今日の「田中利典師曰く」は、〈菩提心の種まき〉(師のブログ 2017.5.3 付)。「菩提心の種まき」とは、お釈迦さまの言葉だ。師は〈菩提心の種まきが大切なのである。これこそを自己の生活の中心に据えて生きていくことが、仏教徒の正しい生き様なのである〉と強調される。
※トップ写真は、奈良公園(2024.12.3 撮影)
末尾に、利典師の自坊(京都府綾部市)に入門を希望して、大阪から60km以上を歩いて来たという還暦の少し前(2017年現在)の人の話が登場する。これは、まさに師の「菩提心の種まき」の成果ということになろう。では、以下に全文を紹介する。
「菩提心の種まき」
過去に掲載した機関誌『金峯山時報』のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。今日のはそうとう古い文章です。いまから遙か20年前(1997年)。まだ20世紀末のもの。
それだけに私の文章も青臭く、稚拙です(いまも稚拙ですけど…)また、40歳代初頭で、志もいささか青臭いです。まあ、少々照れますが、心意気を読んでみてください。
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「菩提心の種まき」ー田中利典著述集290503
21世紀が目の前に来ている。「新しい革袋には新しい酒を注げ」という諺があるが、まさに21世紀という新しい革袋に相応しい酒が必要とされる時を迎えているのである。
別に飲む酒の話ではない。我々が生きる時代の、思想・文化・政治・宗教・社会機構などあらゆる分野に亙っての変革のことを言っている。特に今世紀末は今まで人類が経験したことのないような、激烈な文明の進歩と社会変革が生み出されようとしているのである。
で、私たちがなすべき話は宗教である。「こころの時代」といわれて久しいが、21世紀こそ、こころの世紀であろう。つまり宗教の責務たるや極めて重大である。その責務を果たすに相応しい活動が出来ているかどうか、宗教に関わる人間は皆がこの際、省みて自己変革につとめねばならないと思うものである。宗教に巣くって、おのが糊口を賄うのに汲々としているような志のない者は、直ちに席を辞して、立ち去れと言いたい。
仏教徒にとっての志とは菩提心につきる。釈尊があるとき托鉢をしておられると一人の農夫が通りかかり、「我々は田畑を耕し作物を作って生活しているが、おまえ達は何も作り出すことなしにただ食べ物を乞うているだけの、穀潰しではないか」と罵ったのに対し、釈尊は物静かに「私たちは目に見えるものは何も生産していませんが、人間が正しく生きていくための菩提心の種蒔きをして、人の心を耕しているのです」とお答えになったという。
その菩提心の種蒔きが大切なのである。これこそを自己の生活の中心に据えて生きていくことが、仏教徒の正しい生き様なのである。近年僧侶の職業化形骸化が著しい。サラリーマン住職だって珍しくはない世の中である。そんな人たちが本当の意味で、他人に対して慈悲深い教化活動をおこなえるものなのだろうか。僧侶とは姿・形ではなく、菩提心に関わる生き様のみが問われなくてはならないのである。
僧侶にとって生き様のみが問題であるとすれば、在家・出家の別などない。サラリーマン化した出家(と称する)僧侶より、サラリーマンでありながら宗教活動をする在家の人々の方が優れている場合だって多いのである。
いわゆる在家宗教者の時代の予見が新世紀にはある。少なくともそれくらいの自負をもった、今世紀末の修験者でありたいものである。われわれ在家行者を旨とする修験者にはその使命がある、と私は思っている。
※『金峯山時報』平成9年(1997年)2月号所収「蔵王清風」より
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昨日、ひとりの入門希望者が自坊にやってきました。聞けば、得度受戒許可の前行として、大阪・東住吉の自宅を徒歩で出て、はるか綾部の私のところまで踏破を目指したそうですが、途中で股関節を傷め、最後はバス・JRなどを利用したとのこと。それでも60キロ以上を自力で歩いて来られたのでした。
修験道を志す中で、自分の体をつかって、その道を求めようとする姿勢…。感心をしました。そして、私のいくつかの講演会や講座に出る中で、齢60を目前にして発心を起こしたんだという話を聞き、私なりの「種まき」がひとつの形となって現れたのだと思うと、とっても嬉しくなるのでした。まあ、種まきというのはいささかおこがましいことではありますが…。
このところ、日本仏教=葬式仏教論の煩瑣なやりとりに少々疲れていましたが、20年前の志を忘れることなく、私なりの仏道を行じていければと、改めて思い直した文章でした。実は今年に入って彼で4人目の入門者となりました。こういう仏教のあり方というのも有りかと私は思います。仏教ちゅうか、修験道ですけど(^^;)
※トップ写真は、奈良公園(2024.12.3 撮影)
末尾に、利典師の自坊(京都府綾部市)に入門を希望して、大阪から60km以上を歩いて来たという還暦の少し前(2017年現在)の人の話が登場する。これは、まさに師の「菩提心の種まき」の成果ということになろう。では、以下に全文を紹介する。
「菩提心の種まき」
過去に掲載した機関誌『金峯山時報』のエッセイ欄「蔵王清風」から、折に触れて本稿に転記しています。今日のはそうとう古い文章です。いまから遙か20年前(1997年)。まだ20世紀末のもの。
それだけに私の文章も青臭く、稚拙です(いまも稚拙ですけど…)また、40歳代初頭で、志もいささか青臭いです。まあ、少々照れますが、心意気を読んでみてください。
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「菩提心の種まき」ー田中利典著述集290503
21世紀が目の前に来ている。「新しい革袋には新しい酒を注げ」という諺があるが、まさに21世紀という新しい革袋に相応しい酒が必要とされる時を迎えているのである。
別に飲む酒の話ではない。我々が生きる時代の、思想・文化・政治・宗教・社会機構などあらゆる分野に亙っての変革のことを言っている。特に今世紀末は今まで人類が経験したことのないような、激烈な文明の進歩と社会変革が生み出されようとしているのである。
で、私たちがなすべき話は宗教である。「こころの時代」といわれて久しいが、21世紀こそ、こころの世紀であろう。つまり宗教の責務たるや極めて重大である。その責務を果たすに相応しい活動が出来ているかどうか、宗教に関わる人間は皆がこの際、省みて自己変革につとめねばならないと思うものである。宗教に巣くって、おのが糊口を賄うのに汲々としているような志のない者は、直ちに席を辞して、立ち去れと言いたい。
仏教徒にとっての志とは菩提心につきる。釈尊があるとき托鉢をしておられると一人の農夫が通りかかり、「我々は田畑を耕し作物を作って生活しているが、おまえ達は何も作り出すことなしにただ食べ物を乞うているだけの、穀潰しではないか」と罵ったのに対し、釈尊は物静かに「私たちは目に見えるものは何も生産していませんが、人間が正しく生きていくための菩提心の種蒔きをして、人の心を耕しているのです」とお答えになったという。
その菩提心の種蒔きが大切なのである。これこそを自己の生活の中心に据えて生きていくことが、仏教徒の正しい生き様なのである。近年僧侶の職業化形骸化が著しい。サラリーマン住職だって珍しくはない世の中である。そんな人たちが本当の意味で、他人に対して慈悲深い教化活動をおこなえるものなのだろうか。僧侶とは姿・形ではなく、菩提心に関わる生き様のみが問われなくてはならないのである。
僧侶にとって生き様のみが問題であるとすれば、在家・出家の別などない。サラリーマン化した出家(と称する)僧侶より、サラリーマンでありながら宗教活動をする在家の人々の方が優れている場合だって多いのである。
いわゆる在家宗教者の時代の予見が新世紀にはある。少なくともそれくらいの自負をもった、今世紀末の修験者でありたいものである。われわれ在家行者を旨とする修験者にはその使命がある、と私は思っている。
※『金峯山時報』平成9年(1997年)2月号所収「蔵王清風」より
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昨日、ひとりの入門希望者が自坊にやってきました。聞けば、得度受戒許可の前行として、大阪・東住吉の自宅を徒歩で出て、はるか綾部の私のところまで踏破を目指したそうですが、途中で股関節を傷め、最後はバス・JRなどを利用したとのこと。それでも60キロ以上を自力で歩いて来られたのでした。
修験道を志す中で、自分の体をつかって、その道を求めようとする姿勢…。感心をしました。そして、私のいくつかの講演会や講座に出る中で、齢60を目前にして発心を起こしたんだという話を聞き、私なりの「種まき」がひとつの形となって現れたのだと思うと、とっても嬉しくなるのでした。まあ、種まきというのはいささかおこがましいことではありますが…。
このところ、日本仏教=葬式仏教論の煩瑣なやりとりに少々疲れていましたが、20年前の志を忘れることなく、私なりの仏道を行じていければと、改めて思い直した文章でした。実は今年に入って彼で4人目の入門者となりました。こういう仏教のあり方というのも有りかと私は思います。仏教ちゅうか、修験道ですけど(^^;)