tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

纒向学研究センターのシンポジウム、500円で動画配信中!(2022 Topic)

2022年02月21日 | お知らせ
今朝(2022.2.21)の毎日新聞奈良版に〈纒向遺跡の座談会 動画で 発掘50周年 研究者ら「思い」語る〉という記事が出ていた。例年開催してきた「東京フォーラム」(シンポジウム)がコロナ禍で2年連続中止されたことから、「番外編」として動画が有料配信されているそうだ。

視聴申し込みは3月9日(水)まで、視聴可能期間は3月23日(水)まで(期間中は繰り返し視聴できる)。チラシは、こちら(PDF)に掲載されている。私も早速、申し込んだ。同センターのHP(桜井市教育委員会)によると、

桜井市纒向学研究センター「東京フォーラム」番外編の動画配信について
桜井市纒向学研究センターでは例年「東京フォーラム」を開催し、纒向遺跡に関する最新の調査・研究成果を発信してきましたが、この2年間は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、中止を余儀なくされました。

そこで今年度は少し趣向を変え、「東京フォーラム番外編」として、これまで50年間にわたる纒向遺跡の調査を振り返る座談会を開催し、その様子を動画配信することといたしました。

数々の調査・研究に関わってきた出演者が、調査成果の意義や纒向遺跡への思いを熱く語ります。動画の視聴は有料(500円)となります。お申し込み方法、動画の視聴方法等については、特設ページをご確認ください。




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田中利典師の『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書(5)/仏教吊り革論

2022年02月20日 | 田中利典師曰く
田中利典師の名著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書から抜粋して紹介するシリーズ、5回目の今日のタイトルは「つり革のようにいざというとき手にすれば倒れない」。いわゆる「仏教吊り革論」の話である。師のFacebook(1/18付)から抜粋する。

拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。

*************

「つり革のようにいざというとき手にすれば倒れない」
坂本賢三さんという哲学者の先生(1931-1991年)が30数年前にお書きになった本のなかで、世の中というのはもともと宗教がすべてを支配していた。それから、王さまが支配をするようになって、政治の時代になった。現代は経済がすべてを支配している時代。そして次の時代は経済中心から技術が中心に変わるというふうに予見されていますが(『先端技術のゆくえ』 1987年/岩波新書)、これはじつはローカルなものがグローバルなものに広がっていったということでもあるのです。

このローカルがグローバルによって壊され続けることによって、いろいろな不具合が起きてきたのがいまの時代で、次の時代は、もう一度グローバルとローカルがうまく付き合う、グローカルな時代にいかなければいけないと、私は考えています。宗教が見直される時代でもあり、宗教ぬきにはわたっていけない社会がこれからは待っていると思います。

もう30年以上前ですが、『毎日新聞』の連載ルポルタージュで「宗教を現代に問う」というのがあり、菊池寛賞を受賞したと記憶しています。そのタイトルを一部拝借して、私は「仏教を現代に問う」というテーマでお話しすることも多いのですが、現代はかつてとは違った意味で、宗教ブームになっています。パワースポット、聖地巡礼、御朱印集めが流行し、仏像ガールという言葉もあります。それらを一過性のものと冷めた目で見ず、宗教への入り口になればとも願います。

「お寺(仏教)は吊り革です」…こう言うと「なにそれ?」と戸惑われる方も多いかもしれませんが、じつは「宗教吊り革論」という言葉があります。電車に乗っていて、急に電車が止まったり、カーブで曲がったりしたとき、人は吊り革をシュッと持って、倒れないようにしますね。

宗教も同じで、人生のなかではいろいろなことが起こります。いろいろな落とし穴があり、悩み、苦しみ、もがきます。そういったときに、常にそばに宗教を置いていると、吊り革をつかむがごとく、倒れずに済むことがあります。ですから、普段から宗教に接していることはたいへん大事だということです。

席に座っているときは必要がないですし、立っていてもつかむときもあればそうでないときもあります。身近なところにあるけれど、普段はあまり深く意識することはありません。でもイザというときにつかめは、自分だけでなく、周囲も守ってくれる存在でもあります。
宗教が支えになるよう、常日頃から少し親しまれておくのもいいでしょう。

まずは、人にはよりよく生きていく力があると信じて、ご自分の暮らし方を整え、ほかの人のことを思いやり過ごしていかれるといいと思います。「どんなお墓にするか」や「どんな戒名にするか」などだけにとらわれることなく、日々を丁寧に生きていくことが、結局はよりよい人生を全うする手立てとなり、自分自身にとっても家族にとっても、よい終活となるでしょう。 
  
もちろん、死に至るまでのプロセスには、いろいろと思いがけないことが起こるでしょうが、そのようなときのためにも、宗教という「つり革」をぜひそばに置いてください。皆さんの「終活」が、その「つり革」を携えたものであってほしいと思います。葬式をやめるとか、脱葬式でなく、もう一度、祈りと弔いを取り戻すことが人間を幸せに生かすことであるし、人間が幸せに死ぬことにつながるということです。

そして、先述した「仏教を現代に問う」というのはじつは間違いで、ほんとうは、現代人が仏教に問うべきであり、それに対して、これからは、寺院なり、仏教なり、僧侶が積極的に応えていくことが大事なのだと思います。

~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
*写真は『先端技術のゆくえ』(岩波新書刊)
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『四天王寺縁起』と聖徳太子信仰/奈良新聞「明風清音」(68)

2022年02月19日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1回程度、奈良新聞の「明風清音」欄に寄稿している。今、聖徳太子のことを調べているので、先月(2022.1.27付)のテーマは、『四天王寺縁起』とした。四天王寺には何度もお参りしたが、すっきりした鉄筋コンクリート造りの伽藍は、いかにも大阪らしくていい。では、記事全文を紹介する。
※写真は「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会」(仁王門前)の日に撮影(2021.10.18)

〈四天王寺と太子信仰〉
昨年は聖徳太子1400年忌の年だったが、今年は太子の没後1400年(周年)。昨年同様、今年も太子が話題にのぼることだろう。奈良で聖徳太子の寺といえば法隆寺だが、大阪ではやはり四天王寺だ。

太子が蘇我馬子とともに排仏派の物部守屋討伐のとき、戦勝を祈ってヌルデ(ウルシ科)の木で四天王像を作り、用明天皇2年(587)に勝利を得たことを謝して建てたのが創始とされる。これにより四天王寺は、「日本仏法最初」(日本最古の官寺)をうたう。



▼信仰の百貨店
同寺は「信仰の百貨店」と称される。聖徳太子信仰をはじめとするさまざまな信仰により、多くの信者を引きつけてきたからである。同寺にとって最も大切な法要は、聖徳太子の命日の4月22日に行われる聖霊会(しょうりょうえ)だ。六時堂前の石の舞台では、天王寺楽所(がくそ)による舞楽が奉納される。1月12日には、太子の誕生を祝う法要が境内の五智光院で営まれる。太子の月命日である毎月22日には太子会(縁日)が催される。

弘法大師空海の月命日である毎月21日には、大師会が催され、太子会を上回る参詣者を集める。空海が聖徳太子の後身とする説に基づくものだ。また最澄が堂宇を建立したという寺伝に基づき、6月4日には講堂・一乗院で伝教大師忌法要が営まれる。このほか鎌倉新仏教の開祖に関わる堂宇や行事が、数多く残されている。



▼『四天王寺縁起』の出現
話を聖徳太子信仰に戻す。太子の寺として信仰を集めた四天王寺だったが、たび重なる災害に翻弄される。平安時代の承和3年(836)には落雷で塔が損壊、天徳4年(960)には火災によって全山が焼亡した。

寺勢が衰えを見せるなかで突然、とんでもない援軍が現れた。聖徳太子自筆の書とされる『四天王寺縁起』(国宝)の出現である。寛弘4年(1007)、四天王寺の僧侶・慈蓮(慈運)が、金堂の金塗りの六重塔の中から発見したのだという。

奥書には、推古天皇3年(595)に聖徳太子が編纂し金堂内に納入したとあり、その証しとして、末尾には太子の手印(手形)26個が押されていた。同縁起の内容は寺の縁起、資財帳と太子自身が語る自らの事績など。太子の事績は前世から現世、さらに来世に至るまで(未来予言)のさまざまなものが記されている。

四天王寺を敬い、同寺に対して寄進すれば、極楽浄土に往生することができる。さらに「宝塔金堂相当極楽土東門中心」とあり、同寺の西門は極楽浄土の東門であるとされ、日想観(浄土を観想するため西に向かい太陽の沈む様子を見ること)など浄土信仰の聖地としての性格が加わった。これにより同寺には極楽往生を願う人々が、貴賤を問わず集うこととなった。

のち後醍醐天皇は同縁起を自ら筆写し、その写本の奥書に所領を寄進することを記した。これは『後醍醐天皇宸翰(しんかん)本縁起』といわれ、こちらも国宝に指定されている。

しかしこの『四天王寺縁起』、今では様々な研究により、寛弘4年ごろ聖徳太子に仮託して制作されたもの、つまりニセモノだとされている。出現当時は、ニセモノを疑う人もいなかったのだろう。同縁起の出現により、天皇や貴族の参拝が急増し、伽藍修復の財源も確保できた。作戦は大成功を収めたのである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書(4)/父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し

2022年02月18日 | 田中利典師曰く
田中利典師の名著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』扶桑社新書から抜粋して紹介するシリーズ、4回目の今日のタイトルは「それぞれの役割をもつお経」。『父母恩重経』という中国で作られたお経(偽経)の話である。師のFacebook(1/17付)から抜粋する。

拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。

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「それぞれの役割をもつお経」
お経は耳で聞くだけでなく、自分が唱えるということにも意味があります。私は一日に三回くらいは「般若心経」を唱えますが、そのほかにも修験でよく唱え、一般の方にもおすすめなのが「本覚讃」というお経です。これは簡単に言うなら、誰もが仏になれる、あるいはもともと仏性をもっているということを説いたものです。

帰命本覚心法身(きみょうほんがくしんぽっしん)常住妙法心蓮台(じょうじゅうみょうほうしんれんだい)本来具足三身徳(ほんらいぐそくさんじんとく)三十七尊住心城(さんじゅうしちそんじゅうしんじょう)普門塵数諸三昧(ふもんじんじゅしょさんまい)遠離因果法然具(おんりいんがほうねんぐ)無辺徳海本円満(むへんとくかいほんえんまん)還我頂礼心諸仏(げんがちょうらいしんしょぶつ)

私たちは仕事でもプライベートでも煩悩を捨てきることができず、あれやこれやで忙殺されて、自分を見失いがちですが、一日の終わり、就寝前に唱えられると、改めて自分を見つめ直すことができると思います。

お釈迦さまは相手に応じて説かれるお話の内容を変えられました。これを「応病与薬」といいますが、お腹が痛い、腹をくだしている人にはお腹の薬、頭痛に苦しむ人には頭痛薬を処方するように、状況に応じた伝え方をされたのです。お釈迦さまの教えは「八万四千の法門」といわれているように、お経もたくさんできました。

じつは私は地元FM局「FMいかる」で月に数回パーソナリティを務めており、毎回、いろいろなゲストをお招きしているのですが、以前に中学生が社会勉強を兼ねて遊びにきてくれたときに、彼らにお教えしたのが『父母恩重経』です。お釈迦様は親への恩がいかほどのものかを具体的にいくつも挙げ、その恩に報いること、感謝することの大事さを「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」と説かれたのです。

人は遅かれ早かれ死んでいきます。死は必ず平等に訪れる。それはわかっているのに、そのことを意識しないまま、親に対して、「しかるに長じて人となれば、声を荒らげ、気を怒らして、父の言に順がわず、母の言に瞋を含む。すでにして妻を娶れば、父母に背き違うこと、恩なき人のごとく、兄弟を憎み嫌うこと、怨みある者のごとし」 という態度をとってしまうことがあります。しかし父母に十種の恩徳があるのです。

第一懐胎守護(かいたいしゅご)の恩。
=懐妊中、お腹の子を思い身も心もくだいてお守りくださる恩である。
第二臨産受苦(りんさんじゅく)の恩。
=出産、陣痛の苦しみに耐え忍び、わが子をお守りくださる恩である。
第三生子忘憂(しょうしぼういう)の恩。
=出産し赤子の顔を見るときは心身の苦しみを忘れ、お喜びくださる恩である。
第四乳哺養育(にゅうほよういく)の恩。
=自らの血液、180石もの母乳を与え、養育してくださる恩である。
第五廻乾就湿(えけんじゅしつ)の恩。
=母は汚れた所に寝て、乾いた所へ我が子を寝かせてくださる恩である。
第六洗濯不浄(せんかんふじょう)の恩。
=子が排泄した不浄物を、洗い浄めてくださる恩である。
第七嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩。
=自らはまずい食物を口にして、子にはおいしい食物をくださる恩である。
第八為道悪業(いぞうあくごう)の恩。
=子供に代って、地獄におちても子の幸せを念じてくださる恩である。
第九遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩。
=親を離れて子が旅をするとき、我が子の無事を念じてくださる恩。
第十究竟憐愍(くぎょうれんみん)の恩。
=父母は我が身に代えて子を守り、死んだ後もお守りくださる恩である。

まさに「父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し」です。『父母恩重経』を知って、ふだんからそれに接していれば、「親孝行したいと思ったときには親はいず」と悔やむこともなくなるでしょう。生き死には必ずしも順番はありませんが、たいがいは親のほうが先に逝きます。親を弔うということを意識するなら、この『父母恩重経』もぜひ知っておきたいお経です。

私たちは、自分の生命の灯が消える日がいつくるのか、自分のことなのにわかりません。そして避けることもできません。でも、生まれてきたからには、誰もがいつか死を迎えるのです。「生まれてきたから、死んでいく。ただそれだけのことだ」とお釈迦さまも言われました。

最晩年、お釈迦様は信者のもてなしを受けてそのご馳走に(茸とか豚肉といわれています)にあたって、臨終の苦しみのなかにあったとき、自分のせいでこうなったと悲しみにくれる者に対して、死を前にしたお釈迦さまがこう言われたのです。

いつ死ぬかはかわからなくても、考えていた通りの死に方はできなくても、死の瞬間まで、「よく生きる」ことはできるのです。周りの方々や尊敬する方々の死を受け止め、そこに人としての生き方を倣うことができたらいいと思います。
*写真は『父母恩重経』。
~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
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冷気にさらして作る三輪そうめん/毎日新聞「かるたで知るなら」第40回

2022年02月17日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は同会が制作した「奈良まほろばかるた」の各札を題材に毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。

先週(2022.2.10)掲載されたのは〈熟練の技 冬の風物詩/大神(おおみわ)神社(桜井市)〉、執筆されたのは同会会員の藤井哲子さんだった。藤井さんは画家であり音楽家、まさにマルチタレントである。以下に記事全文を紹介する。

〈冷気に晒して作る三輪そうめん〉
酷暑の頃、涼感を呼ぶそうめんが作られる季節は冬。極寒の未明から作業は始まります。小麦粉を塩水で練って生地を作ります。水加減や塩の量を、気温や湿度の変化を見ながら微調整する作業は、現代においても人による熟練の技が求められます。

麺生地は、伸ばすたびに植物油をつけて付着を防ぎ、徐々に細い棒状にしていきます。直径1㍉ほどになるまで、包丁を入れることなく、伸ばされた手延べそうめん。冷気で麺を乾燥させる光景は冬の風物詩です。

そうめん作りは1200年余り前、大神神社の御祭神の子孫が神様から啓示を受け、飢饉(ききん)と疫病に苦しむ民を救うために小麦を栽培し、それを水車の石臼でひいて、湧き水でこねて伸ばしたのが始まりとされています。

江戸時代の「日本山海名物図会」には「大和三輪素麺、名物なり、細きこと糸のごとく白きこと雪のごとし。ゆでてふとらず、全国より出づるそうめんの及ぶ所にあらず」と日本一との名声が記されています。

毎年2月5日、その年の三輪そうめんの相場を占うト定祭(ぼくじょうさい)が大神神社で執り行われ、その結果で卸値が決まり、全国の取引の参考にされます。

このように、大神神社と深く関わる歴史が、三輪そうめんの商標の象徴的な三ツ鳥居のデザインに投影されています。古くから神様への供え物として特別な存在でしたが、時代と共に身近な食材となりました。茹(ゆ)で時間の短さ、アレンジのしやすさ、保存ができることも大きな魅力になっています。(奈良まほろばソムリエの会会員 藤井哲子)

【大神神社】
(住所)桜井市三輪1422
(交通)JR三輪駅から徒歩約5分
(拝観)境内自由
(ト定祭)今月5日はコロナ禍で三輪素麺掛唄保存会の唄の奉納は中止。
(駐車場)無料
(電話)0744・42・6633


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