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田中利典師の「山修行で我執を捨てる 古来の宗教観に戻れ」(日本経済新聞)

2023年09月12日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、日経新聞夕刊のインタビュー記事「修験道と現代 田中利典さんに聞く」の紹介である(師のブログ 2013.8.24 付)。この頃、師は備忘録的に、過去のインタビュー記事をブログに転載されていた。今回も、深い話を分かりやすく語っておられる。ぜひ、全文をお読みいただきたい。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)

「山修行で我執を捨てる 古来の宗教観に戻れ」(日本経済新聞夕刊)
過去にいくつかいろんなメデアの取材を受けたが、当初はネット上にあっても、そのうち消えてしまうものが多い。手元のデータも残っていないものもある。備忘録として、そのうちのいくつか、心に残っているものを転記しておきたい。よろしければご覧下さい。

「山修行で我執を捨てる 古来の宗教観に戻れ ー 修験道と現代 田中利典さんに聞く」
(日本経済新聞 2010.3.4 夕刊)

〇あなたは無宗教ではない
2月下旬、平日の昼下がり。桜の季節にはごった返す奈良県吉野山に、人かげはまばらだ。修験道の本山、金峯山寺(きんぷせんじ)を訪れると、山伏の田中利典さん(54)の話は、日本人の宗教意識から始まった。

「『宗教』とはそもそも、明治になって英語のレリジョンを翻訳した言葉ですよね。ですから、この語は欧米が宗教をどうとらえているかを反映している。それは、唯一絶対の神を持つ一神教にこそ価値があるという考え方です。もちろん日本も古来、信仰、信心がありました。しかし、唯一絶対の神はいなかった」 

「お宮参り、初詣で、墓参り、結婚式、葬式。生まれてから死ぬまで宗教に触れていながら、尋ねれば『私は無宗教』と答える人が多い。無宗教とは、宗教的なものにかかわらないということです。日本人は無宗教ではないのに、一神教の立場からは、いいかげんに見えてしまう」

「あなたの言うのは習慣、風習であって、宗教ではないと反論されるかもしれませんが、私は風俗になっているものこそ宗教だと思う。あれもよい、これもよいという、ごった煮で大ざっぱなものを欧米は宗教とは呼ばない。でも日本では宗教です。卑下する理由はありません」

自然の中に神、仏を見る。自然を神、仏そのものだと惑じて畏(おそ)れる。そういう心性で、自然とどうつきあうかを問うてきたのも日本人ではなかったか。それは確かに、宗教心といっておかしくない。

「こうした心のありようは明治以降、次第に壊され、忘れられてきました。神仏をともに大切にし、『ご先祖さまに顔向けできない』とか、『お天道さまが見てござる』と言って、自分を超えたものに価値を見いだす。そういう倫理観が昔はあった。今はすっかり自分中心になりましたが、それでも宗教は生活のあちこちに残っています」

〇世界は思うようにはなりません
ごった煮で大ざっぱな宗教心は、猥雑(わいざつ)に通じる。その猥雑性が修験道にはあると、田中さんは説く。修験道は「日本古来の山岳信仰に神道、仏教、道教などの思想が融合してできあがった」といわれる。しかし、そんなにスパッと割り切れる修験道は見たことがないという。

山の宗教、山伏の宗教であり、山修行という実践を旨とする宗教であり、大自然のそこかしこに聖なるものを見いだす多神教の宗教である、と田中さん。ただ、庶民の間で芽生え、伝えられてきたものだから、臨機応変、融通無碍(ゆうずうむげ)なのだという。

「修験道の修行とは、山で自然と向き合い、己の体を使って超自然的な力、霊的な力を感得する、ということです。得られる力を験力(げんりき)といいます。そのための方法論が修験なのです。だから、『教』でなく『道』であり、山伏にはお坊さんも神官も、もちろんアマチュアの方もいる」

「昔の山伏は山に入りっ放しだったのでしょう。今では修行は非日常であり、非日常で得た力を日常に生かす、それが修験です。山を歩けばその人なりに何かがつかめる。道中を行ずる、その過程に最も大きな意味があって、ただ目的地に着くために歩いているわけではありません。巡礼と似ているかもしれません」

吉野から熊野へ。「靡(なびき)」と呼ばれる聖なる場所に祈りをささげながら、170キロを7泊8日で歩き通す大峯奥駆(おおみねおくがけ)は、肉体的にもきわめて厳しい難行として知られる。そうした修行で得られるものとは何だろう。

「我(が)を解き放つ、ということです。我執があるからこそ、つらかったりめげたりする。自分の都合通りにならないと理不尽だと思う。かといって、世界は自分の思うようにはならないものだと頭で考えていても心に刻まれません。自然の中で体を酷使して聖なるものに触れる。その体験によって、我を捨てるという意味を心に刻むことができます。我にとらわれなければ、理不尽だという思いもなくなる。きのうをくよくよし明日を心配する。そんな自分を超えたものと対峙(たいじ)することで、心は本当に楽になります」

〇まだ間に合います
歌舞伎「勧進帳」の弁慶を思い浮かべるまでもない。かって修験道、山伏は身近な存在だった。田中さんによれば、人口3500万人だった明治初年の日本に、修験者が17万人いた。その後の神仏分離政策で、神仏習合にもとづいていた修験道には廃止令が出された。金峯山寺も一時、廃寺の憂き目をみている。今また関心を集めるのは、行き過ぎた「自分中心主義」への反省からだろうか。

「修験では『山の行(ぎょう)より里の行』とよく言います。二つの意味があって、一つは山での修行を日常で生かすということ。もう一つは、本当に困難なのは日常の生活なんだということです。その日常がいまは我執にがんじがらめになっている」

「しかし、日本人が古くから持っていたものがいかに大切か、気づかなければならない。三つ子の魂百までと言います。私たちは自分の外にあるさまざまなものを畏れ、宗教的な価値を見いだしてきた。今は習慣に残っていることの意味を忘れていますが、まだ間に合う。思い出せる」

「自分も山の修行に行っていなければいやな坊さんになっていたと思う。山修行は大嫌いでしたが、山中を歩く中で自分に届いてくることはおのずから違います。仏教も近代合理主義に染まって、頭の中でのみ考える傾向がありましたから」

「一即多」という言葉がある。金峯山寺では本尊、金剛蔵王権現が信仰の中心だが、他を否定はしない。一に集約できる多神教、あるいはすべてを肯定する一神教――。宗教の世紀ともいわれる今世紀の修験道の核心は、そのあたりにありそうである。(編集委員 小林省太)
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