僕達が9日をかけて行ずる吉野から熊野までの行程を、なんと3日で歩き、続いて3日で戻ってくるというとんでもない修行です。その、まさに前人未踏の大修行を、5月から9月の間に、なんと33度もやり遂げられました。

本当に役行者の再来かと思えるような大修行でした。修行を終えて、「去年の修行で、大峯を裸足で歩いていたから、今年、歩き通せることが出来たんだ」と誇らしげにあなたは僕らに語ってくれましたね。

平成11年5月、たまたまその日金峯山寺の宿直をしていた僕はあなたの弟さんから「兄が末期の癌です。よくもって3ヵ月だと診断されました」という驚きの電話を受け取りました。声にならないほどのショックでした。

実は、あなたが体調不良のため、今年の修行と決めていた御岳百日修行を断念して、名古屋の病院に入院される前、「もう過酷な修行はええんちゃうの。とにかく今は身体を治して、これからは僕たちと一緒に金峯山寺の中で、多くの人の修行を導く指導をしてくれへんか」と話し合ったことがありました。

その時「やります。やらしてもらいます」と堅く握手をして、約束してくれました。そんなあなたが癌だったとは…。本当に哀しくて口惜しく、残念で仕方がありませんでした。でもようやく僕たちはわかったのです。なぜあんなにも急いで、過酷な修行を次々とあなたがこなしてきたのか。

あなたが愛したものはたぶん長年移り住んだ下呂の町と、美味しいお蕎麦と、そしてこのお山での修行だったと思います。その下呂の生活を捨て、吉野での修行に入ったあなたは、正にこの5年間を修行三昧で過ごされました。あなたにとって今生で残されていたのが5年間で、その最後の5年を惜しみなく使って、修行に没頭されたのですね。

今生をのんべんだらりと生きるのではなく、真剣に、命がけで、あなたは修行されたのです。だから急がねばならなかったんですね。貫道さん、あなたは本当に悔いのない今生での生き様を通されたんだと思います。

「僕達と一緒に人々を導く修行をしよう」という下化衆生(げけしゅじょう)の約束は反故になりましたが、きっと来世往生の上求菩提(じょうぐぼだい)の修行は満行されての今生だったと思います。でも必ず来世では一緒に下化衆生の修行をやりたいものです。約束ですよ。

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今もこの文章を読み返すと、彼を思い出して、涙ぐんでしまう。いい行者さんでした。行者の鑑といってもいいくらいの人物でした。合掌。
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