NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.10.9)掲載されたのは〈大和守る要衝 除疫神祭る/神波多神社(山添村)〉、執筆されたのは同会会員の藤井哲子さんだった。藤井さんのご主人が山添村のご出身なので、村のことには、とてもお詳しい。
※トップ写真は、神波多神社拝殿と本殿(右奥)=山添村中峰山で
本文中に、さらりと「盃状穴」という言葉が出てくる。厄除け祈願の痕跡かとも言われているが、よく分からない。以前、同会の藤村清彦さん(故人)が産経新聞奈良版の「なら再発見」で取り上げたこともある。10月26日(土)は、秋祭りの「天王祭り」(10月第4土曜日)なので、ぜひお参りいただきたい。では、全文を紹介する。
大和守る要衝 除疫神祭る/神波多神社(山添村)
「波多の天王さん」と呼ばれ広く信仰を集めている神波多(かみはた)神社は、名阪国道五月橋ICの南東部、中峰山(ちゅうむざん)地区の台地に鎮座しています。参道に立つ鳥居の背後には本殿に向かう急な石段、表面に円い穴が彫られた盃状穴(はいじょうけつ)が、複数残っています。
石段を登り振り返ると、参道が描く曲線が美しく、絵になる風景が広がります。その南西にある牛の宮は、秋に行われる天王祭りの神輿(みこし)のお旅所。天王の獅子舞が奉納され、牛の宮へのお渡りは郷愁を誘います。
創建の由来は、奈良に都が遷(うつ)った頃より疫病が流行し、大和の国の四境のひとつとして、また東国に通じる要衝の地であることから、除疫神(牛頭天王)が祭られました。
戦国時代の兵火で多くを焼失しましたが、江戸時代に再建された本殿は、五間社流造り、桧皮葺(ひわだぶ)き、千鳥・向唐破風(むかいからはふ)と様々な技法が用いられた社殿建築で、県の指定文化財です。
本殿裏の壁には「絵から抜け出す牛」が模写復元されています。諸国行脚の絵師が、本殿外壁に牛を描いて立ち去ったところ、夜な夜な絵から抜け出し、周囲の田畑を食い荒らし村人を困らせました。再訪した絵師が、牛のかたわらに松の木を描き添え綱でつなぐと、平穏が訪れたと伝わります。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)
(住 所)山添村中峰山310の1
(祭 神)須佐之男命他2柱
(天王祭り)10月第4土曜
(文化財)本殿(県指定)
(交 通)名阪国道五月橋ICから南へ約1㌔。駐車場なし。
(電 話)山添村観光協会 0743・85・0081
※トップ写真は、神波多神社拝殿と本殿(右奥)=山添村中峰山で
本文中に、さらりと「盃状穴」という言葉が出てくる。厄除け祈願の痕跡かとも言われているが、よく分からない。以前、同会の藤村清彦さん(故人)が産経新聞奈良版の「なら再発見」で取り上げたこともある。10月26日(土)は、秋祭りの「天王祭り」(10月第4土曜日)なので、ぜひお参りいただきたい。では、全文を紹介する。
大和守る要衝 除疫神祭る/神波多神社(山添村)
「波多の天王さん」と呼ばれ広く信仰を集めている神波多(かみはた)神社は、名阪国道五月橋ICの南東部、中峰山(ちゅうむざん)地区の台地に鎮座しています。参道に立つ鳥居の背後には本殿に向かう急な石段、表面に円い穴が彫られた盃状穴(はいじょうけつ)が、複数残っています。
石段を登り振り返ると、参道が描く曲線が美しく、絵になる風景が広がります。その南西にある牛の宮は、秋に行われる天王祭りの神輿(みこし)のお旅所。天王の獅子舞が奉納され、牛の宮へのお渡りは郷愁を誘います。
創建の由来は、奈良に都が遷(うつ)った頃より疫病が流行し、大和の国の四境のひとつとして、また東国に通じる要衝の地であることから、除疫神(牛頭天王)が祭られました。
戦国時代の兵火で多くを焼失しましたが、江戸時代に再建された本殿は、五間社流造り、桧皮葺(ひわだぶ)き、千鳥・向唐破風(むかいからはふ)と様々な技法が用いられた社殿建築で、県の指定文化財です。
本殿裏の壁には「絵から抜け出す牛」が模写復元されています。諸国行脚の絵師が、本殿外壁に牛を描いて立ち去ったところ、夜な夜な絵から抜け出し、周囲の田畑を食い荒らし村人を困らせました。再訪した絵師が、牛のかたわらに松の木を描き添え綱でつなぐと、平穏が訪れたと伝わります。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)
(住 所)山添村中峰山310の1
(祭 神)須佐之男命他2柱
(天王祭り)10月第4土曜
(文化財)本殿(県指定)
(交 通)名阪国道五月橋ICから南へ約1㌔。駐車場なし。
(電 話)山添村観光協会 0743・85・0081
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