tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

奈良ものろーぐ(10)前登志夫/吉野の風土に生きた歌人 

2017年02月21日 | 奈良ものろーぐ(奈良日日新聞)
毎月第4金曜日、奈良日日新聞に連載している「奈良ものろーぐ」、前回(2017.1.27)掲載されたのは「第10回 前登志夫 吉野の風土に生きた歌人」だった。生前、氏にお目にかかったことはないが、下市町ご出身・在住でいらっしゃったので、ご活躍にはいつも注目していた。『日本人名大辞典』によると、
※写真は広橋梅林の梅(吉野郡下市町広橋)

1926−2008 昭和後期-平成時代の歌人。大正15年1月1日生まれ。詩人として出発したが,昭和30年前川佐美雄に入門し短歌に転じる。郷里の奈良県吉野で林業をいとなむかたわら,自然を背景とした土俗的な歌をつくりつづけた。43年から「山繭の会」を主宰。53年「縄文紀」で迢空(ちょうくう)賞。平成10年「青童子」で読売文学賞。17年「鳥總立(とぶさだて)」で毎日芸術賞,長年にわたる短歌の業績で芸術院恩賜賞。同年芸術院会員。平成20年4月5日死去。82歳。同志社大中退。本名は登志晃。評論に「山河慟哭」など。

前氏はもともと詩人で、『宇宙駅』という詩集もある。ご本人が「異常噴火」と語るような転機を経て歌にのめり込む。歌人としてのスタートは
「かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり」(『子午線の繭』)

という一首だった。前置きが長くなった。以下、全文を紹介する。

 前登志夫歌集 (短歌研究文庫 (22))
 前登志夫
 短歌研究社

故前登志夫(まえ・としお)氏は、妹さんが私の母と吉野女学校の同級だった関係で、高名な歌人として早くから存じ上げていた。生家は、梅林で知られる吉野郡下市町広橋。

新聞などで氏の随筆を見つけると、いつも懐かしい気持ちで拝読したし、市民大学「万葉びとの歌ごころ」(NHKEテレ)も毎回待ちかねて視聴した。万葉の心が血肉化している氏ならではのお話だった。氏は生涯のほとんどを吉野の山中で過ごし、自らを「山人」と呼んだ。こんな美しい歌がある。
「散りのこる山のさくらは日もすがら杉の木群(こむら)に流れ入るなり」(『樹下集』)

記紀によれば、吉野川をさかのぼってきた神武天皇は、吉野で尾生ふる人(尻尾のある人)に出会う。この伝承を踏まえて氏は
「国原をめぐれる青きやまなみをしみじみと見む生尾人(せいびじん)われは」(『鳥獣蟲魚』)

と詠んだ。半人半獣の尾生ふる人の末裔に自らを仮託したのである。氏には『森の時間』という不思議な味の短編小説集がある。主人公は吉野の山中に住む人たち、背景には吉野の風土がある。


 森の時間
 前登志夫
 冨山房インターナショナル

村にツキノワグマが出たので罠を仕掛けてとらえた。しかしこの熊をどう処分するか、村人の意見が分かれた。森へ戻そうという声も出たが、やはりそれも怖い。結局《熊の入った檻をみんなで担いで行き、川へ沈めた。熊はそんなに暴れることもなく、水中で潜りをするように檻の中で身を平たくしたという》(「沈められた熊」)

精神を病み、石牢に入れられていた清十郎という村人がいた。それを苦にして半病人となった母親が亡くなった。《「狂ってる息子を眺めながら、心を残して死んでいかはりました。あの椿の花が今いっぱい咲いてきれいでしてなぁ――。みんな泣いてましたんやけど、あのひとの葬式が出るときにねぇ、清十郎はん、からから笑いながら、『きれいな結婚式やなぁ』っていうんですわ……。それ聞いた時、わたしらみんな、かなしうなって声をあげて泣きましてん……」》(「月夜茸」)


 魂の居場所を求めて
 白洲正子/前登志夫
 河出書房新社

10年前、氏は講演会でこんな話をされた。吉野の風土は俗界を超越している。自然は永劫の時間の中にある。やがて草木は実をつけ、水は岩を打って落ちる。《そのかたわらをわれわれは、ほんのしばらくの間だけ、そこをふっと通り過ぎるだけなんです。そこが見えないんですね。見えないから自分はもう、地球を手のひらの上に乗せたような、世界中みんなわかったような気持ちでおりますね。それはひとつ非常に怖いことだと思います》(森と水の源流館報告書 平成19年10月)。
 
自然に生かされ自然と同化し、永劫のものとつながる、そんな自らを詠んだ歌がある。
「山道に行きなづみをるこの翁(おきな)たしかにわれかわからなくなる」(『鳥獣蟲魚』)

吉野にこだわり続けた氏の歌は、混迷の現代社会においてますます輝きを増している。


広橋梅林の梅も、まもなく見頃を迎えることだろう。広橋に足を運ばれたおりには、ぜひ前登志夫氏の偉業に思いをはせていただきたい。

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大仏うどん(毎日新聞「ディスカバー!奈良」第4回)

2017年02月20日 | ディスカバー!奈良(毎日新聞)
毎日新聞奈良版(毎週木曜日)に好評連載中の「ディスカバー!奈良」、2月2日(木)付で掲載されたのは《大仏うどん 奈良市の「鶴の茶屋」》だった。初めて奈良市に移り住んだ頃(1978年)「奈良では、何でも大きいものには『大仏』ってつけるんやなぁ」と思った。

この「大仏うどん」は存じ上げなかったが、大きいのではなく、大仏さまのお顔をかたどったカレーうどん!なのである。筆者は「走るソムリエ」2号の楠田英雄さん。全文を紹介すると、

春日大社参道半ばにある「鶴の茶屋」。豊富な種類のソフトクリームなどで多くの海外からの観光客も足を止める場所ですが、ここでしか味わえない特別メニューがあります。それが「大仏うどん」です。

「大仏」と名がつくものは、以前からステーキやプリンなどがありましたが、「大仏の姿」をしているのは私の知る限り、この「大仏うどん」だけです。梅干しがおでこの白毫(びゃくごう)で、肉団子が髪の毛にあたる螺髪(らほつ)。食べるのが惜しくなります。気になるのは顔の油揚げの巾着で、なんと中からはカレーが!仏さまがインドから伝わってきたからでしょうか。

はるかなるシルクロードまで歴史のロマンを感じさせてくれる「うどん」も、そうはないでしょう。ちなみに、お店の外の紹介文には外国の方のために「buddha noodles」と書いてあるのはご愛嬌(あいきょう)。メモ 春日大社表参道バス停降りてすぐ【奈良まほろばソムリエの会 楠田英雄】


油揚げの中にカレーとは、よく考えたものである。お寺で使う塗香(ずこう)には、鬱金(うこん=ターメリック)が使われているので、カレーの香りがする。だから「カレーは奈良時代に奈良で生まれた食べ物である」と極論する人もいるほどだが、塗香はインドから伝わったものである。麺類は中国発祥で、西洋に伝わってパスタ、日本に伝わってそうめんやうどんになった。豆腐も中国由来の食べ物だ。仏教伝来のルートで伝わったものなので、これらを1つの丼に収めたアイデアは秀逸である。

楠田さん、興味深い記事を有り難うございました。私もいただいて、紹介したいと思います!

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国宝仏、そんなにエライか!?/または ボク宝のすすめ

2017年02月18日 | 観光にまつわるエトセトラ
過日、得がたい経験をした。知人のYさんのFacebookで、話題が妙な方向に外れかけていたので、「これは軌道修正しないと」と思って(善意で)コメントを入れたところ、Yさんのお友だち(女性)から、こっぴどく叱られてしまったのである。
※画像はすべて一太郎2017から転載

その後、心やさしいYさんはコメントをすべて削除されたが、私のメールソフトにはその記録が残っている。当ブログのご愛読者の参考になると思うので、ここで再現してみたい。Yさんのお友だちも、ここまでは追っかけてこないだろうし…。

ときは2月15日(水)の夜。20時半過ぎにNPOの会議が終わって帰路につき、バスに乗り込んだところでYさんのタイムラインを見た。そこにYさんは、銀閣寺は国宝だが金閣寺は国宝ではない、ということを60歳を過ぎて初めて知った、と書かれていた。より正確に書き直すと「慈照寺の観音殿(銀閣)は国宝だが、鹿苑寺の舎利殿(金閣)は国宝ではない」ということだ。Yさんはこのようにスレッドの立て方が天才的にうまいので、いつも感心しながらFacebookを拝見している。

鹿苑寺舎利殿(金閣)は昭和25年に放火され、建物と仏像を焼失した。この事件は三島由紀夫の『金閣寺』や水上勉の『五番町夕霧楼』『金閣炎上』 などでよく知られている。焼失したので国宝指定も解除された。現在の建物は、昭和30年になって再建されたものである。

最近になって新築された建物は、通常は国宝にはならない。伊勢神宮の正殿も、式年遷宮のたびに建て替えられるので、国宝ではない。春日大社の本殿にも式年造替の制度があるが、これは新築ではなく修繕なので、国宝に指定されている。過去には本殿を新築していた時期があり、旧本殿は他の神社に移築された(撤下という)。柳生の円成寺(えんじょうじ)に移された春日堂と白山堂は、現存最古の春日造建築として、国宝に指定されている。

と、ここまでは良かった。マトモな議論がなされていたのだ。しかしこのあとがいけない。Sさんという女性(Yさんのお友だち)が「昨日くもじぃのテレビで言ってましたが、安倍文殊さんの、仏像は国宝に指定されたらしいですが、飛鳥寺の仏像は、国宝から、重要文化財に格下げされたそうですよ」「その、選出にも、色々あったようで…」等々と書いたのだ。 「くもじぃのテレビ」とは、「空から日本を見てみよう」(BSジャパン)だ。くもじいこと伊武雅刀が案内するバラエティ番組である。



「安倍文殊さんの、仏像は国宝に指定された」は正しい。まだ最近(平成25年6月)のことだ。しかしこれと対比する形で「飛鳥寺の仏像は、国宝から、重要文化財に格下げされた」 と書くのは間違いだし、飛鳥寺にも失礼である。なので私はすぐに「それは旧国宝の話では」とコメントした。私の生まれる前の「昭和25年」の話である。

「国宝」(national treasures)のコンセプトはフェノロサが考えたものだが、この言葉の意味は文化財保護法施行(昭和25年)以前と以後とでは、全く異なる。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財(美術工芸品および建造物)はすべて「国宝」と称されていた。このあたりのことは、Wikipedia「国宝」に詳しく記されている。一部を引用すると、

古社寺保存法および国宝保存法の下で指定された「国宝」は1950年(昭和25年)現在で宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件に及んだ。これらの指定物件(いわゆる「旧国宝」)は文化財保護法施行の日である1950年(昭和25年)8月29日付けをもってすべて「重要文化財」に指定されたものと見なされ、その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。

混同を避けるため旧法上の国宝を「旧国宝」、文化財保護法上の国宝を「新国宝」と通称することがある。文化財保護法による、いわゆる「新国宝」の初の指定は1951年(昭和26年)6月9日付けで実施された。

以上のように「旧国宝」「新国宝」「重要文化財」の関係が錯綜しているため、「第二次世界大戦以前には国宝だったものが、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多い。

旧法(古社寺保存法、国宝保存法)における「国宝」(旧国宝)と新法(文化財保護法)における「重要文化財」は国が指定した有形文化財という点で同等のものであり、「格下げ」されたのではない。また、文化財保護法によって国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もない。




このように《重要文化財に「格下げ」された例は1件もない》のだ。もしBSジャパンが誤った報道をしたのなら問題だと思い、ネット動画でこの番組(2/14放送分)を見た。すると番組では図解を入れながら、上記「指定替え」の話がわかりやすく解説されていたので、これは単なるSさんの誤解(または早とちり)に過ぎないことが判明した。

しかしSさんは、国宝仏でないと知るとガッカリする、等々と書き、私は「国宝仏だから有り難い、国宝仏でないから有り難くないということはあり得ません」と書いた。Sさんは「そんな人もおられますよ。マニアならね。私が言う意味は、飛鳥に想いを馳せて来て、飛鳥大仏の荘厳な姿に触れて、これは、国宝ではないのだ、と驚かれる、と言うことです」と書いた。

私は仏像マニアではないが、国宝かどうかで信仰心や有り難みや感動が変化する、などということが信じられない。過去に私が最も感動した仏さまは長谷寺の観音さま(木造十一面観音立像)だ。こちらは国宝ではなく重要文化財だが、それが何であろう。仏像は美術品ではないのだ。四国八十八ヶ所霊場は3分の2ほど巡拝したが、仏さまのお顔を見て拝んだことは1度もない。仏像が安置された厨子の扉に向かって拝んだのである。



みうらじゅんは国宝ならぬ「ボク宝(ほう)」という。つまり「国宝よりも大切なボクだけの宝物」というわけで、これが宝物に接する正しい態度ではないだろうか。第一、室町時代より新しい時期に造立された国宝仏など、聞いたことがない。新しい仏像は有り難くないのだろうか。

しかしSさんはまだ理解できない様子で、「なんか、私に恨みでも…」「もう、何も申しません!!」「この場の雰囲気が、メチャメチャになっても、それでも譲れない!て仰るのなら、今後いっさい、Yくんの歴史ネタには、参加しないです」(夜中の23時9分)と書かれてこのやりとりは一旦修了(後日、Yさんはすべてのコメントを削除された)。

文化財保護法で制度が変わったことは、ちゃんと知っておくべきだし(「空から日本を見てみよう」もきちんと伝えていた。それを見落としたのは致命的だ)、国宝指定と「有り難み」「感動」は全く関係がない。どこを「譲る」というのか、理解に苦しむ。

本と違ってテレビ番組は、よほど注意して見ないと大事な所を見過ごしてしまうので、誤解が生じるモトになる。Yさん、このたびはやきもきさせて失礼しました!
コメント (7)
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ならまち花あかり(元林院復興イベント)/2月25日(土)26日(日)に開催!

2017年02月16日 | お知らせ
「第2回 ならまち花あかり」(奈良・元林院花街復興プロジェクト主催、奈良市共催)が2月25日(土)と26日(日)に開催される。毎日新聞奈良版(2/6付)「ならまち花あかり 芸舞妓が踊りやお座敷遊び披露 奈良で25・26日」によると、

町家が並ぶ奈良町(奈良市)に全国11花街(かがい)から芸舞妓が集い、踊りやお座敷などを披露する「ならまち花あかり」が25、26両日、奈良市で行われる。同市内の花街・元林院(がんりいん)の芸妓(げいこ)、大野菊乃さんが代表を務める「元林院花街復興プロジェクト」が主催する。

25日午後2時、舞踊公演「大和をどり」がならまちセンター市民ホール(同市東寺林町)で開催(1人7000円)。奈良市内で約60年前から舞われていた踊りなどを元林院の3人を含む全国の芸舞妓が披露する。同日午後7~9時には芸舞妓の踊りやお座敷遊びを楽しめる大宴席を、いずれも奈良市高畑町の▽旅館「四季亭」▽料亭「菊水楼」▽奈良ホテルで開く(同1万8000円~5万円)。

26日は午後1時に「全国花街伝統芸能シンポジウム」を同市水門町の東大寺総合文化センターで行う(無料)。元林院に伝わる踊りを芸舞妓らが舞い、花街文化についてトークがある。同日午後3~5時には同市元林院町の界隈の店で、芸舞妓の接待で日本酒を楽しむ「元林院花街日本酒バル」も催される(チケット1500円)。各イベントは予約制。申し込みは奈良市観光協会(0742・27・8866)。【和田明美】


公式HPの同イベント紹介ページは、こちらである。25日(土)には二の足を踏む向きにも、26日(日)のシンポジウムとバルには、ぜひご参加いただきたい。同サイトには、

「全国花街伝統芸能シンポジウム」
奈良・猿沢池のほとり、昭和初期から続く花街「元林院」 今も伝わる、おもてなしの「心」と花街ならではの「和」の文化を次世代に繋げることをテーマとしたシンポジウムを開催いたします。奈良と花街に縁のあるコーディネーター・パネリストをお迎えしての古都・奈良の花街文化の魅力を語り合う・語り継ぐシンポジウムです。
定員 320名 / 入場無料

プログラム
①基調講演
 『私が見てきた花柳界。昔と今とこれからと』浅原 須美(フリーライター/花街記者歴20年)
 子ども舞踊披露(元林院で学ぶこども日本伝統舞踊教室 生徒一同)
②舞踊披露
 奈良元林院の伝統舞踊菊乃・菊亀(奈良元林院)
③トークセッション
 花街の灯りを繋げる
◆メインパネリスト
西山 厚(帝塚山大学教授)
◆パネリスト
籔内 佐斗司(彫刻家/東京芸術大学教授)、浅原 須美(フリーライター/花街記者歴20年)、真筝(ミュージシャン 元 祇園甲部芸妓)、めぐみ(東京・八王子芸妓組合)、菊乃(奈良・元林院)、喜久次(岐阜・鳳川伎連)、笑弥(金沢・主計町芸妓連)、ももこ(福井・浜町芸妓組合)、あおい(新潟三業協同組合)、紫乃(東京・品川大井 芸者置屋なみ喜)、かつを(高知・土佐芸妓料亭濱長)、千代鷺(愛媛・松山検番)、小代美(秋田県・あきた舞妓 株式会社せん)

「元林院 花街日本酒バル」
時間 15:00~18:00(予定)
会場:元林院 ならまち界隈

冬の奈良で芸妓・舞妓と一緒に日本酒を楽しむ一夜!元林院花街を中心に、芸妓舞妓のおもてなしと、参加店舗毎に違う酒蔵の日本酒と日本酒とのマリアージュを楽しむための酒肴一品をご用意!当日は、着物でのバル参加を楽しんでいただける特別企画も実施します。

バル詳細
参加費:花街日本酒バルめぐりチケット:1,500円
チケット(1,500円)購入者は、本部にてチケットとともにイベントオリジナル升を受け取り、参加店を巡ります。各店舗では日本酒1杯と、酒肴1品を500円(予定)でご提供。各店舗で、全国十花街の芸妓・舞妓による、お客様へのおもてなしをお楽しみいただけます。

※芸舞妓の各店舗でのおもてなしは15時~17時となります。17時以降は芸舞妓はフリータイムとなり、いずれかの店舗にておもてなしとなります。
※各芸舞妓の、おもてなし担当店舗は、当日受付でお渡しする参加パンフにてご案内いたします。

また各店舗にいる芸妓・舞妓からシールと千社札を集めていただくラリーも開催!参加店舗全てのシールをコンプリートされた方には、スペシャルグッズをプレゼント!
参加店舗(順不同) つるや/なら泉勇斎/酒肆春鹿/よばれや/Ritz/酒肆 華/Ber fiddich/絆/のぞみ/あるるかん/ぐるめ藤
※参加店舗については変更・追加の場合もございます。


うーん、これはすごい。「全国花街伝統芸能シンポジウム」のトークセッションには、西山厚氏(帝塚山大学教授)や籔内佐斗司氏(彫刻家・東京芸術大学教授)も参加されるのだ。そういえば2月10日付の奈良日日新聞に《(西山教授は)「花街イコール色町(遊郭)と思っている人が多く、正しい情報を伝える努力も必要」と話す。元林院も明治の初期はそうだったが遊郭を木辻に移し、花街として発展を遂げた。元林院は色町ではない》という記事が出ていた。

西山教授は、花街は「日本の伝統文化が息づく場所」(同紙)と語る。すべてのイベントが要予約で、奈良市観光協会(0742・27・8866)に電話する。バルは参加料(1,500円)のほかに各店で500円を支払って、酒肴1品をオーダーする仕組みだ。この25日と26日には、ぜひ「ならまち花あかり」に足をお運びください!

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古代衣装ファッションショー&講演会/2月18日(土)近つ飛鳥博物館で開催!(2017 Topic)

2017年02月15日 | お知らせ
太子町にぎわい創出事業として「古代衣装ファッションショー&講演会」が開催される。参加費は無料である。大阪府立近つ飛鳥博物館のHPによると、

太子町にぎわい創出事業 「古代衣装ファッションショー」
聖徳太子の冠位十二階など、飛鳥時代を再現した古代衣装のファッションショーを開催します。古代衣装研究家 山口千代子先生による古代衣装の講演会、こども古代衣装体験も併せて開催します。古代文化の再現を通して、 「聖徳太子のまち」太子町のブランドイメージを発信します。

≪日 時≫ 平成29年2月18日(土) 14時~
≪会 場≫ 大阪府立近つ飛鳥博物館(大阪府南河内郡 河南町東山299)地階ホール
≪参加料≫ 無料(ただし、展示室へは入館料[大人=300円]が必要です)
≪その他≫ 雨天決行(荒天中止)
     
関連行事
①こども古代衣装体験
平成29年2月18日(土) 13時~
会場:大阪府立近つ飛鳥博物館 屋上階段ステージ
定員:30名 参加料:500円【フォトフレーム代】
※事前の申し込みが必要です。(締切1月20日)雨天中止(町から送迎あり)

②古代衣装講演会
平成29年2月18日(土) 15時~
会 場:大阪府立近つ飛鳥博物館 地階ホール
参加料:無料(ただし、展示室へは入館料が必要です)
講 師:山口千代子 氏(古代衣装研究家)
     
お申込み・お問い合わせ:太子町役場 にぎわいまちづくり課 0721-98-5521


チラシのデータ(PDF)は、こちらに出ている。また太子町のHPにも情報が出ている。

太子町には聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳磯長墓(しながぼ)があることで知られている。太子は日本における最初の服制「冠位十二階」を制定した。

太子の死後の世界を刺繍したといわれる「天寿国曼荼羅繍帳」に描かれている衣装から、藤原京・平城京・長岡京時代の200年間の衣装の変遷を「ファッションショ―」と「トーク」で体感できるこのイベント、ぜひご参加ください!

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