金峯山寺長臈(ちょうろう)・種智院大学客員教授の田中利典師の名著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社新書)の内容を紹介(抜粋)するシリーズ。第2弾は利典師が2022年1月15日(土)に、ご自身のFacebookに書かれた内容を紹介する。
※写真は、お父さまと一緒に大峯山登拝修行をする幼少期の利典師
シリーズ「祈りについて」②
拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。
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「祈願と願うは同じものではありません」
人はなにかをほしい、あるいはうまくいってほしいと願いますが、すぐに手に入るもの、自分でなんとかなる、人間同士のやりとりで解決できるものはただの「願い」といえるでしょう。誕生日におもちゃを買ってほしいという子どもの願い、結婚記念日にブランドのバッグを買ってほしいという奥さんの願い……これは親や夫が叶えられるもので、「祈願」するものでありません。
けれども、その一方で、たとえば受験生は最大限努力した、それでも結果がどう転ぶかわからない。ふたを開けてみないとわからない、自分を超えたものに力を借りたいから合格祈願をするわけです。震災に遭った辛い状況の方々に祈りを捧げるということもありますが、これは祈ることで自分たちの個々の力以上のものが働いて、被災地の方々にとって少しでもいい状況になるよう、あるいは亡くなった方の魂が鎮まるように願うものですね。
私事ですが、いまこうして私が修験の道を歩んでいるのも父の祈りがきっかけといえます。父は国鉄職員として働きながら、若くして在家から修験の世界(験門)に入り数多の修行を重ねながら法師として活動していました。
私は1歳半のときに肺炎を患い、医者からは「もうだめだ」と宣告されたのですが、「自分の子供も救えなくてなにが祈祷師だ」と母から責められ、父は「この子が5歳まで生きたら、必ず大峯山山上ヶ岳の御本尊にお礼に連れて行くので命を救ってほしい」と祈ったそうです。その甲斐もあって一命をとりとめることができました。そして願かけに従って、大人の行者でも厳しい登山を5歳のときに経験したのです。
なぜ5歳のときに過酷な山岳参拝をしたのかは20歳を過ぎてから初めて母に知らされたのですが、その幼いころに感じたことが、いまの私と蔵王権現さまや役行者さまにつながっている。父の祈りがつなげてくれた仏縁なのです。
~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
*写真は父と一緒に大峯山登拝修行をしている幼い頃の私。
※写真は、お父さまと一緒に大峯山登拝修行をする幼少期の利典師
シリーズ「祈りについて」②
拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』は4年前に上梓されました。もう書店では置いてないですが、金峯山寺にはまだ置いています。本著の中から、しばし、いくつかのテーマで、私が言いたかったことを紹介しています。よろしければご覧下さい。
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「祈願と願うは同じものではありません」
人はなにかをほしい、あるいはうまくいってほしいと願いますが、すぐに手に入るもの、自分でなんとかなる、人間同士のやりとりで解決できるものはただの「願い」といえるでしょう。誕生日におもちゃを買ってほしいという子どもの願い、結婚記念日にブランドのバッグを買ってほしいという奥さんの願い……これは親や夫が叶えられるもので、「祈願」するものでありません。
けれども、その一方で、たとえば受験生は最大限努力した、それでも結果がどう転ぶかわからない。ふたを開けてみないとわからない、自分を超えたものに力を借りたいから合格祈願をするわけです。震災に遭った辛い状況の方々に祈りを捧げるということもありますが、これは祈ることで自分たちの個々の力以上のものが働いて、被災地の方々にとって少しでもいい状況になるよう、あるいは亡くなった方の魂が鎮まるように願うものですね。
私事ですが、いまこうして私が修験の道を歩んでいるのも父の祈りがきっかけといえます。父は国鉄職員として働きながら、若くして在家から修験の世界(験門)に入り数多の修行を重ねながら法師として活動していました。
私は1歳半のときに肺炎を患い、医者からは「もうだめだ」と宣告されたのですが、「自分の子供も救えなくてなにが祈祷師だ」と母から責められ、父は「この子が5歳まで生きたら、必ず大峯山山上ヶ岳の御本尊にお礼に連れて行くので命を救ってほしい」と祈ったそうです。その甲斐もあって一命をとりとめることができました。そして願かけに従って、大人の行者でも厳しい登山を5歳のときに経験したのです。
なぜ5歳のときに過酷な山岳参拝をしたのかは20歳を過ぎてから初めて母に知らされたのですが、その幼いころに感じたことが、いまの私と蔵王権現さまや役行者さまにつながっている。父の祈りがつなげてくれた仏縁なのです。
~拙著『よく生き、よく死ぬための仏教入門』(扶桑社BOOKS新書)からの跋文/電子書籍でも読めます。
*写真は父と一緒に大峯山登拝修行をしている幼い頃の私。