鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

隙間から見える東京

2024年11月03日 12時00分00秒 | 旅行


帰路、新幹線のホームにて、隙間から見える東京を撮った。
これだけのシーンからも東京一極集中の繁栄ぶりが伺える。
うがった見方をすれば、私が暮らす十日町市と、この建築中の高層ビルは、同等あるいはビルの勝ちとなるかもしれない。
そんなことはその時に思わなかったけれど、後付けの感想。
もう月が変わったけれど、まだ余韻を引きずっている。

先ほどNTTファイナンスと名乗る電話が携帯にあった。
爽やかな男性の声で『お客様は未納料金が発生しているので、ご利用を停止させていただき、法的措置を取らせていただきます』というような内容だった。
続いて『オペレーターに繋ぐには1を』というところで、私の方から切った。
詐欺メールに違いないと思って検索すると確かに詐欺だったようで、1を押したらどうなるか残念なことをしたという気がついついしてしまう。
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九十九里町は鰯漁獲量日本一

2024年11月02日 08時43分34秒 | 旅行










伊能忠敬先生出生地を後にして、九十九里浜に連れて行ってもらった。
護岸からの砂浜は固く締まっていて、車の轍がうっすらとしかなかったからスタックなどしない浜。
長い弧状の砂浜でも、場所場所の海底形状により津波は大きな違いがあるそうだ。
友人の奥さんがそのように教えてくれて、東金市の友人宅あたりは津波の来る心配はないのだという。
海岸から5.6km海抜6m余りの彼らの家は、東日本大震災でも被害は免れた。
もっとも、震災直後に購入して移り住んだのだが、そのようなことも知り尽くした上でうまく手に入れたということのようだ。
能登半島にバスも走れる砂浜という観光名所があるけれど、歩きにくくない砂浜というのは本当に面白い。
房総半島方面の浜では雨が降っているに違いないという感じの雲が下がっていて、それも面白い。
海の駅に行き、大きな水槽の鰯の群泳を観た。
鰯の油を絞る道具などを観て、鰯は干鰯(ほしか)という農業用肥料だったという説明などを読んだ。
一旦帰り、鰯を食べたいという要望を受け入れてもらって、次は寿司屋(小料理屋)に連れて行ってもらってご馳走になった。
鰯の造り、鰯の寿司、鰯の天ぷらはどれも絶品で、くどさを感じる間もなく完食してしまった。
ついつい手が先に出てしまい、いつも『あ、そうそう、撮らなくちゃ』と思う始末でどれも中途半端な画像になった。
友人の奥さんの運転が上手いので、安心して我らは日本酒2合徳利2本も空けてしまったのだった。
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伊能忠敬出生地を訪ねる  その②

2024年11月01日 08時37分37秒 | 旅行




『子午線一度の偉業』の中に『・・・天測による子午線一度の算出は、世界土木技術史上はじめての偉業として異彩を放つ。・・・』とある。
銘板には記されていなかった分を検索して補足すると、子午線1度の算出は師である暦学者高橋至時との約束であったとのこと。
1度は28里2分ということで、1里=3.92727kmに28.2を掛けると110.749kmでほぼ111kmとなる。
110.749kmに360を掛けると、39869.6kmなので、ほぼ周囲は4万kmとなる。
実際の地球は少しつぶれた形で緯度での周囲は40,009km、経度での周囲は40075kmとなるそうで、伊能忠敬の出した結果とほぼ差異はない。

測量は私財を投じて始められたようだが、幕府からの支援を確保し、各藩の協力もあり、『大日本沿海輿地(よち)地図』を作成すべく全国の沿岸を歩くこととなる。
実際は測量結果を地図に起こす途中で忠敬は肺を病み、弟子たちが完成させる3年前の1818年(文政元年)に亡くなった。
完成した地図は幕府に献上され、あまりの正確さに、海外持ち出し禁制となる。
ところがそれを持ち出そうとした、いわゆるシーボルト事件が起こるのは、忠敬没後10年後の1828年(文政11年)のこととなる。
※輿地とは広辞苑に拠れば、(輿(こし)のように万物を乗せる地の意)大地。地球全体。全世界。
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伊能忠敬先生の出生地を訪ねる  その①

2024年10月31日 08時54分30秒 | 旅行








52分の13名によるミニ同級会が終わってから、予定していた千葉県東金市に向かう。
年に数回十日町市のわが家に来てくれて色々と手伝ってくれる友人宅を初めて訪れ、泊めてもらった。
起伏のない平坦地が広がっているのに道の曲がっているのが印象的なところだった。
次の日は九十九里浜に行きたいとだけ思っていたのだが、近所に伊能忠敬ゆかりの地があるとのことで、まずはそこに連れて行ってもらった。
それを聞いた時に、「伊能先生出生地なら是非ともお願いします」と先生という尊称が何のためらいもなく口から出た。
案内板に、伊能忠敬は1745年に旧家小関家で生まれ、7歳で母を亡くし、佐原の伊能家の養子になる11歳までこの地に起居したとある。
佐原市には伊能忠敬記念館があり、旧宅などもあって大々的な史跡となっているようだけれど、こちら九十九里町の出生地は、バスの停まれる駐車場がありトイレはあるものの、ひっそりとした公園だった。

『地理学者伊能忠敬先生は、五十一才にて家督を長男景敬にゆずり江戸に出て西洋流の暦学者高橋至時(東岡)に入門、暦学・数学・測地法を学び、寛政十二年(一八〇〇年)四月、忠敬は蝦夷地(現北海道)の測量に出発、前人未到の大事業の一歩が始まる。
時に先生五十六才、文化十三年(一八一六年)まで本州・四国・九州の全沿岸の測量に前後十七年、十回の測量のためついやした日数三、三六五日という超人的なものであった。実に晩学の地理学徒である。』

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『奥の細道』の起点

2024年10月25日 06時53分06秒 | 旅行




【奥の細道 矢立初めの地 千住】という銘板と芭蕉の像があった。
『元禄二年(1689)三月二七日、松尾芭蕉は、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。』
『千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさかりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
 行く春や鳥啼き魚の目に泪
是を矢立の初として、行く道なをす々まず。人々は途中に立ちならびて、後かげみゆる迄はと、見送なるべし
     おくのほそ道 より』と記されてある。
矢立という携帯用の小さな筆入れ筒と墨壺セットの使い始めとなった、ということ。

南千住の駅に向かっていたらこの像があり、ときどき北陸道のS.A.で芭蕉の句碑を見るのでこの偶然が喜ばしい。
とは言え、前日に通夜に出て友人の死に顔を拝み、告別式から火葬骨揚げに向かう途中。
ここで一句といきたいけれど、陳腐な言葉を捻りだすのは辞めておこう、まだ一昨昨日のことだ。

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姨捨S.A.にて朝焼けに遇う

2024年10月16日 14時33分00秒 | 旅行








眠気は我慢しない方針のもと、気ままな帰省旅となった、ほぼいつものことだけれど。
昼間は夏を引きずった陽気でも、朝晩は冷えるので厚手の毛布を持参した。
S.A.やP.A.や道の駅などで時々仮眠したり爆睡したりを繰り返す。
そうして姨捨S.A.にて朝焼けに遇うこととなったのは、ただの偶然。
東の空に朝焼けを観て、眼下に広がる長野盆地は善光寺平を見下ろした。
芭蕉の『俤や 姨ひとりなく 月の友』という句は、古今和歌集の和歌や古代伝承を全て踏まえた上での作品なので深く難解であるらしい。
「なく」は泣くであり無くであり亡くとも掛けてあるそうで、やはり私も亡き母の切なそうな表情を想い浮かべた。
それで今回は500km弱を20時間かけて生家に辿り着いたので、平均時速は25km/hということになる。
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500kmの道中

2024年07月01日 08時23分23秒 | 旅行










急ぐ旅ではないので、無理をせず流れに乗りながらも車間距離を保ち、極端に遅い車以外は追い越さず、眠気を覚えたら即刻仮眠を取るという模範運転を心がける後期高齢者である。
新潟県十日町市から上越市に抜け、『親不知I.C.』で北陸道に上るまでのおよそ120kmは一般道を走る。
この間でもガソリン補給、コーヒーお茶おにぎり購入、ついでの用事、そして休憩に仮眠にと5回も止まった。
高速道路に入ってしばらくすると富山県に入り、『越中境』パーキングエリアでは必ずトイレ休憩をとる。
行程の3分の1に達していないけれど、越境したところで、後ろ髪引かれる感じはなくなり、進むだけの気分になる。
走りながら所々で見られたアジサイ(紫陽花)が、エリアでも程よい咲き方だったのでスマホカメラを向けた。
ごくごく一般的なアジサイだったので、驚きも感動もないけれど、大輪に咲かせている手入れの良さそうなのが気持ち良い。
いつも寄る場所なのに、今まで気に留めなかったモニュメントを観てみた。
通ってきた糸魚川の姫川や翡翠海岸が有名だけれど、地味な翡翠加工工房跡があるとは知らなかった。
高速道を280kmだけ『敦賀I.C.』まで走り、途中で眠気覚ましに歩いたり、眠気に従ってうとうとしたり、時には爆睡したりはいつも通り。
敦賀から一般道に降りて、およそ100kmの間も、入れなくても間に合うのに夜間も開いているセルフG.S.で燃料補給したり、インスタグラムを観たり、ブログを上げたり、爆睡したりして無事本宅に帰った。
所要時間15時間だったけれど、実際に走っている時間は半分くらい。
田舎から持ち帰った作物は、タマネギとニンニクとジャガイモ。
私のジャガイモは与党虫、ではなくヨトウムシ(夜盗蛾の幼虫)にやられて不作なので、豊作の農事の師宅からもらった。
昨日は早朝に着いてからほぼ終日ダラダラゴロゴロして過ごし、明日はそのために帰った3ヶ月置き定期検査だ。
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石垣島の思い出;サトウキビと黒糖

2024年02月16日 14時06分33秒 | 旅行




石垣島のスーパーでサトウキビを見つけ、旅に趣向を添えるべく買ってみた。
石垣の友人宅で、昔の映画にでてくる不良が隠し持つようなナイフを使って皮の剥がし方を教えてもらう。
虫食いのような部分もあったので、そこを除いてから、少しだけ、がじがじと噛みしめるとほんのりとした甘さが感じられた。
映像で観たことのある、歯で皮を剥いてかじり取り、がしがしと噛むのが正しいサトウキビの楽しみ方のはずだが、昔の沖縄の子供たちがやっていたと思われるやり方は、部分入れ歯をしている身では難しい。
3本入りだった残り2本は自宅への宅配便に入れた。
というわけで、本日ノコギリを使って輪切りにし、カッターナイフで短冊にすると、ようやく思い通りにしがむことができた。
関西では、スルメを噛むのを『しがむ』と言うので、確かめてみたが広辞苑には載っていない。
それはともかく、自然で上品な甘さだ。

黒糖は、暗証番号を入力してドアを開けて入った民泊の部屋に置かれていたものを、これも宅配便に入れたもの。
ウェルカム・フードというものだろうか、一緒に泊まったKがいいと言うので私がもらった。
黒糖にもいろいろあるようだけれど、これは原材料名に『さとうきび(沖縄県産)』としか記されていないから純粋なものだろう。
西表島の畑で黒い幹のサトウキビが栽培されているのを、サトウキビには2種類あるのだと石垣人が教えてくれた。
『黒いのからできるのが黒砂糖で、普通の白っぽいのからできるのが白砂糖なんだな』などとまぜっかえした。
調べてみると、黒いのは台湾で栽培されていたもののようで、黒糖になる段階では味や色に変わりはないようだ。
波照間製糖株式会社とあって、波照間といえば忘勿石のことが想い出される訳で、悲劇を乗り越えた一族だろうか。
製造者も加工者も沖縄県那覇市であったのが、なんだか残念。
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石垣島の思い出

2024年02月14日 11時03分11秒 | 旅行

アダン


パパイヤ


カンヒザクラ


オヒルギ

もう時差ボケも消えて日常に戻った。
いやいや時差は無いから、と言うなかれ、日の出日の入りが遅いと調子が狂うのだ。
そうして、なつかしく思い出す画像のいくつかのなかに、散歩中見つけた奇妙なオブジェがある。
ヨーロッパの貴婦人が身に着けるドレスを想ったけれど、自然な造形なのか、枯れた残骸なのか。
この気根をたよりに検索してみると、西表島でのドライブ中にたびたび観たアダン(阿檀)のようだ。
石垣人も自分の庭に生やそうと苗を植えてみたけれど、枯らしてしまったという。
これは普通の家の庭にあったものだが、かなりの大きさに育った後に枯れたものと思われる。

散歩中に観た亜熱帯らしい木の一番がパパパイヤで、こいつは雄雌の木があるそうだが、実がなっていても花がつぎつぎ咲き上がっていくもののようだ。
こんなのが、いくらでも散歩中の垣根越しに見られて、南国は良いなぁと羨ましかった。

ヒカンザクラ(緋寒桜)=カンヒザクラ(寒緋桜)はどこで撮ったのだったか、狂ったように咲き誇るタイプではなく、むしろ、ふとした気の迷いか狂い咲きのような控え目なタイプ。
名所もあるようだけれど訪れず、石垣人の庭のヒカンザクラは、なぜか今冬は咲かないと、訝しんでいた。

宮良川川辺りで観たマングローブはヤエヤマヒルギ(八重山漂木)だったようで、マングローブには7種類ほどあるそうだ。
宮良橋から川に降りる階段部分から見られた赤い花の木もマングローブでオヒルギ(雄漂木)のようだ。
次に行くときは川で十分な遊び方をして、マングローブを知り尽くしたい。
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石垣島5日目

2024年02月11日 06時40分06秒 | 旅行

カエンボク


サンゴアブラギリ


キンチョウ


ブーゲンビリア


サンタンカ


マングローブの幼木

3日間快適に寝起きした民泊を、立つ鳥跡を濁さずに整え、9時前に徒歩2分ほどの石垣人宅に行く。
宿の風呂は一般家庭用ユニットバスだったから旅先という違和感がなくて、自宅にシャワーしかない石垣人も最後の夜にはやってきて久々の浴槽だと喜んだ。
洗濯機(洗剤も用意されている)に乾燥機まであるので、我らはそれぞれ個別に2回ずつ洗濯までやり、ジジイにしてはこざっぱりの旅人。
冷蔵庫も電子レンジも湯沸かしポットも利用したけれど、電磁調理器を使わないでしまったのだけが心残り。
Kの飛行機が昼前なので、前日に続き石垣人の車で、朝食も摂らずに空港へと向かう。
次は、私の冬以外を過ごす新潟十日町に秋、ということを前日帰った闘病者Wも乗り気になっていたので、車中では再確認の話をした。
ここまでの4日間、日頃呑まない私でもそこそこの酒量だったが、毎日呑まないでいられない身体になっているKと石垣人はかなりの酒量。
それでも皆が二日酔いをしなかったのは、喋りまくって食べまくったから悪い酒とならなかったようで、幸いだった。
空港では、駐車して見送ろうと言えば、さびしくなるのでいいと遠慮するので、前日同様にタクシー乗降場所近辺でKと別れた。
帰りは宮良川の川べりに降りてマングローブ林を観たのだが、下流なので干満があり、水に浸かっていない根の林はどこまでも行けそうな暗くて不思議な奥行きをあらわしていた。
それから、どうしても撮りたかったカエンボク(火炎木)のために一時停車してもらったりダイソーに寄ったりして車を置きに帰る。
その後はしばらく石垣人宅で話しながらインターネットにテレビにインスタグラムにと、日常的なまったり。
私は宿を出る前にカップ麺を食べたが、昼になり、朝から何も摂っていない石垣人に、これまでの感謝の気持ちもこめて、回転寿司に行く。
呑まないでいられない彼に代わって私が運転をして行き、途中でスーパーに寄り宇治の自宅へ土産その他を発送する。
格安ピーチはいろいろそれなりの厳しい制限があり、機内持ち込み手荷物も7kgと決められている。
前日にKがやったのをみて、土産無しの予定だったが、それならと真似をして80サイズの箱に収まるだけ奮発した。
回転寿司は私の楽しみとする『くら寿司』や『かっぱ寿司』とは違い、倍ほどの値段だったが構わず腹八分九分まで食べた。
石垣人は呑み会の居酒屋以外では外食をしない、つましい生活をしていて、石垣では初めて回転寿司に入ったと喜んでくれた。
沖縄の昨日は旧正月の元旦にあたり、西表島ではやまねこマラソンが開催され、石垣人も夜は御よばれがあって、私は独りで夕飯を食べに街にでて食堂に入り、八重山そばとミミガー(豚の耳)とモズクを食べ、泡盛も徳利に1本呑み、旅の締めくくりとした。
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石垣島4日目

2024年02月10日 08時06分08秒 | 旅行
















東横インに1人で泊まっていたWの帰る飛行機が午後からなので、石垣人の車に乗せてもらって迎えに行き合流。
とりあえず朝食ということで八重山そばを3人は注文したけれど、Wは痛みがあるから食べないとコーヒーだけの朝食。
そうして4人で午前中は、ドライブときどき観光地というツアー客のような動き方で色々と巡った。
小雨がときどき降り晴れ間の全然無い天気ばかりで石垣人は恐縮し『ぼくが謝ることじゃないけどごめん』などと言いつつ軽乗用車をぶいぶい走らせる。
バンナ公園の渡り鳥観察所に登ったけれど誰もいなくて鳥も観られず、昆虫館でも客はいなくて所員が我らにつきっきりで説明をしてくれた。
オオゴマダラの黄金色に輝く蛹が昆虫館の中庭に在るからと誘導し、見つけられるかと小学生に教えるような紹介までするサービス。
玉取崎展望台では太平洋側から東シナ海へ行くのにぐるりと回るより舟を担いだという島のくびれを望んだ。
サンゴ礁でできた島だということの分かる波模様は天候の悪い中でもはっきりと見てとれた。
展望台から駐車場に戻る途中にクロアゲハとおぼしき蝶が翔んでいて、ハイビスカスに止まったところを撮った。
本土のものより寸足らず横長なので調べてみると沖縄八重山型亜種クロアゲハだが、後翅が破れて不完全だったのが残念。
出発時間までゆっくり待ちたいというWを空港で降ろし車から手を振ったのだったけれど、痛みを独りで耐えたかったのかも知れない。
今回の集まりは、石垣人と親しく交流をしている彼の、『石垣で会おうよ』がきっかけだったのだが、よくもまぁと車中で感心しあった。
帰る途中に晩の肴を買うということで、スーパーに寄ったのだけれど、亜熱帯特有の産物が当たり前に多くて、観ていて飽きない。
タロイモがあったり、石垣島プリン(じーまみとうふ)いう名で先日のピーナツ豆腐が示されていたり、極楽鳥花(?)が生花で売られていたり、バターナッツかぼちゃと形そっくりでも色は別ものの瓢箪型南瓜があったりした。
車を置きに帰った後に、また前日に続き「やっぱりステーキ」に行ったのは私のゴリ押し提案で、240gをガッツリ食べた。
ステーキはしばらくいいとして、次はハンバーグだな。
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石垣島3日目

2024年02月09日 09時46分09秒 | 旅行














一昨日の2日目に航空券以外は何も決めていない友人Kと私は石垣人宅の近くにある宿に3日間泊まることにする。
独り暮らしの友人宅に泊めてもらい続けることにあまり遠慮は感じないし、そのようにと言ってくれるけれど、互いの不便と窮屈を考慮したら贅沢は素敵だ。
石垣人のふだん寝ているベッドの凹みが私にはフィットせずぎっくり腰になりそうだったのと、蚊に刺されたことも節約を押しやった。
ロフト付きの民泊はKが電話で予約したあとの手続きはすべてインターネットなので、スマホなしでは事がすすまないから私の出番。
ドアの暗証番号が送信されてきて宿帳もタブレット記入という無人宿は、少しお金を出したらこんなにも世の中快適なのね、という感じ。
早く目が覚めて宿のWi-Fiさくさくとブログ更新をしたあとに住宅街から八重山農林高校まで散歩をする。
旅先での独り早朝散歩は決め事ではないけれど、そうしないではいられない身体の欲求のようなもので、どこでもやってきたこと。
朝から全員集合後に西表島観光をすることに決めていたのだが、VIP闘病者Wから電話があり、強い痛みが起きてしまったのでパスする、と言う。
迷惑を掛けることを彼は一番に気にしていて、自分はホテルで休んでいるから気にしないで予定通り西表の行ってきてよ、とこちらを気遣う。
天気も思わしくなく、上原港行きは北風が強くて欠航となり、南の上原港へと1時間の船旅は渡船レベル。
うつらうつらしているうちに、それほど揺れることもなく船は西表に着いて、予約したレンタカー屋が迎えにきていた。
予約時点で軽自動車でも4人なら可能だけれど、普通にしたのを、3人でも軽に変更せず普通車はホンダピットを借りる。
霧雨程度ではあるけれど、台風が来ているわけでもないのに、斜めや横に霧雨が当る。
道路脇にヤマネコ注意看板があるけれど、イリオモテヤマネコを目撃することはなく、カンムリワシは民家の庭に降りているのを撮った。
街路樹に止まっていたりもして、保護が行き届いているのか、人馴れという感じではなく人に無関心という自然体が良い。
道路脇にはアダンの木が田中一村が描いた絵そのままにいくらでもあり、ときどき木生シダのヘゴがあり、巨大ススキといった感じのサトウキビ畑もあり、小さな川にもマングローブが生えていてさすが亜熱帯。
子午線モニュメントの123456789というのがあって、それがなにか、と思うものの撮ったりして最期は勿忘石(わすれないし)の碑を観にいった。
太平洋戦争時に波照間から軍部の命令で強制疎開させられ、マラリアで命を落とした方々のことを忘れるな、という碑なのであった。
Kは一度夫婦で西表島観光をしていて、あまり観光客が行かない勿忘石を観ているということに石垣人は感動していて、OKINAWANとして感謝の念を抱いていることを表明していた。
大原港4時発の船に乗り、着いてから、痛みがかなり治まったというWを迎えに行って、前日の敵討ちで当初予定のステーキハウスに行く。
割安なのにおいしくて、キャベツ千切りもご飯も食べ放題で、ステーキに掛けるソースも豊富で言うことなしのリーズナブル。
Wに痛みは完全に治まったか聞いたら、軽くはなったけれど持続していると言い、痛み止めは軽い麻薬成分なのだと。
昼食は抜いたが、腹の中に食べ物が入っていたほうが痛みは軽いのでとのことでのステーキハウスに付き合ってくれた次第。
突然痛みがなくなることもたまにあると言っていたが、ということはほとんど常時痛みを感じているということで、やはり自制心克己心と気の持ちようと奇跡的な何かしらがあっての延命中であるということだ。
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石垣島2日目

2024年02月08日 05時04分05秒 | 旅行







鍋敷きならうちの実家にもあるぞ、と思ったら、頭当てという女性が使う荷物運び用であった。







当初、若い頃の仲間6人で会おうとしたけれど、1人は訳ありで連絡が取れないようになっていて、もう1人は硬膜下血腫だったかの爆弾を抱えていても参加の意向だったがたぶん家族の反対でキャンセルとなり、4人だけで会うことになったクラス会が今回の旅。
膵臓がんが肝臓にも転移しているという1人はホテルを予約していて3泊4日の予定。
私の田舎にいろいろとしょっちゅう手伝いにきてくれる千葉の友人が4泊5日の予定。
私はこの際ゆっくりと決めて、行き帰りの格安航空券以外は全く未定5泊6日の予定。
当地生まれでUターンした友人宅にて、ホテルを予約していない2人は泊めてもらう。
そして次の日になり、ホテル泊まりのVIP扱い闘病者を、石垣人の軽乗用車で迎えに行く。
先ずは、観るのは好きでも自分でスポーツをやることのない石垣人が唯一10年(?)ほどやり続けているというピンポンの会に朝からお邪魔する。
ラージボールという少し大きめで軽い球のネットの高さも僅かに高いのだという高齢者向けピンポン。
私は中学生時代に卓球選手だったので、40年振りほどだったけれどシロウトに負けるはずがないという自信があり、今までブログを通じて彼にいろんなアドバイスなどもしてきた。
ところがいざやってみると、ラケットに球が当たらない。
硬式卓球の感覚が残っているので、ラージボールの遅い球足に全く合わせることができず、自信ががらがらどころではない大恥巨泉(古っ)。
少しだけ慣れてきた時点で試合をやろうということになり、やってみたらシロウトと侮っていた彼に全く歯が立たない。
彼がサーブミスをした1点が取れただけの11対1の惨敗は、いつかリベンジしたいと心に誓ったものの、トラウマになりそうだ。
その後、川平湾にドライブして、世界に誇れる景観だという青い海を観て、白い浜で珊瑚の欠片を拾い、蝶を追った。
止まるまで追いかけようと思ったけれど、止まってくれずに、亜熱帯の藪に入り込んで動きが緩慢になったところを激写。
調べてみるとリュウキュウゴマダラで、ほかにもオオゴマダラを観たが撮るには至っていない、なお画像はトリミングした。
その後は、石垣人の家に帰り、車を置いてタクシーでステーキハウスに向かったが、目的の店が臨時休業という間の悪さ。
別の店に行ったけれど、選択を間違え、にんにくまみれのとんだステーキだった。
そうして口直しというのか、気分を変えるためでもないけれど、口の臭い4人は八重山博物館で高尚な文化的考証に浸ったのであった。
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ピーチと島豆腐と八重山ソバ

2024年02月07日 08時03分08秒 | 旅行






格安航空会社のピーチに乗って石垣島に来てから島豆腐と八重山そばを食べた。
島豆腐はもちもちした食感で大豆のはずはないと思ったら南京豆が原料とのこと。
ゼラチンが独特なのか、多いのか、クリーム状のピーナツがそうさせるのか、独特のもちもちで美味しい。
沖縄に来たのだからソーキソバを食べたいと思ったが、ソーキそばは那覇のものだそうで、石垣なら八重山そばということだった。
ソーキそばが幅広で縮れていて白いのに対して、八重山そばは丸くてストレートで黄色。
美味しくはあったけれど、ソーキそばを食べようと思っていたのに無かったということで、やはり残念な味と感じた。
汁は残さず飲んで、美味しかった。

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長岡市寺泊水族博物館にて

2023年10月28日 07時58分58秒 | 旅行






ウミガメの水槽には3匹のウミガメがいて、水面に浮いているのと底にじっとしているのと絶えず水槽面をなぞるように同じ行程を繰り返すのがいた。
ライオンなどの大型動物が狭い檻に入れられている場合に見られる反復行動は強いストレスからだとかなんとかいう記述を読んだことがある。
この亀もそのような状態に違いないと思われて、精悍な吊り目とくちばしではあるけれど哀れを感じる。
アオウミガメとアカウミガメのどちらなのか確認しないでしまったが、食用に乱獲された歴史を持つというアオウミガメだと思われる。
尚、アオウミガメでも赤っぽい個体がいるそうで、肉が青いからアオウミガメなんだとか。

ケムシカジカという珍妙なヤツが正面を向いていた。
説明板には、『・・外見に似合わず煮つけ、鍋物などにすると非常においしく、卵も大粒でしょうゆ漬けにしたものは珍味・・』とある。
ぶよぶよしているからケムシカジカと名付けられたとも書いてあったが、ケムシは棒状に細長いのだから、相応しい名付けではないと思う。

ミズダコは生きてるときでもこんなにも赤いのか。
蛸は頭が良くて、餌入りのビンを水槽に入れておき、人が水槽の前で同じビンの蓋を開けて見せると、それを学習して足を絡ませ蓋を開けるという実験映像を観たことがある。
ヤギの目に似た目つきでこちらを観察する姿は妖しげで、たぶんヤギなんかとは較べようがないくらい頭が良いはずで、哀れというより怖い感じがする。
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