tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

納得! 「オンラインでは、心が通じ合わない」

2024年12月26日 | 日々是雑感
毎日新聞「くらしナビ」欄(2024.12.21 付)に、〈オンラインでは同期しない脳〉という記事が出ていた。脳が同期するとは「心が通じ合う」「波長が合う」ということで、遠隔の「オンラインコミュニケーション」では、そうはならない。やはり「対面コミュニケーション」が大切、ということなのだ。脳科学者の榊浩平さんが、書いておられた。
※トップ写真は、「フリー素材ぱくたそ」のサイトから拝借した

私は3年前、68歳で定年退職したが、「会社を離れると、飲み会の機会もなくなるだろうな」と、奈良まほろばソムリエの会で、「サロン・ド・ソムリエ」という集いを提案した(2020年に提案・理事会で承認)。2ヵ月に1回程度、会員が集まり、交替で「講話」をしてそれを聞き、そのあとでワイワイと「懇親会」をやろう、という企画だった。

ソムリエの会は平均年齢が68歳。私と同じことを考えている人も多いだろうな、と考えて企画したのだが、そのあと突然、コロナ禍になった。結局、コロナが落ち着いた2023年9月になって、やっと初回を開催することができた。

その後、隔月(奇数月)に開催し、来月(2025年1月)で、9回目を迎える。おかげさまで初対面の会員たちとも懇意になり、付き合いの幅が広がっている。講話を通じて、新人講師の発掘も進んでいる。前置きが長くなった。では、記事全文を紹介する。


榊浩平さん。毎日新聞の記事サイトから拝借

オンラインでは同期しない脳 榊浩平さん
新型コロナウイルスの流行を機に、ビジネスや教育、懇親会といったあらゆる場面で「オンラインコミュニケーション」が広がった。しかし、リアルな対面と比べ、相手と意気投合したり関係を築いたりしづらいと感じることはないだろうか。東北大応用認知神経科学センター助教の脳科学者、榊浩平さん(35)は「オンラインだと人と人の脳活動がそろう『同期』という現象が起きない」と指摘する。

脳活動の同期とは、どんな現象なのでしょうか。
人と人が対面し、目を合わせてコミュニケーションを取る、協力して何らかの作業をするといったときに、本人たちの脳活動がそろう現象が起こることは既存の研究で明らかにされています。「心が通じ合う」「波長が合う」といった状況が、それぞれの脳の中で生まれるわけです。

私たちは2019年から、脳活動の同期とコミュニケーションの質に関する研究を進めてきました。途中でコロナ禍となり、研究室のメンバーとオンラインで会話をしましたが、何かが足りない。「オンラインだと脳活動が同期しないのでは」という仮説を立て、実験を重ねました。

その結果、実際に同期しないことが分かりました。オンラインで会話をしている人の脳の状態は、一人でぼうっとして何も考えていないときと変わらなかったのです。

「非言語」伝わらず/研究では、考えられる理由として「視線が合わないこと」や「通信速度による違和感」を挙げています。
コミュニケーションというのは言語だけでなく、目線、うなずき、表情、ジェスチャーなど非言語の要素も含みます。オンラインは非言語の多くが欠落しているのです。

例えば、うなずきは視覚的に判断できるものだけでなく、目に見えないほど素早いものもあります。これは人が無意識に行っている非言語コミュニケーションなのですが、オンラインだと、通信速度やタイムラグなどによって機能していないと考えられます。

人と心が通じ合わないということは、誰かと交流していながら孤独に陥るということになりかねません。
対面コミュニケーションがほとんどなくなったら、私たちの脳は同期しなくなり、相手の視線や表情などから気持ちを推し量ったり、話に共感したりする機能は失われていきます。

孤独は脳にどんな影響を与えるのでしょうか。
孤独感が強い人ほど、抑うつや不安障害になったり、自殺念慮を持ったりすることはさまざまな研究で明らかにされています。また、コミュニケーションは脳に負荷がかかる活動です。

言葉を紡ぐだけでなく、相手の気持ちや意図を推し量ることも並行してやらなくてはなりません。脳は筋肉と似ており、たくさん使うほど発達します。使わなければ、子どもだと育たず、大人だと機能が衰えます。

目的で使い分け/とはいえ、これだけ浸透したオンラインコミュニケーションをなくすことは現実的ではありません。
私は対面コミュニケーションが「望ましい形」と思っていますが、オンラインを否定するつもりはありません。例えば、家にこもりがちな1人暮らしの高齢者や不登校の当事者たちとつながる「第1段階」としてオンラインを活用することは有効でしょう。あるいは、メタバース(仮想空間)でつながれれば十分だと考える人もいます。

大事なのは、コミュニケーションの機会を作る側がどこにゴールを置いているかです。対面かオンラインかという二元論ではなく、個々のケースに応じて上手に使い分けていくべきだと考えています。

オンラインコミュニケーションをうまく活用するためには、どんなことを意識すればいいでしょうか。
私の場合、コミュニケーションは対面に軸足を置いています。オンラインは「つなぎ」として使い、基本的には業務上の報告などにとどめています。対面で会うときは、人と人の感情の交換を通じて関係性を築くことを心がけています。

平たく言えば「仲良くなるためのコミュニケーション」です。コミュニケーションの目的を自分できちんと切り分け、対面とオンラインのベストミックスを探っていくことが大切だと思います。【聞き手・千脇康平】

◆人物略歴
榊浩平(さかき・こうへい)氏
1989年生まれ。東北大大学院医学系研究科博士課程修了。「スマホ依存」を研究し、人類と科学技術が共生する方法を模索している。近著は「スマホはどこまで脳を壊すか」。


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田中利典師の「菩提心の種まき」

2024年12月25日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈菩提心の種まき〉(師のブログ 2017.5.3 付)。「菩提心の種まき」とは、お釈迦さまの言葉だ。師は〈菩提心の種まきが大切なのである。これこそを自己の生活の中心に据えて生きていくことが、仏教徒の正しい生き様なのである〉と強調される。
※トップ写真は、奈良公園(2024.12.3 撮影)

末尾に、利典師の自坊(京都府綾部市)に入門を希望して、大阪から60km以上を歩いて来たという還暦の少し前(2017年現在)の人の話が登場する。これは、まさに師の「菩提心の種まき」の成果ということになろう。では、以下に全文を紹介する。

「菩提心の種まき」
過去に掲載した機関誌『金峯山時報』のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。今日のはそうとう古い文章です。いまから遙か20年前(1997年)。まだ20世紀末のもの。

それだけに私の文章も青臭く、稚拙です(いまも稚拙ですけど…)また、40歳代初頭で、志もいささか青臭いです。まあ、少々照れますが、心意気を読んでみてください。

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「菩提心の種まき」ー田中利典著述集290503
21世紀が目の前に来ている。「新しい革袋には新しい酒を注げ」という諺があるが、まさに21世紀という新しい革袋に相応しい酒が必要とされる時を迎えているのである。

別に飲む酒の話ではない。我々が生きる時代の、思想・文化・政治・宗教・社会機構などあらゆる分野に亙っての変革のことを言っている。特に今世紀末は今まで人類が経験したことのないような、激烈な文明の進歩と社会変革が生み出されようとしているのである。

で、私たちがなすべき話は宗教である。「こころの時代」といわれて久しいが、21世紀こそ、こころの世紀であろう。つまり宗教の責務たるや極めて重大である。その責務を果たすに相応しい活動が出来ているかどうか、宗教に関わる人間は皆がこの際、省みて自己変革につとめねばならないと思うものである。宗教に巣くって、おのが糊口を賄うのに汲々としているような志のない者は、直ちに席を辞して、立ち去れと言いたい。

仏教徒にとっての志とは菩提心につきる。釈尊があるとき托鉢をしておられると一人の農夫が通りかかり、「我々は田畑を耕し作物を作って生活しているが、おまえ達は何も作り出すことなしにただ食べ物を乞うているだけの、穀潰しではないか」と罵ったのに対し、釈尊は物静かに「私たちは目に見えるものは何も生産していませんが、人間が正しく生きていくための菩提心の種蒔きをして、人の心を耕しているのです」とお答えになったという。

その菩提心の種蒔きが大切なのである。これこそを自己の生活の中心に据えて生きていくことが、仏教徒の正しい生き様なのである。近年僧侶の職業化形骸化が著しい。サラリーマン住職だって珍しくはない世の中である。そんな人たちが本当の意味で、他人に対して慈悲深い教化活動をおこなえるものなのだろうか。僧侶とは姿・形ではなく、菩提心に関わる生き様のみが問われなくてはならないのである。

僧侶にとって生き様のみが問題であるとすれば、在家・出家の別などない。サラリーマン化した出家(と称する)僧侶より、サラリーマンでありながら宗教活動をする在家の人々の方が優れている場合だって多いのである。

いわゆる在家宗教者の時代の予見が新世紀にはある。少なくともそれくらいの自負をもった、今世紀末の修験者でありたいものである。われわれ在家行者を旨とする修験者にはその使命がある、と私は思っている。      
※『金峯山時報』平成9年(1997年)2月号所収「蔵王清風」より

*****************

昨日、ひとりの入門希望者が自坊にやってきました。聞けば、得度受戒許可の前行として、大阪・東住吉の自宅を徒歩で出て、はるか綾部の私のところまで踏破を目指したそうですが、途中で股関節を傷め、最後はバス・JRなどを利用したとのこと。それでも60キロ以上を自力で歩いて来られたのでした。

修験道を志す中で、自分の体をつかって、その道を求めようとする姿勢…。感心をしました。そして、私のいくつかの講演会や講座に出る中で、齢60を目前にして発心を起こしたんだという話を聞き、私なりの「種まき」がひとつの形となって現れたのだと思うと、とっても嬉しくなるのでした。まあ、種まきというのはいささかおこがましいことではありますが…。

このところ、日本仏教=葬式仏教論の煩瑣なやりとりに少々疲れていましたが、20年前の志を忘れることなく、私なりの仏道を行じていければと、改めて思い直した文章でした。実は今年に入って彼で4人目の入門者となりました。こういう仏教のあり方というのも有りかと私は思います。仏教ちゅうか、修験道ですけど(^^;)
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大河ドラマで注目の「春岳院」(豊臣秀長公 菩提寺)、クラウドファンディング「令和大改修」にご協力を!

2024年12月24日 | お知らせ
先週(2024.12.17)、何気なくテレビをつけると、KCN(近鉄ケーブルネットワーク)で、「KCN情報発信スタジオ Kスタ!」という番組をやっていた。番組中の「ならっとこ」のコーナーでは、レポーターの三野真紀子さんが「秀長さんまるっとマップ 第2弾」として、大和郡山市の春岳院(しゅんがくいん)を訪ね、ご住職の薮中真弘さんの話を聞いておられた。
※トップ写真は、春岳院さんのXから拝借(KCN収録の模様)


この画像は、READY FORのサイトから拝借

見ていて驚いたのは寺宝の多さと、伽藍の老朽化だ。畳の部屋にたくさんの洗面器などが置いてあり、三野「これは何ですか?」と聞くと、「雨漏りがするので、これで受けているのですよ」。これはいけない!

2026年度の大河ドラマ「豊臣兄弟!」を見て、たくさんの方が春岳院にお参りされることだろう。それでこの有り様だと、さぞガッカリされるだろうし、床が抜けたり天井が落ちてくる危険性もある。番組中でご住職は、クラウドファンディングのこともお話しされていた。READY FORのサイトには、


こちらの画像はNHKの「豊臣兄弟!」のサイトから拝借

春岳院住職の薮中真弘です。当院は鎌倉中期創建といわれており、当初は「東光寺」という名前でした。後の時代に豊臣秀長公の菩提寺となり、秀長公の戒名より「春岳」の名前をいただき、現在の「春岳院」という名前になりました。

このたび本堂ならびに庫裡の著しい老朽化という問題に直面し、檀信徒の皆様方・参拝者の皆様方に安心安全な状況で来寺していただけるように、また秀長公が築き上げられた往時の大和郡山城下町復活の一助となるように、歴史ある寺院をこの先の未来へと繋いでいくため、いろいろな「ご縁」「偶然」というものが重なり「令和の大改修」を行うことを決心いたしました。

このたびの大改修には多額の資金が必要となります。秀長公の導きによる今までの「ご縁」、今こちらを読んでくださっている皆様との「ご縁」、この先に出会う多くの方々との「ご縁」というものを大切に日々より一層精進・努力してまいりたいと思います。

今回の「令和の大改修」にあたり、何卒、ご理解を賜り、皆様方のご協力、厚い応援、ご支援、そしてお力添えをいただきますよう、切にお願い申し上げます。 合掌


皆さまにも、ぜひこちらのサイトから、ご協力をお願いいたします。なお以前(2024.6.22)、毎日新聞奈良版「やまと人模様」で、薮中住職が紹介されていたので、最後に記事内容を貼っておく。

春岳院住職 薮中真弘さん(52)=大和郡山市 秀長の寺「大河」で注目
天下統一を果たした豊臣秀吉の名参謀として知られる弟の秀長。1585年に郡山城に入り、「大和大納言」として100万石にふさわしい城造りを進めたが、6年後に郡山城内で亡くなった。

その秀長を主人公とするNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟!」が2026年に放送されることが3月に発表された。秀長の菩提(ぼだい)寺「春岳院」の住職に就いて半年。状況が一変し、忙しい日々を送る。

昨年8月に先代の住職が亡くなり、10月に住職になった。本堂と西隣の庫裏の傷みが激しくなっていた。2040年の秀長450回忌に向け、計画的に修繕を進めようと考えていた矢先の大きなニュースだった。

発表翌日から訪れる人が目に見えて増え始めた。しかし、本堂は大勢の人が入ると床が抜けないか不安。漏電を心配し、電気もつけられない。そんな状況を一刻も早く解消しようと、寄進を積極的に呼びかけ始めた。SNSやクラウドファンディングの活用も検討している。

寺は鎌倉時代中期の創建とみられ、秀長の戒名から「春岳院」になった。1788年に執り行われた「秀長200回忌」の際に作られた「豊臣秀長画像」は市指定文化財で、レプリカが本堂に掲げられている。1996年放送の大河ドラマ「秀吉」で秀長を演じた高嶋政伸さんの色紙や、寺ゆかりのさまざまな仏像も置かれ、本堂は興味深い空間だ。

「秀長は温和で、人と人をつないだ。知略だけでなく武功も優れていた。寺のパンフレットも一新する予定で、大和郡山をみんなで盛り上げたい」【熊谷仁志】

◆人物略歴 薮中真弘(やぶなか・しんこう)さん
大和郡山市の矢田寺大門坊の住職の家に生まれた。高野山大学を卒業後、春岳院の先代住職、薮中義弘(ぎこう)さんの長女祐美子さん(51)と結婚した。参拝や拝観には事前連絡が必要。春岳院(大和郡山市新中町2、電話0743・53・3033)。


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田中利典師の「葬式仏教は、仏教である」by 正木晃氏

2024年12月23日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「日本葬式仏教、非仏教説?」(師のブログ 2017.5.2 付)。今回は利典師ではなく、師の盟友で宗教学者の正木晃氏の文章を紹介されている。正木氏は、「葬式仏教は仏教ではない」という俗論を廃し、正論を展開されている。以下、全文を紹介する。
※トップ写真は奈良公園(2024.12.3 撮影)

「日本葬式仏教、非仏教説?」
葬式の現場が大変革を起こしつつある。いろんな問題が原因である。その話の流れは葬式仏教と化した日本の仏教はそもそも仏教ではないという論調まで、世間を覆っている感がある。私は葬式に直接関わらない修験僧だが、そういう状況には違和感を覚えるのである。

ついては私の盟友正木晃先生が金峯山寺の機関誌に連載中の「修験道の未来」の中で、いろんなお話を書いて下さっている。以下、その中で注目する記事を掲載しておく。ご参考まで…。

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「日本葬式仏教、非仏教説?」(宗報『金峯山』平成28年9月号掲載)
「葬式仏教」は日本仏教だけの現象だという説は、真っ赤な嘘である。現在、仏教が広まっている地域では、どこでも僧侶が葬儀をいとなんでいる。スリランカもタイも、チベットもブータンも、みなそうである。しかも、近年になって始まったのではなく、昔からそうだったことが明らかになっている。仏教の生まれ故郷、インドでは、かなり早い段階から、僧侶が葬儀をいとなんでいた。

考えてみれば、仏教における葬儀の第一号は、ブッダ自身の荼毘(だび)にほかならない。従来はブッダの荼毘は火葬を職業とする人々が担当し、仏弟子たちは葬儀にいっさいかかわらなかったと言われてきたが、最近ではブッダの荼毘にのぞんで、仏弟子たちが積極的にかかわったことが指摘されている。

その後、ブッダが涅槃(ねはん)に入られてまもない段階では、僧侶がいとなめる葬儀は仲間内の場合だけ、つまり僧院内で僧侶が亡くなった場合だけだったようだが、しばらくすると、在家信者の葬儀も僧侶がいとなむようになっていったという。五世紀ころになると、僧院には在家信者の葬儀をもっぱら担当する役割の僧侶すらいた事実が判明している。

「先祖供養の起源」(宗報『金峯山』平成24年1月号掲載)
もし仮に、「お迎え」が親をはじめとする近親者が深くかかわっているとすれば、先祖供養が注目されることになる。ご存じのとおり、日本仏教では、先祖供養が重要な位置を占めてきた。しかし、その反面で、先祖供養などは、本来なら仏教とは無縁で、たんなる習俗あるいは慣習にすぎないという見解もよく耳にする。はたして、それは本当なのだろうか。

初期仏教にまつわる文献の研究からすると、ブッダ自身は先祖供養とは無縁だった。しかし、ブッダの入滅後、そう遠くない段階で、仏教が先祖供養に舵を切ったようである。

では、仏教における先祖供養の起源はどこにもとめられるのか。有力な説の一つは、死後、忉利天(とうりてん=天上界の1つ、三十三天)に再生した摩耶夫人(まやぶにん)のために、ブッダが誰にも告げず、雨安居(うあんご)の3か月のあいだ、この天にのぼり、母のために説法し、サンカーシャ(8大聖地の1つ)というところに降りてきた(三道宝階降下)という伝承である。

この伝承は、いわゆる原始仏典の『増一阿含経』巻二八「聴法品」などに出てくる。したがって、ブッダの入滅後、遅くとも200~300年以内に成立した可能性が高いと考えられている。その『増一阿含経』巻28「聴法品」36には、ブッダが「五事」を説いたと書かれている。「五事」とは、以下のことがらだ。

①法輪を転ずべし(仏法を説け)/②父母を度すべし(亡き父母を供養せよ)/③信なき人を信地に立て/④いまだ菩薩の心を発せざる者にして菩薩の意を発せしめ/⑤その中間においてまさに仏の決を受くべし

さらに、アショヴァゴーシャ(100年ころ 馬鳴)による仏伝として有名な『ブッダ・チャリタ(仏所行讃)』には、「母のために法を説かんがゆえに、すなわ忉利天に昇れり。三月天宮に処り、善く諸天人を化せり。母を度して報恩畢り、安居の時過ぎて還れり」と書かれている。したがって、「五事」の「父母を度すべし」が、亡き父母に対する「特別の孝養」を意味していることになる。

さまざまな文献から推測すると、紀元前3世紀ころの、アショーカ王の時代には、この伝承が民衆のあいだに流布し、民衆にも、いま現に生きている父母はもとより、すでに亡くなってこの世には存在しない父母に対する報恩の行もまた、推奨されていたことがうかがえる。

もちろん、すでに述べたとおり、歴史上のブッダは、生きているうちに、父母をはじめ、かかわりのある人々に対して孝養を尽くすことは奨励しても、祖先供養や追善供養に対しては、否定的だった。出家僧の行動規範をしるす律蔵に、生母摩耶夫人説法の伝承が見当たらない理由は、そのためらしい。

しかし、民衆のあいだでは、先祖供養や追善供養が待望され、仏教教団としても、それを無礙(むげ)に否定できなかった。三道宝階降下の伝承は、そう示唆している。

ちなみに、インドで仏教と対抗関係にあったヒンドゥー教は先祖供養をしない。また、仏教では盛んな遺骨崇拝もしない。この二つの歴史的な事実を知る人はごく少ないようだが、仏教の本質を考える上では、ぜひとも覚えておく必要がある。

ようするに、遺骨崇拝も先祖供養も、仏教の原点あるいは原点近くに起源があった。これはまぎれもない事実だ。そして、この2つが日本人の感性と合致して、「日本仏教」の原型をつくりあげたのである。
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ご祭神はえびす神、15社めぐりの第8番「佐良気(さらけ)神社」(奈良市 春日大社境内末社)/やまとの神さま第107回

2024年12月22日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.12.18)掲載されたのは〈人生の難所守る15社の1つ/佐良気神社(奈良市)〉、執筆されたのは、奈良市にお住まいの新島弓美子(にいしま・ゆみこ)さんだった。
※トップ写真は、春日大社若宮神社近くに鎮座する佐良気神社=奈良市春日野町で

佐良気神社はえべっさん(えびす神社)で、本えびすは1月10日(春日の十日えびす)なので、ご注意いただきたい。私もお参りしたことがあるが、普段は参拝者の少ない若宮15社の中で、ここには行列ができていた。特に午前10時頃に混み合うようなので、正午前後にお参りするのが良さそうだ(ただし吉兆笹は、なくなり次第終了)。では、以下に全文を貼っておく。

人生の難所守る15社の1つ/佐良気神社(奈良市)
春日大社南門前の石灯籠(とうろう)が並ぶ御間道(おあいみち)を100㍍ほど南に行くと「おん祭」で有名な春日若宮があります。この神社の周りに人が生涯を送る間に遭遇するさまざまな難所をお守りする神々が若宮15社として鎮座しています。

神社の南側、15社めぐりの第8番納札社が春日大社境内末社の佐良気(さらけ)神社です。赤い柵に囲まれた敷地には鳥居があり、小さな境内の中、城の石垣のような上にお社が東側の深閑(しんかん)とした森を背にして立つ姿に威厳を感じます。

ご祭神は蛭子神(ひるこのかみ)(一般にはえびす神)です。蛭子神はイザナギとイザナミが最初に生んだ神様でした。手足が不自由な姿ゆえ葦(あし)の舟で海に流されてしまい、今の大阪・兵庫あたりで拾われ、「えびす三郎」という名で大切に育てられ、恵比寿明神になったという伝承もあります。商売繁盛、交渉成立をお守りくださる神さまとされています。

毎年1月10日に「春日の十日えびす」と言われる御例祭が行われます。通常、春日大社の巫女(みこ)さんは藤のかんざしをつけていますが、この日は金色の烏帽子(えぼし)をかぶった福娘が吉兆笹(きっちょうざさ)や縁起物を授与してくれます。日ごろ静かなこの神社が大にぎわいを見せることから、人々の信仰を集めていることが実感されます。(奈良まほろばソムリエの会会員 新島弓美子)

(住 所)奈良市春日野町160。春日大社内
(祭 神)蛭子神(えびす神)
(交 通)JR・近鉄奈良駅からバス。「春日大社本殿」下車、徒歩約10分
(駐車場)春日大社にあり。有料
(電 話)0742・22・7788


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