鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

交通事故を目撃して思ったこと。  

2013年03月12日 00時10分52秒 | 随筆或いはエッセイ
交差点で信号待ちをしている私は、大きなガチャガチャッというような音を聞いて右を見た。250ccクラスのヨーロピアンスタイルバイクがたくさんの破片を飛び散らせて道路に倒れていくのが見えた。と、同時にジェット型ヘルメットを被った人間が道路上をコロコロと転がっていくのも見えた。

ヨーロピアンスタイルはハンドルが小さくて、前傾姿勢で乗るスピードレースタイプバイク。ジェット型ヘルメットは、フルフェイスの口を守る部分がないタイプでオバサンが好む形。目撃と書いたが、当たる瞬間を見ていないので私は証言者になれない残念な目撃者だ。

おそらくこういうことだったのだろうと思われる事故状況を先に書こう。私は大きな道路に交わるT字路で青信号になるのを先頭で待っていた。大きい道路は優先道路で青信号も長いので車はスムーズに流れていた。右から来た軽のワンボックスカーが私の方に曲がろうとスピードをゆるめたが、後方確認をしないまま左にグイッと寄ったのだろう。もしかしたら方向指示器を寄せると同時に点けたのかも知れない。そこにかなりスピードを出したバイクが突っ込んで来て、縁石に乗り上げたか、急ブレーキを掛けたか(ブレーキの音はなかった)・・バランスを崩し、ガードレールにはじかれて転倒したのだと思われる。軽ワンボックスカーには接触していないかも知れない。当たっていたとしてもわずかだったと思われる。

転がった人間は、曲がりかけて停まった軽ワンボックスの左前面に身体を横たえる格好で動かなくなった。しかし、軽ワンボックスが動きだしたのである。寝転んでいる男を轢こうとしている。どういうこっちゃ!!?・・と思った。運転手も助手席の男も死角になって男が見えていないのか・・?! 倒れた男の太ももをタイヤが乗り上げそうになった。少し乗り上げたが、倒れた男が気づいたのか、身体をずらして車の下に潜り込む形になった。

軽自動車は逃げようとしているようにも見えたが、車を左端に寄せようとしているようにも見えた。私は一番近く目の前に見ているわけで、「動くな! 停まれ! 停めろ!」とドアを開けるのももどかしく叫んだ。ところが、運転手はキョトンとした表情で車を動かしている。太ももに乗り上げかけた時点で『変だな』と思った筈。でもパニックになったのか、前進させるので、倒れた男は足首だけ見える形で車の下になってしまった。

そこでようやく私の叫びも届いたか、何か異物が車の下にあると感じたか、軽は停まった。嫌~な感じと言おうか、車の下敷きになってどんな状況か、緊迫した状況だった。一番に駆けつけた私が「持ち上げるぞ!」と、助手席から降りた男に声を掛けて、バンパーに取り付き車を持ち上げた。助手の男も素直に従ったのか、軽だからか、車の前部は軽く持ち上がった。そして沢山集まった内の1人が車の下の男を引きずり出した。

頭をつぶされたりしてないかと、イヤ~な気持ちで振り返ると、下敷きの男は二十歳前後の若いコで靴が片方脱げて靴下が破れ、顔にも傷がつき、服も破れていたが、ヘルメットをきちんとかぶったままで、意識もあり自分で上半身を起こした。『おー何と無事であったか』と多分、周りの誰もが意外に思った筈。

そこで軽の運転手が「大丈夫?」と声を掛けたのである。そうしたら、転がった若者は憮然とした表情で「大丈夫ですけど」と応えたのであった。『何というお間抜けな発言か!!』と私は思ったので、つい口に出してしまった。「大丈夫な筈あるか!!救急車呼べ!」と大声で。そうしたら軽の運転手と助手は「ハイ」と携帯を取り出して電話を掛け始めた。

そこで私は、一番間近の目撃者で救急活動もした人間でありながら、自分の車に戻ってすぐに現場を後にした。何といっても私にだって約束した時間に行く用事があったのですからして・・・。でも後で思うに、私は事を荒立ててプイと立ち去った変な人だったのではないか。

ここで、印象深かったことを書き残したい。

①人間はコロコロと転がるものであるということ。(柔道が得意で受け身がとっさに出る人間ならどうだっただろう・・・。体操選手でバネのある人間だったら、身のこなしよく転がりながら立ち上がったか・・・。)

②大変な事態に人は集まるが、呆然と眺める人間が多いということ。瞬発力がない人間が意外に多いのは、穏やかに平和に過ごしている人間が多いからか。緊急時に何をなすべきか決められないのは、日頃からシミュレーションをしていないからか。想像力が働かないからか。

③「大丈夫?」という言葉は、場にそぐわないこともあるということ。わたしは大きなケガをしたことがあって、その時に「大丈夫?」と聞かれ、腹立ちを覚えたことがあった。見るからに大丈夫でない人間に呼びかけるにふさわしい言葉はないものか!? 
「どこが痛みますか?」だろうか。「どうされましたか?」だろうか。機会があったら救急隊員に聞いてみたい。

④この事故遭遇場面で、車載カメラと言うのだろうか・・事故を記録するカメラが私の車に付いていたら、事故の原因詳細がわかっただろうに残念。この事故はどういう割合で誰がどう悪いことになるのだろう。バイクの若い男が見せた、『オレを轢こうとしただろう!!?』という恨みがましく憮然とした表情を忘れられない。

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デフォルメ

2013年02月24日 01時02分46秒 | 随筆或いはエッセイ
この日本の地形は大胆にデフォルメされている。本州最南端が強調され、あとは位置が解ればいいのだ。何かを表現するというのは、こういうことなんだと、妙に納得した。

潮岬なんである。黒潮に突き出た岬か。私の田舎には塩野という地名がある。美咲という子が知り合いにいる。で、塩野美咲という人もどこかにはいるのだろうな・・などという連想は書く意味がない。

表現したい事の周辺事情は、シンプルにデフォルメする。周辺との関係性をはっきりさせながら核心を浮き上がらせることが肝要だ。脈絡もなく思いつきや連想したことを、言わずにいられない人はどこにでも居る。と、他人事のように書いてみる。

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【午後の喫茶店】のこと

2011年12月16日 10時09分01秒 | 随筆或いはエッセイ
半月前に村山孚という文筆業だった人が91歳で亡くなった。沢山の著作をものにした人で80歳を過ぎてからパソコンを使い【午後の喫茶店】というホームページを持った。江戸末期か明治初期に私の実家から分かれた家で、私の大伯母か大叔母がもう一度そこに嫁いでいるという親戚筋。以前にも紹介したが、私のまた従兄弟にあたる。生前に書いた『わたくしこと、このたび死去いたしました。・・・』という挨拶文が切なく心にくい。あんな風に生きて去っていけたらと思う。『午後の喫茶店』は下記アドレス。http://www2.wbs.ne.jp/~bokemon/
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狐の襟巻き

2011年12月15日 22時33分42秒 | 随筆或いはエッセイ

画像の狐の襟巻きは、子供の頃に見慣れていたものだ。姉が母から嫁入り時に持たされたけれど、一度も使うことなく箪笥に入ったままだったそうだ。持て余すので処分したいが引き取るか・・・と連絡を受けて、もらいうけることにした。

記憶というのは何とも曖昧でいいかげんなものだなぁ・・と現物を見て思った。もっと小さく細くてかわいい印象だったのだが、宅急便を開けてびっくり。こういうのは生き生きとは言わないのだろう。実に生々しい。姉の表現を借りるなら『迫力あり過ぎ』。

ネットで調べて見ると、赤狐というらしい。画像をいくつか見たが、ウチのほど赤くて見事なものはない。昭和の初めころ流行ったらしい。肢まであるのは、今では珍しいそうだ。その肢は何だかよじれていて痛々しい。中に綿でも詰めたらよかろうに、毛と皮だけのようだ。爪なんかもあったりして、おぞましい。眼はもちろん義眼だけれど怖い。口は骨や歯はなく縫い合わされているから細くて哀れを誘う。

思い出の品なので引き取ったが、どうしたものだろう。肢を切り取れば、マガマガシイ感じはなくなるかも知れない。首も取ったら、普通に襟巻きらしくなるかも知れない。尻尾を取ってはもったいないだろう・・・見事にふさふさしているのだから。と、こんな事を思うけれど、はたして誰が首に巻くのか・・。

この赤狐の襟巻きは、私の大叔父が大正の頃(?)にアルゼンチンに移住したのだが、移住する前か一時帰国した時か判らないが、祖母にプレゼントしたものだという。それを嫁である母が受け継ぎ、姉のものとなり、このたび私のところにもらわれてきたという次第。

先日韓流ドラマを観ていたら、イケメン歌手という設定の青年が、片方の肩にキツネかテンかミンクか分からなかったけれど、毛の襟巻きを垂らしていた。そしてその母親で歌手だという役の女優も同じようにやっていた。そうか、首に巻かなくてもそういう使い方があるのか・・・と思ったが、それを自分がやるなんてことは、こっぱずかしくてできそうもない。

全身最高のおしゃれを決めて、赤狐の襟巻きを肩に垂らして写真館で撮ってもらおうか・・と、ひらめいた。私が死んだら葬式はせずに家族で樹木葬なり散骨なりで済ますようにと言ってあるが、遺影には贅沢をしよう・・・と思う。

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移動と振動のこと

2011年10月14日 10時11分36秒 | 随筆或いはエッセイ
ちょいと野暮用で京都・東京間を夜間高速バスで往復した。東京での滞在時間は40時間。高速バス車中往復で14時間。徒歩・バス・電車での近距離移動と待ち時間4時間。計58時間(2日と10時間)の外出だった。所要経費13000円余り。

数字をいじり始めたら上記のようなデータになった。こんなことを書くつもりでタイトルを決めたのではない。夜間高速バスの車中は、カーテンが閉められ消灯もされて眠るしかない状態になっている。リクライニングシートになっているとはいえ、うしろの席のこともあり最大に倒すことはできない。体力のある若い節約旅行者たちは皆が慣れたふうでさまになっている。

2カ月前に同じ経験をしているので、今回は買ったなりで使ったことのない旅行用空気枕を引っぱり出して持参した。乗車したらすぐにプープーふくらませて首にはめる。首周りが窮屈なのだが、慣れてしまうと実に具合がいい。慣れてしまうとというより眠ったときといった方が正しい。眠り込んでも首が痛くならない。左右に枕が当っているので不自然に頭がぶれない。けっこう旅慣れたふうに眠れた。

それでも何回も目が覚める。本当の熟睡はできない。走行騒音が耳についたり、高速道路だとはいえ振動も相当にある。トイレタイムでサービスエリアにバスが止まるたびに必ず目覚めたので外に出た。乗客の大半は降りるどころか起きることもなく眠っている。エコノミー症候群が心配ではないのだろうか。そんな事を思うのは私の貧乏性か。

移動中に一番感じたのは振動だった。何せ外も見られない密室空間で皆が寝ているんである。眠るしかないのだが、それを妨げるのが主に振動だ。こんなにも人体が長時間振動を与えられていいものだろうか。むかし舗装されていない道路が多くて、自動車やバイクのクッションも悪かった頃のドライバーは腰をきつく締める幅広の専用帯を巻いていた。胃下垂にならないようにとか何とか聞いたことがある。

振動で思いだすことと言えば、地震での液状化現象、乳児揺さぶり症候群、各種バイブレーターあたりか。このバイブレーターは疲労回復目的や筋肉増強や脂肪燃焼やオトナの何とかやらあるわけだが、いま私の関心は脂肪燃焼バイブレーター。内臓脂肪まで燃焼させて筋肉増強にもなるとかなんとかテレビショッピングでやっている。楽をしながら若い頃の身体に戻りたいというご都合趣味。

話がどんどん拡散していく。はじめに考えたのは、移動は振動を避けられないものだなと感じたことから、こんな機械的振動を長時間経験してのマイナス面とプラス面を考察あるいは想像すること、そして今回少し贅沢をした3列独立シートのことから未来交通システムへの提言まで持っていくつもりであったのに・・・。それはまたそれぞれに分割して小出しにやっていこうと思ったりするけれど、たぶんダメだろうな・・・と。最近ナゲヤリでヤリナゲな私。やりっぱなしで投げてしまうことをヤリナゲというだろうかと、いまふと思った次第。

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大型ゴミの日 (その2)

2011年09月17日 18時00分39秒 | 随筆或いはエッセイ
ソファはゴミ収集車が持ち帰らずに、張り紙がしてあった。過大大型ゴミになるので、有料ゴミとして申し込むか、小分けにして出すようにとの事だった。雨も午後から降り出して濡れる大型ソファ、ウチのより何倍も値打ちもののソファよ・・・哀れ。夜中にふと思い出して見てみたら無かった。出した人がまた持ち帰ったのか、それとも目利きが回収して行ったか・・・。

わたしは子どもの頃から物を分解するのが好きだった。模型飛行機などを組み立てるより、古いラジオなんかを分解して壊すのが得意だった。どういう仕組みなのかというより、どうしたら分解できるかという方に興味を持った。わたしのそういう性癖をご近所さんが知っていたら、分解を頼まれたかも知れない。そうすれば、わたしは自分とこのを分解してゴミに出し、ちゃっかりいいソファに寝転んでいる筈。

昨日はヒマだったので、ちょっとした分解やら分別をして、そこから鉄だけを選り分けてからリサイクル屋さんへ売りに行った。鉄だけと言っても、いろいろ混じっているテツ。130kgあり、およそキロ当たり20円で2520円になった。汗かいて重たいメをして、車で何キロ先までも持っていって、その金額か・・・とわらうなかれ。けっこう充実感があるんである。

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大型ゴミの日 (その1)

2011年09月16日 07時30分05秒 | 随筆或いはエッセイ
大型のソファが、ウチの前の指定場所に捨ててある。本皮張りではなさそうだけれど、黒いレザーで傷も汚れもない。ご近所さんが出した筈だが、人目をはばかったのか早朝6時に私が新聞を取りに玄関を出たら、もうそこにあった。近所付き合いの薄い新興住宅地だから、どこの家のものか見覚えなど全くない。

『ウチのと取り替えたい』というのがはじめに思ったこと。自慢じゃないけれどウチのは布張りで、座って膝の裏に当る部分というのか縁がぼろぼろになっている。それを隠すためにシーツをかぶしているけれど、座って寝そべってごそごそしていると、くしゃくしゃになってぼろが見えてくるという仕掛けになっている。

知り合いからもらったのが18年程前で、それも不要だからともらったから、使用年月はおそらく30年以上だ。ずっと以前に仕事の関係で、椅子の布張り屋さんに行ったことがある。客商売の店で使う別注の椅子を扱う専門職。そんな店をタウンページかインターネットで調べて、張替えを頼んでもいいのだが、それもおっくうで、新品を買った方が安いだろうしなぁと考えると何もせずに、シーツをくしゃくしゃにしてはぼろを出している。見ないふりの見なかったことにするのが我が家のエチケットなんである。

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昭和天皇のこと

2011年08月31日 09時52分30秒 | 随筆或いはエッセイ
昨日、NHKEテレ『さかのぼり日本史 満州事変・暴走の原点』を少しだけ観た。これもまた、保存してじっくり観たい番組だと思った。いつもそればかり・・・。昨日の新聞のテレ番を見ると、深夜にもう一度再々放送があったようだ。これまた残念・・と、そればかり・・。

昭和天皇は、国際連盟規約に違反する関東軍の軍事行動(暴走)を食い止めたいという思いを強く感情的に示したらしい。それが側近の日記に残されている。以前違う番組で観たのだが、2・26事件の時も、自分が鎮圧に出ようかと言ったそうだ。

結果として、側近の思惑により、それらの意思は握りつぶされ、暴走は食い止められず、国際連盟脱退そして泥沼へと突き進んでしまった訳だ。そんな歴史が語られる場合に時々現れる、天皇の人となりが普通に良いヒトであるということに感慨を深くする。

数日前のある会で、『東京大空襲のあと、焼け野原になった下町が宮城前広場から見渡せた筈なのに、何で天皇陛下は早く戦争をやめてくれなかったのかと残念です。早くやめてくれたら、沖縄だってあんなことにならなかったし、広島も長崎も原爆を落とされずに済んだに・・・』とある人が言った。彼女は母親と妹2人を66年前の3月10日の東京大空襲でなくしている。

戦後は皇居前広場と言うようになった宮城前へこの八月初めに行った。ヤボ用で上京したのだが、時間調整がてらはとバスに乗った。二重橋も中学の修学旅行以来だったのだが、確かにそこから下町を見下ろせば、当時は一面焼け野原だっただろう。

統帥権を持ちながら発揮発動することができない地位、或いは位置に居るというのはどんな気持ちがするものだろう。側近の日記などが部分的に公表されて、人となりが表れる度に『何とも気の毒になぁ・・・』と思う。マイナスイメージを起こさせる部分は公表されないからかも知れないけれど・・・。

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日記を残して世を去るということ

2011年08月30日 11時26分14秒 | 随筆或いはエッセイ
昨日、NHKで2005年8月1日に放送された『ハイビジョン特集山田風太郎が見た日本 未公開日記が語る戦後60年』の再々々?放送を観た。予定していた訳でも知っていた訳でもなく何となく途中から観始めたのだが、目が離せなくなった。

中で印象深かったのが、人気エンターテインメント作家となってから太平洋戦争関連の書物を読み漁り始め、500冊余の読書ノートを作り、1100冊余りも読破してから、自分の日記を公開し始めたという事だ。

番組ではそこのところを、うまい表現で説明していたが、今それを思い出せない。要は納得がいかなかったのだ。書く立場の事情や作為的意図の元に変質していたりするのが多いからだろう。そして自分個人の日記を正確にありのまま公開し始める。

この番組で三国連太郎が、戦場で兵士の死に際を看たので戦記物は一切読まないというのとは対照的に、病気の為に戦争に行かずに済んだ山田風太郎が自分は傍観者だと少し負い目を感じているのか戦記物を読み漁る。ところが、この二人は共通する批評精神をもって戦後をしっかり観察してきたのだろう。

山田風太郎が亡くなって発見されたという未公開日記を読みながら、三国連太郎が山田風太郎になりきっていく演出が見事だった。NHKアーカイブスで人気のあったものだそうだ。また放送があったら録画したい。

音楽を聴くのだって、テレビを観るのだって、いつだって行きあたりばったりの偶然まかせの私が、最近はBSプレミアムの番組表を見て録画予約をしたりしている。そろそろ計画的に人生を生きなくては・・と考え始めた私はもう還暦を過ぎている。発達が遅過ぎるって・・・? それが何か。

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八月に雪虫

2011年08月29日 14時08分05秒 | 随筆或いはエッセイ
昨日の朝、二階から何となく小さな庭を見下ろしていて、雪虫が飛んでいるのに気づいた。見渡すと四匹。検索してみて面白いと思ったのは、あの綿みたいなふわふわは蝋なんだということと、雪虫は一種類ではないということと、しろばんばという小説を題名だけ知っていたけれど雪虫のことだったということ。

子供の頃からなじみだったので、いつ頃だれに教えてもらったかも記憶にない。まだ真夏のこの時期に見るものではなかったから、やはり何かが狂ってきているのかも知れない・・などとは思わない。いつだって何にだって例外はある。ふとした気の迷いということにしておこう。

前に雪虫が飛んでいると言ったら、雪が何日後かに降るというのは本当かと聞かれたことがある。『…かも知れない』の伝説が一人歩きしてしまったのだろう。冬に丘程度の山から雪で白一色の谷筋を見下ろしていて、野兎の足跡が幾筋もあるので「兎がたくさん歩いてるね」と言ったら「どこにもいないじゃないか・・・今歩いてるのかと思った」と言われたことがある。

ヒトのものの見方というのは色々のものだな・・・現実認識の仕方も色々だな・・・とそれぞれの時に想ったものだ。…で、それが何か!?…という話。

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軍事のこと

2011年05月04日 18時32分43秒 | 随筆或いはエッセイ
アルカイダのビン・ラディンが死んだ。オバマ米大統領は指揮官として作戦実行部隊が送ってくるリアルタイムの画像を側近と共に観ていたようだ。一番の超大国のトップが博愛とか友好とか協調などの倫理観より、一人の敵を殺す軍事に専念した時間だったのだ。就任以来の最優先課題だったと言い大きな成果だと強調した。根の深い問題を単純な構図に貶めて明るく報告しているようだ。ぞぞっとしたり、ざらっと感じたりで違和感やら居心地悪いやら。

英国ウィリアム王子が結婚式を挙げた。英国の男子貴族はみな軍人なのだろうか? 赤い衣装は軍服だ。検索してみると彼は陸軍近衛騎兵連隊の中尉であり空軍の救難ヘリパイロットだそうだ。まだあの国では男子たるものの最高の仕事は、国を守るという軍事なのか・・・とがっかりしたりする。190cm超えの長身だそうで、操縦席は窮屈じゃないか・・ECOではないな・・などと思いつつテレビを観た。

福島第一原発の事態は収まる様子がない。誰もが今更ながら『こんな危険なものだったか』と思っているのだろう。原発を所有するということは、もしも仮想敵国ということを考えたら、利敵行為に等しい気がする。核ミサイル攻撃でなくたって、何らかの一発の爆発攻撃でチェルノブイリやスリーマイル島状態が出現するのだろう。原発が散在しているのに日本はどこが安全なのだろう。小笠原諸島あたりか。

宮崎駿の《風の谷のナウシカ》を読み終えた。漫画だから観終えただろうか。なかなかにすらすらとは進めなかった。寓意が随所に込められていて、風刺が効いているなどと軽々しく言えないような奥深さがある。筋を追うのが難しかった。ブログなどで色んな意見が交わされているだろうが、一切まだ読んでいない。これから読んでみたい。楽しみだ。終り方に賛否両論があったそうだけれど、私は違和感のない良い終り方だと思った。むしろ少しあっけなかった。もう少し読者がその後を想像したり期待する余地を残して欲しかった。この漫画も壮大なスケールだけに、漫画的軍事のオンパレードだ。

東日本大震災は3.11という言い方が定着した。『ビン・ラディン容疑者殺害』という新聞見出しの横には、『9.11米、執念10年』とある。3.11は他所事他人事なのに、映像が目先にちらついてブログをなかなか書く気になれなかったのだが、軍事という括りで少し書いてみた。

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復興のモデルケースのことなど

2011年04月12日 11時23分03秒 | 随筆或いはエッセイ

東関東大震災被災者や救援全般に関わる人々にとって今はまだ目先の問題が多種多様に差し迫っていて復興のシナリオを論じる場合ではないかも知れない。私は何の専門化でもない部外者だけれど、どうなっていくのだろうかと度々想像する。

今回の津波では斜面を最高37.9mまで駆け上がったということだが、津波自体の高さの最大値はどれほどだったのか、それを防ぐには何mの防潮堤があったらよかったのか知りたい。1993年に発生した奥尻島地震を検索してみると、『奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をいたしました』と奥尻島観光協会のH.P.にある。防潮堤や人口地盤や避難路を造り、奥尻島地震時と同程度の津波を想定して対策を施したそうだ。

太平洋沿岸の平地を高さ30mの堰堤(えんてい)で蔽いつくす事なんてできるのだろうか。近所の知人は早い時点で『万里の長城を築くしかない』と言っていた。もしそれが本当に計画されたら、ニューディール政策の規模を大幅に上回る長期大土木工事になる。そんな決断ができるだろうか。

個別地域的には計画が机上論からすでに実行へと動きだしているのかも知れない。『離れたくない』『残りたい』『元に戻したい』というインタビュー場面をテレビでよく目にする。願いのイメージは、地域の結びつきであったり、風景であったり、先祖伝来のものを守りたい、移転移動が考えられないなどなど多様だろうけれど、発想のコペルニクス的転換も必要になっているようだ。旧約聖書の出エジプト記のような、200年程前のアメリカ移民のような・・・。

部外者の空想なので、少し飛躍が過ぎるかも知れない。場所があるなら高台への集合移転は先例もあるのでスムーズに行われるだろうけれど、高台が十分になければ城塞都市のような村や町を造るしかないだろう。それとも流れ橋の逆発想で、メガロフロートの村なども検討されているのだろうか。

画像は私が持っているバール、くぎ抜きの類。梃(てこ)の原理を実際的に感じられる身近な道具だ。阪神大震災時、崩れた家の中に閉じ込められた人に、誰かがわずかな隙間からバールを差し入れたので、自力で脱出できたという記事を読んだことがある。それ以来バールは寝床近くに備えている。梃(てこ)は力を何倍にもすることができる。今現在かの地では、地道な努力とともに梃(てこ)の作用が必要とされている。何が梃(てこ)となり得るか、知恵の出し所だ。

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こんな時は甘えてもいいのに

2011年03月29日 15時16分15秒 | 随筆或いはエッセイ
前回「甘えよう日本!」でいいのではないかと書いた。こんなスローガンは大きな声では言えないし、大っぴらにもできない。福島原発関連では、東電にパイプを長くするよう頼まれたコンクリートポンプ車が中国から提供されたそうだ。原発大国のフランスにも現状打開のために援助要請をしたとか。なりふりかまわず助けを求める事態なのだろう。「こんな時は甘えよう!」というようなスローガンを述べる立場にないので、表題は、・・いいのに・・とした。前回の「『OTAGAISAMA』を世界共通語に!」はそれ以上に唐突だったかも知れない。

被災者へのインタビューで、この地を離れたくないと言う人もいれば、もうここには怖くて居られないと言う人もいる。土地に愛着を持つ人は、今回の津波を防ぐ程の堤防が計画されなくてもそこを離れずに、すこしずつ生活を築いていくのだろう。避難所での取材放映を観ていると、共同体のようなものが発生し自然に何らかの役割を自分のものとして活動する人が現れていて感動する。まとめ役さんが避難所を町と捉えているという所もあった。

大丈夫ですか?と聞かれれば、たいていの人が大丈夫ですと応えてしまっているけれど、本当は大丈夫である筈がないのに、なかには驚異的な立ち直りを見せる人も居るのかも知れない。保険会社が地震保険を積極的に支払うと表明している。何といっても保険各社はものすごい数の支払うべき保険を知らん顔していて指導を受けたのが、ついこの間だ。ここでしっかりその辺りの体質改善がなされたことを示すのは当たり前だ。

保険が支払われて家が建ち始めるのもそう先ではないかも知れない。高床式にしたり、輪中のようなものを造ったりするのだろうか。あの圧倒的な津波のパワーを考えたら、一戸建て単位などで対処できるものではない。もうあんな地震と津波はないと考えて楽観的にいくことはできるだろうか。場所場所によって、津波の被害は違う様子だった筈だから、何をどこに建造するにしても今回の多くの映像や画像は、それを踏まえざるを得ない貴重なデータだ。私はこんなことを書いて何になるのだろう。ただ自分の頭を整理するためだけに書いている。

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優先順位のことなど

2011年03月25日 16時47分38秒 | 随筆或いはエッセイ
実際に起きた事とは直ぐに理解できにくい映像や画像を見続けていると、遠く離れた地にいながら途方にくれてしまう。先に書いたが行動の基準がずれてしまったからだろう。日常行動の優先順位を決められずにぼーっとしていることがよくある。結局何もせずに今のところは、耳をそばだて目を見開き情報収集だけに専念しようと考えているのだが、何故か新聞を精読できず、テレビもチャンネルを変えてばかりいる。何々障害と特定できるような症状なのかも知れない。

被災地では色んな物資も届くようになったらしいが、必要なものは時々刻々変化しているようだ。被災者達に必要なのは衣食住すべてだろうけれど、それとは別に平行して大事なのは情報のようだ。何がどう起こってしまったのかさえ解らずに孤立している人もいるらしい。

高度情報化社会と言われる今でさえ、電池も含む電気と車の燃料がないと情報から遮断された状態が起きるということのようだ。避難所ではラジオが一番情報収集に利用されているという。被災地域にミニFM局が開設され、避難生活に必要な情報を24時間発信し続けているという紹介もあった。

福島第一原発でも基準の変更が否応なしに成されている。基準値を大幅に引き上げたりしている。以前の日常基準の何倍もの数値が今現在の日常のわけだが、人体に影響がないといいつつ、出荷停止などの指示が出されている。何か工夫はないものなのだろうか? 数ヶ月で放射能はまったく正常数値になるということであれば、チーズにしたらいいではないか!? ホウレンソウも他の野菜も青汁か粉末にして三ヶ月程待ったらいいではないか!?などと思ってしまう。捨てたり、鋤きこんだりする映像を見ると、もったいなくて堪らない。

ふと手回し充電式ラジオ付き電灯を持っていたのを思い出して非常持ち出しバックから出してやってみた。30秒回してラジオが15分聞けた。1分なら30分聞けるということか。電灯は30秒必死で回して30秒しか点燈しない。LED電球ではないからだろう。安物を買ってしまった。それでも無駄になるに越したことはない。

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基準(スケール)変更のこと

2011年03月15日 10時12分51秒 | 随筆或いはエッセイ
今回の大地震大津波の被害情報をひたすら視ている。こちら京都でも少し揺れたらしいのだが、車を運転していて全く気付かないでしまった。テレビ新聞インターネットで状況を知るにつれ自分のなかで物事の基準(スケール)が否応なしに変更されていくようだ。

首を知らず知らず小刻みに振ったり、ゆっくり振ったりしている自分に気づく。頭が混乱しているので首を振りつつ受け入れていくしかないのかも知れない。地震と津波が頭から離れなくて、何をしていてもふとしたはずみにそれらのシーンを重ねてしまうから、あらゆる感覚が今までと違ったものになっている。

直接であれ間接であれ、経験に基づいて基準というものは造られるわけだから、今回の地震津波は世界的レベルで基準変更をもたらすだろう。福島原発では世界が注目するなか、人類が未経験の新しい事態が進行中だ。

太平洋戦争で敗戦直前の3月10日は空前の大被害をこうむった東京大空襲だった。そして66年と1日後の3月11日東北関東大震災もまた多くの人々に価値観の大変換を強いる。今まさに誰もが規、則、法(のり)を超えてしまう経験をしているところなのだろう。

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