昨日(2022.2.1)、石原慎太郎氏がお亡くなりになった。89歳で、膵臓癌を昨年10月に再発していたという。私はたまたま『正論』2022年2月号に載った「生きるという事の意味合い」という文章(全3ページ)を拝読していた。「何だか悲観的な文章だな」と思っていたが、やはり膵臓癌の再発が影を落としていたことは間違いない。この文章に膵臓癌のことは出てこないが、脳梗塞の体験が登場する。
※トップ写真は、日テレNEWSから拝借した
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ae/ecc4fac5ca0e5d3cdf76b70c22d82fff.jpg)
冒頭の一文は〈81歳の春先軽い脳梗塞を患ってから人間の頭部なるものに尽きぬ興味を抱くようになった〉。そして〈私が患った軽い脳梗塞なる病はその後の生活様式を眺め直せば確たる変化をもたらしはしなかったが、私の人生への回想、ただ漠たるものではなしに真摯な回想をもたらすようにはなった〉。
〈入院したリハビリセンターで生まれて初めて目にした人間群像の与えた強烈な印象というより、紛れもない事態の迫力。それぞれ地獄を背負いながら天国へ這(は)い上がろうと必死に務める人間群像の伝える、無惨でキラキラと明るい光景が私にはとてもすぐには容認できるものではありはしなかった〉。〈昔聞いた『麗人の歌』ではないが、「覚めて浮き世の窓見ればみんな泣いている人ばかり」だった〉。
〈人の世の中はあのリハビリセンターの開かれて明るい雰囲気と対照に肉体の不具に耐えその克服に努める人間たちとの対比に支えられて成り立っているということを悟る事こそが人間の社会への真の理解に通じるものかもしれぬということを遅まきながら悟らされたものだった。あの施設に横溢(おういつ)している風景はまさに人間の世界を構築する光と影を象徴して見えた。それでも人間は己の落とす黒い影を踏み締めながら歩み続けなければならぬかもしれない〉。
以前石原氏は、『老いてこそ生き甲斐』(2020.3.26 幻冬舎刊)に〈老いるということは経験の蓄積です。それはなまじ貯金なんぞよれも貴いともいえる。貯金は他人に簡単に分ける気にはなれないが、人生での経験は無差別無尽に他の人々に分かち役立てることが出来ます。そしてその献身は喜ばれるし、自分自身にとって生き甲斐になります〉と前向きなことを書いておられたので、「ずいぶんタッチが違うな」と感じていた矢先だった、ご冥福をお祈りする。
※トップ写真は、日テレNEWSから拝借した
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冒頭の一文は〈81歳の春先軽い脳梗塞を患ってから人間の頭部なるものに尽きぬ興味を抱くようになった〉。そして〈私が患った軽い脳梗塞なる病はその後の生活様式を眺め直せば確たる変化をもたらしはしなかったが、私の人生への回想、ただ漠たるものではなしに真摯な回想をもたらすようにはなった〉。
〈入院したリハビリセンターで生まれて初めて目にした人間群像の与えた強烈な印象というより、紛れもない事態の迫力。それぞれ地獄を背負いながら天国へ這(は)い上がろうと必死に務める人間群像の伝える、無惨でキラキラと明るい光景が私にはとてもすぐには容認できるものではありはしなかった〉。〈昔聞いた『麗人の歌』ではないが、「覚めて浮き世の窓見ればみんな泣いている人ばかり」だった〉。
〈人の世の中はあのリハビリセンターの開かれて明るい雰囲気と対照に肉体の不具に耐えその克服に努める人間たちとの対比に支えられて成り立っているということを悟る事こそが人間の社会への真の理解に通じるものかもしれぬということを遅まきながら悟らされたものだった。あの施設に横溢(おういつ)している風景はまさに人間の世界を構築する光と影を象徴して見えた。それでも人間は己の落とす黒い影を踏み締めながら歩み続けなければならぬかもしれない〉。
以前石原氏は、『老いてこそ生き甲斐』(2020.3.26 幻冬舎刊)に〈老いるということは経験の蓄積です。それはなまじ貯金なんぞよれも貴いともいえる。貯金は他人に簡単に分ける気にはなれないが、人生での経験は無差別無尽に他の人々に分かち役立てることが出来ます。そしてその献身は喜ばれるし、自分自身にとって生き甲斐になります〉と前向きなことを書いておられたので、「ずいぶんタッチが違うな」と感じていた矢先だった、ご冥福をお祈りする。
奈良新聞「明風清音」(2020.12.17)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/d6/6b59559c7cb49ab9e62d97a6ecc7d798.jpg)