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田中利典師の『はじめての修験道』(春秋社刊)まえがき

2023年08月26日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈自著(2)『はじめての修験道』〉(師のブログ 2013.6.9 付)。師と正木晃氏との共著『はじめての修験道』(春秋社刊)の巻頭文(まえがき)である。「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録(2004年7月)された直後に刊行された。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)

〈自著の中では1番売れている本かもしれません。現在で4刷目。爆発的に売れるような本ではありませんが、ぼちぼち長く売れているのは嬉しいですね〉とのこと。今は5刷目だそうだ。共著なので、この文章も2人でお書きになった。では、以下に全文を紹介する。



自著(2)『はじめての修験道』
私の文章が載った書籍の紹介を終えましたが、自分の自著の紹介を引き続いて行っています。共著も入れて、計4冊。今日はその第2弾。『はじめての修験道』出版社: 春秋社 (2004/11)

本書は処女作『吉野薫風抄』の推薦文も書いていただいた盟友の正木晃先生との共著。私の自著の中では1番売れている本かもしれません。現在で4刷目。爆発的に売れるような本ではありませんが、ぼちぼち長く売れているのは嬉しいですね。2人で書いた巻頭の文章「表白」を以下転記します。

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「表白」
修験道というたぐいまれな精神文化を知ってほしい。山伏の本当の姿を知ってほしい。そういう想いから、この本は書かれている。書いたのは、現役の山伏と大学の宗教学者という2人組だ。

修験道は、1300年以上も前に活動した役行者が開祖だ。自然を先生として学び、日本古来の神々とインドからやって来た仏教の仏菩薩を、分け隔てなく尊崇する宗教だ。この修験道を実践する者を、修験者あるいは山伏という。験(験力=霊力)を求めて修行するから修験者、山に伏して修行するから山伏と呼ばれる。

わかりやすい例をあげると、宮崎駿さんのアニメ『となりのトトロ』や『もののけ姫』に描かれているみたいに、自然と人間が共生している世界が、修験道や山伏の世界なのだ。

ところが、山伏というと、テレビの時代劇では、悪役と決まっている。悪代官から「おぬしもワルよの~」といわれて喜ぶ悪玉商人の越後屋とか大黒屋などと並んで、ひどい嫌われ役で、当然だけれど、哀れな斬られ役でもある。どうしてこんなことになってしまったのか。原因は、明治維新から後の日本の歴史にある。

まず、明治政府は、修験道を徹底的に弾圧した。ひたすら富国強兵をめざした権力中枢からすれば、なによりも自然が大切と考え、地域に根付く神々や仏菩薩をあがめる修験道は「後進国日本」の象徴だったらしい。そこで、弾圧して、抹殺しようとした。あれほど仲睦まじかった神と仏も、むりやり離婚させられた。

この危機を、修験道は必死の努力で切り抜けはしたものの、修験道は迷信っぽくてくだらない宗教で、山伏は野蛮な悪い奴というイメージが、人々のあいだに定着してしまった。

大正も昭和も、その点はさして変わらなかった。修験道は弾圧こそされなくなったが、あいかわらず冷遇された。いまでも、山伏というと、テレビの時代劇では、悪役と決まっているのは、そのなごりといっていい。しかし、最近は事情が少しずつ変わってきた。修験道や山伏を再評価しようという気運が盛り上がってきているのだ。

特に平成16年(2004)7月、修験道の聖地として有名な吉野が、熊野や高野山とともに、世界遺産に登録されたことが非常に大きい。自然を先生として学び、日本古来の神々とインドからやって来た仏教の仏菩薩を、分け隔てなく尊崇する修験道こそ、日本の伝統文化の粋であり、世界に向かって誇るべきものだということが、ようやく理解されはじめたらしい。

あまり大きな声では言えないが、日本の伝統的な宗教や精神文化のなかには、賞味期限が切れかかっているものがかなりある。時代の変化に付いていけず、腐りかけていたり乾ききってしまっているのだ。

その点、修験道は賞味期限がまだたっぷり残っている。いや、それどころか、これからの対応次第で、ますます美味しく、しかも賞味期限が延びる可能性すら秘めている。では、これからの対応とは、いったいどういうことか。

それは、みなさんに、修験道というたぐいまれな精神文化を知っていただき、山伏の本当の姿を知っていただくことに尽きる。この本を書いたのが、現役の山伏と大学の宗教学者という二人組なのも、そこに理由がある。いわば現場と研究室から、最も新鮮な、しかもかたよらない情報を提供するためだ。

そして、できるなら、明治維新の神仏分離からずっと、近代化を推進する精神的な原動力として、日本人の頭を洗脳してきた一神教的な価値観をはらい清めたい。修験道のように、大自然と深く関わり、神と仏が仲良く暮してきた多神教的な価値観こそ、荒廃した日本人の心身を癒し、ひいては世界中の人々の心身を癒す、最高の方途なのだから。私たちは固くそう信じている。

この本を書くにあたり、さまざまな方々にお世話になった。まず、世界遺産登録にご尽力いただいたすべての方々に、あつくお礼申し上げたい。

修験道の信仰を、苦難を乗り越えて紡いできた先人たちの恩徳に感謝したい。そして、修験道大結集に賛同していただいた現代修験の正統なる継承者のみなさんと、世界遺産登録の喜びを分かち合うとともに、大護摩供出仕にあつくお礼申し上げたい。

春秋社の神田明社長、鈴木龍太郎編集長をはじめ、編集部と営業部の方々には、企画から本作りの最終段階まで、いろいろなところでお世話になった。とりわけ編集部の桑村正純さんには、具体的な作業のすべてにおいてご協力いただいた。あつくお礼申し上げたい。

平成16年9月吉日 田中利典 正木晃
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