tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「伝統的酒造り」が、ユネスコの世界無形文化遺産に!

2024年12月21日 | 明風清音(奈良新聞)
毎月1~2回、奈良新聞「明風清音」欄に寄稿している。今週(2024.12.19)掲載されたのは、〈酒造り、世界無形遺産に〉。「伝統的酒造り 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」が、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことを受けて、これを書いた。

奈良県内にはたくさんの酒蔵があり、個性的でおいしい日本酒を醸(かも)しているが、あまり知られていないのが残念だ。しかし来年の万博では、「奈良酒」がクローズアップされることになっているので、大いに期待している。では、以下に全文を紹介する。



酒造り、世界無形遺産に
12月4日(日本時間5日)、「伝統的酒造り 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」が、ユネスコの無形文化遺産に登録された、おめでとうございます!日本の無形文化遺産登録は、2022年の「風流踊(ふりゅうおどり)」以来2年ぶり。食文化関係では13年の「和食」以来の登録である。これで国内の無形文化遺産は23件になる。

▼「オール奈良」で魅力発信
同月6日付本紙には〈「地域社会の結束に貢献している」などと評価。海外での知名度アップによる輸出増が見込めるほか、地域振興に弾みがつきそうだ〉。

7日付本紙には県酒造組合や奈良文化財研究所などが記者会見し〈関係団体・機関が協力して「オール奈良」で奈良酒の魅力発信に取り組む姿勢も見せた〉。また〈奈良商工会議所の峯川郁朗専務理事は「観光や地域経済の発展に大きな追い風になる」とし、清酒発祥の地とされる奈良の酒蔵を巡る周遊観光に力を入れる考えを示した〉。

〈(中略)奈文研の馬場基(はじめ)埋蔵文化財センター長は酒造りの歴史をひも解き、「奈良の酒造りは人々と神仏と自然の共生の結晶。文化財研究の蓄積と酒造りの伝統がそろっているのは奈良しかない」と強調した〉。

▼神社に寄りそう県下酒蔵
県酒造組合に加盟する酒蔵は30年前に比べて半減したが、それでも27蔵ある。これらを地図の上に載せていくと、興味深いことが分かる。他府県の酒蔵が、たいてい1~2ヵ所に集中しているのに対し、奈良県内の酒蔵は分散している。

しかもよく見ると、大きな神社に隣接しているのである。また室町時代、現代の清酒造りに通じる新技術と天然の乳酸菌で酒を造り、「日本清酒発祥の地」とされる正暦寺は、寺院である。まさに「人々と神仏と自然の共生の結晶」なのである。

▼惜しくも「日本遺産」逃す
清酒については、私には苦い思い出がある。2019年、奈良まほろばソムリエの会は、県下の関係市町やNPO法人「奈良の食文化研究会」などとタイアップし、「清酒発祥の地・奈良」として文化庁に日本遺産を申請したのである。

残念ながら結果的には、認定には至らなかった。理由は明らかにされないのだが、今思うと、関係各業界を巻き込んだ「オール奈良」の発想が欠けていたのかな、と反省している。

▼こうじ菌は日本の「国菌」
今回の無形文化遺産登録のサブタイトルには〈こうじ菌を使った酒造り技術〉とあるが、こうじ菌に注意を払う人は少ない。私は日本遺産申請時に、初めてその独自性を知った。

こうじ菌(ニホンコウジカビ)は、学名「アスペルギルス・オリゼ」。日本にしか存在しない菌(カビ)で、なんと2006年には「国菌」に認定されているのである。菌は世界中に約10万種類あり、日本人がその中からたった1つのこうじ菌を選んだというのは、奇跡と言うべきか。

▼奈良酒は「うま酒」
よく灘(兵庫県の灘五郷)の男酒、伏見(京都市伏見区)の女酒、と言う。これは酒造りに使う水の「硬度」(ミネラル分の多寡)の違いで、比較的硬度の高い水を使い、荒々しい飲み口の灘の酒と、硬度の低い水を使いやさしい味わいの伏見の酒の差が、現われているのだろう。

「では、奈良酒はどう言えばいいのですか」と、観光ガイド仲間によく聞かれる。私は「灘は男酒、伏見は女酒、奈良はうま酒、と答えてください」と申し上げている。酒蔵が県下各地に分散する奈良酒の特徴をひとくくりにするのは難しい。しかし万葉集の昔から、うま酒(味酒)は三輪の枕詞なので「昔から、奈良酒はうま酒です」と胸を張って言ってほしいのである。

▼大阪・関西万博でも注目
いよいよ来年4月から、大阪・関西万博が始まる。そこでは「奈良酒」が、クローズアップされることになっている。良いタイミングで世界文化遺産に登録された酒造り技術、清酒発祥地の奈良から世界へ、大いに発信していただきたい。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事、きき酒師)


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田中利典師の「みんなを味方につける」by 松下幸之助氏

2024年12月20日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は〈みんなが味方になる〉(師のブログ 2017.5.2 付)。松下幸之助氏の『リーダーになる人に知ってほしいこと』(PHP研究所刊)からの抜粋である。
※トップ写真は、奈良公園で2024.12.3 撮影

利典師がこの文章を書かれたのは、2010年のこと(『金峯山時報』2010年6月号の「蔵王清風」欄に寄稿)。2004年に吉野大峯を世界遺産に導いて6年後のことである。〈私は自分でいうのもなんですが、かなり正直に生きています。だから書いたエッセイもその時々の自分がそのまま現れています〉〈凹んでいた私が松下幸之助さんに救われた文章でした〉とお書きである。

一方、師の昨日(2024.12.19)のFacebookには〈今夜の一言「なんでもかんでも正直に言う人は信用できない」…と友人から言われた。ドキ!っとした〉とあるので、何だか可笑しいが。では以下に全文を貼っておく。

「みんなが味方になる」ー田中利典著述集290502
過去に掲載した機関誌「金峯山時報」のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。私は自分でいうのもなんですが、かなり正直に生きています。だから書いたエッセイもその時々の自分がそのまま現れています。本編を読み返すと、その頃の自分がまざまざとよみがえるのです。あの頃、凹んでいたなあ…。

***************

「みんなが味方になる」
最近、凹んでいて、なかなか抜け出せないでいる。そんな折り、久しぶりに自分を奮い立たせてくれる言葉に出会った。少々長くなるが、是非読んでもらいたい。

〈随所に縁がある。縁を求めていけば、全部君につらなるわけや。傍らで応援してくれる人というものは、何とでもできる。ひとりぼっちでやったらええやないか。「きょうからやろう」と思ってやっていって、三日たてば、後継者が一人できる、十日たてば二人できる。そうしていつの間にか雲霞(うんか)のごとく後継者ができてくるというようにならないといかんな。僥倖を待っていたらあかんで〉。

〈「千里の道も一歩から」やからな。そのくらいの気持ちやないと、千里も遠いところへはなかなか行かれへんやろう。そやけど、一歩ずつ足を出していったら、ついには行けるわけや。志しさえ変えなかったら必ずできる。ちっとも心配いらんと思う。君が心配していたら、みんなが心配する。もう自分は心配しない、自分は日本のためになるんだ、自分を応援しない人は損な人やと思わなあかんで〉。

〈君が何か与えられるものがなかったらあかんわけや。今は与えるものがないとしても、将来、日本をこういうふうによくするというものがあれば、無限のものをもっていることになる。自分はたくさんのものをもっているのやということを知らせたらいい〉。

〈だから君な、ひとりだと思うなよ。日本全部自分の友だちにできるんや。もっていき方だけの問題や。あとは自分のもっていき方次第でみんな味方になる。味方にならんということはないはずや。そのくらいの信念をもってやらんとあかん〉。

まるで私に直接話しかけてくれているようなこの文章は、PHP出版『リーダーになる人に知ってほしいこと』(松下幸之助述)の一文である。読んでいて泣きそうになった。もちろん、私がここに語られる、リーダーであるわけではない。しかし私にはいつも、大げさに言うなら、「日本をなんとかしたい」という志がある。

「あほなことをいうて」と周りの人に笑われているかもしれないけれど、実際にはなんにもできないのかもしれないけれど、志だけは失わずにいたいと、これを読んで改めて思い直したのだった。ともかく、松下幸之助さんに笑われんよう、しっかりしていたいものである。
※『金峯山時報』平成22年6月号所収「蔵王清風」より

*****************

凹んでいた私が松下幸之助さんに救われた文章でした。なかなか「みんなを味方」には出来ないけれど、あの頃の自分に笑われないようにだけは、しないといけません。
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県内で最速、1月4日に宵宮、5日に本祭「南市恵毘須神社」(奈良市南市町)

2024年12月19日 | やまとの神さま(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週水曜日、毎日新聞奈良版に「やまとの神さま」を連載している。先週(2024.12.11)掲載されたのは〈商売繁盛「五日えびす」/南市恵毘須神社(奈良市)〉、執筆されたのは、奈良もちいどのセンター街で陶器店「器まつもり」を営む松森重博さんだった。
※トップ写真は、南市恵毘須神社の本殿=奈良市南市町で

私は奈良に来るまで、えべっさんは1月9日(宵えびす)、10日(本えびす)、11日(残りえびす)と信じ込んでいたので、南市恵毘須神社は4日と5日と知って、とても驚いたことがある。奈良県内では、2月に営まれるえべっさんもあると聞いて、「さすがに歴史ある奈良県だな」と、しみじみ思った。では、全文を紹介する。


こちらの写真は、私が撮った南市恵毘須神社の本えびす(2006.1.5撮影)

商売繁盛「五日えびす」/南市恵毘須神社(奈良市)
南市恵毘須(みなみいちえびす)神社は、奈良市の中心市街地にあるもちいどのセンター街に隣接する南市町に鎮座します。南市という市は鎌倉時代に開かれたとされ、高天(たかま)市、北市とともに「南都の三市」と呼ばれました。

この神社は春日大社の境外末社で、鎌倉時代の創建と伝わります。本殿は一間社春日造、祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、えびす様とも呼ばれます。市場の守護神としてお祭りされ、招福と商売繁盛の神様として有名です。

1月4日に宵宮、翌5日に本祭の初戎(はつえびす)が行われます。県内で年の初めの最初の「えびす祭」と言われ、「五日えびす」との呼称でも名高く、多くの参拝者でにぎわいます。

かつては県内の数あるえびす祭で最もにぎわったと伝わります。大正時代には歌人の会津八一も訪れ、「笹(ささ)の葉に鯛(たい)吊(つ)り下げてあをによし奈良の巷(ちまた)は人の波打つ」(原文はかな)と往時の様子を伝えています。1965年ごろまで芸者を乗せた宝恵籠(ほえかご)が繰り出していました。

春日大社を神仏習合の観点で描いた春日曼荼羅(まんだら)を保有する南市町自治会が日ごろから神社の世話をされています。本祭では春日大社の神官や巫女(みこ)による神事が行われ、同自治会えびす講が吉兆笹を販売します。(奈良まほろばソムリエの会会員 松森重博)

(住 所)奈良市南市町28
(祭 神)事代主命
(交 通)近鉄奈良駅から徒歩約10分、JR奈良駅から徒歩約20分
(見 学)境内は普段、立ち入り禁止。祭事の時のみ開放
(駐車場・電話)なし


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田中利典師の「有徳の女性とのお別れ」

2024年12月18日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈徳を積む〉(師のブログ 2017.4.30 付)。94歳のおばあちゃんの死を悼む文章である。師は〈心根がホントに優しいおばあちゃん〉〈なにかしら徳を積んだ人という感じの方だった〉とお書きである。
※トップ写真は、「奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~」で、2024.12.3撮影

師の息子さんが下宿されていたということもあって、〈親戚のような気持ちでお付き合いをいただいた人だった〉ともお書きになっている。では、以下に全文を紹介する。

「徳を積む」
一昨夜、父の代から長年にわたりお参りいただいた信者様がお亡くなりになった。昨年秋、大腸に癌が見つかり、摘出の手術をされたが、順調に回復されていると聞いていたので驚いている。どうやら手術後の体調はよかったにもかかわらず、先々週に転倒をして大腿骨を骨折され、その術後の容態が急変して、急逝されたらしい。齢94の大往生であった。

ご主人が熱心な御岳(おんたけ)の行者さんだった。そのご主人に導かれて、たまに自坊においでになるようになった。近江の安曇川町で雑貨食料の商店をご夫婦で営まれていて、ご主人は毎月、遠路をお参りいただいたが、お店はやすめないので、店番の奥さんは大祭くらいにしか、おいで頂けなかったのだ。

ところが、もう9年ほど前に、ご主人が亡くなられてからは、ご主人に代わって、毎月ほぼお見えになるようになった。お店を以前ほどは手広くされなくなったことも、要因かもしれない。

とにかくこぎれいな人で、心根がホントに優しいおばあちゃんだった。病気一つしたことがないと自負されるほど、90歳を越えても元気溌剌で、きっと100歳まではこのまま健やかに過ごされるに違いないと思っていた。そういう、なにかしら徳を積んだ人という感じの方だった。

あまり愚痴らしい愚痴も聞いたことがなく、ありがたい、ありがたいが口癖で、お参りされても、こちらが幸せにしていただく、常にそんな風だったのである。

徳を積むとは、別段、すごい修行をするとか、悟りを目指すとか、というのではなく、日々の中で、真摯につましく、穏やかな心根で、誠実に生きることなんだと改めて感じさせてもらえる、お日さまのようなおばあちゃんだった。

愚息がしばらくご自宅に下宿したこともあり、一信者様というよりは、親戚のような気持ちでお付き合いをいただいた人だっただけに、急逝の報に接して、がく然としている。

昨日の朝、病院から自宅に帰られたので、お見舞いに行ってきた方から連絡があった。「今にも笑い出すかの如く、それはそえれは穏やかなお顔でした。権現様のおかげかと思われます」と連絡のファックスに一文が添えられていた。

その笑顔はきっと権現様のおかげでもあり、ご本人のお徳でもあるにちがいない。今夜、お通夜なので、最後のお別れに行かせていただこうと思う。そのお徳に感謝を込めて…。
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K-POPライブ、予算は可決。知事は「有料化も検討」

2024年12月17日 | 奈良にこだわる
先日から話題になっているK-POPライブに2.7億円を支出する問題(当ブログの記事は、こちら)、昨日(12/16)の県議会で予算案が可決された。毎日新聞奈良版によると、〈県議の多くはその後、事業費の縮減を要望。山下真知事も精査すると約束した〉〈開催自体は認めつつも、費用への疑問は突きつけた形だ〉。
※トップ写真は、奈良公園(12/3撮影)

何だかモヤモヤが残るが、知事の〈有料化も検討しながら経費を節減できないか精査していきたい〉という言葉を信じて、これからの議論の行方を見守りたい。以下、毎日新聞の記事内容を貼っておく。

K-POPライブ費可決 県議会 知事に事業費縮減も要望 
県議会は12月定例会最終日の16日、補正予算案案など県提出の33議案を可決した。韓国・忠清南道と共催するK―POPコンサートの事業費が「一過性のイベントで高額な割に効果が薄い」として、会派「自由民主党・無所属の会」の5議員が提案した修正予算案は否決されたが、県議の多くはその後、事業費の縮減を要望。山下真知事も精査すると約束した。

議会の焦点となったコンサートは、友好提携関係の忠清南道と県が文化交流行事として計画。2025年10月にK―POPアーティストを招き、奈良市の奈良公園で開く方針だ。県側の総負担額は2億7000万円を見込んでおり、24年度補正予算案で25年度の支出に向けた債務負担行為2億5585万円などを盛り込んでいた。

この日の本会議では、自民の若林かずみ県議が「費用が多額な一方で費用対効果が薄く、県民へ利益があるかも不明。理解が得られない」と指摘した。だが、「日本維新の会」(12人)や自民(8人)など計23人が修正予算案に反対したため、県提出の補正予算案が可決された。「公明党」3人と「新政なら」の森山賀文県議は棄権し、自民の西川均県議は議場を離れ、賛否を表明しなかった。

だが本会議終了後、修正予算案に賛成しなかった日本維新の会と公明党、新政ならの3会派と自民党の8人の計26人も、費用縮減や会場の再検討などを求める申入書を知事に提出。開催自体は認めつつも、費用への疑問は突きつけた形だ。

山下知事は臨時記者会見を開き、アーティストを確保し出演費も負担する忠清南道側から「無料開催」や「1万人規模の会場」といった要望が示されたと説明。高額になった理由に、屋外での舞台設営や警備費を挙げた。また、財源には税金ではなく、国際交流に使える県の基金を充てるという。「日韓関係を地方同士の交流で下支えでき、奈良のPRにもつながる」と訴えたうえで、「有料化も検討しながら経費を節減できないか精査していきたい」と話した。【川畑岳志】


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