鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

犬の介護

2020年09月08日 00時02分44秒 | 随筆或いはエッセイ


インスリン注射を日に2回打ってもらっているトイプードルが近所にいる。
糖尿病になり自分で毎日インスリンを打っているという人が得意先にいるけれど、犬も同じなのかと、聞いた時に驚いた。
ついこの前までぬいぐるみみたいだったのに、ここ数年で老け込み、毛も抜けて、ガニ股になり、歩くのがやっとなのだ。
目は全く見えなくなっているそうで、以前は私を見ると吠えていたのに、顔を向けることもなくなり、俯き加減によろよろとやっと歩いている。
リードを付けているのは飼い主の都合だったはずだけれど、目が見えていない今となっては信頼の絆そのもので、リード無しには歩くことすらできないのではないか。
家の中では、ちゃんと室内空間を分かっていて、物には触れる程度でぶつかることもなく動くのだそうだ。
インスリンを打つから水を多く欲しがり、必然的にオシッコの回数が多くて、犬用のオムツをしていても漏れるくらいなんだとか。
「高うつきますわ」と言うので、ついつい「保険は効かないんですか」などとバカなことを聞いてしまったら、「う〜んそんなもん」と首を振った。
数ヶ月前にインスリンのことは聞かされていたので、私は勝手にこの夏は越せないだろうと予想していた。
それで、つい「暑い夏を越せましたねぇ」と言ったら、主人は少し嬉しそうに笑顔を作った。
他の家族が散歩に連れ歩いているのを見たことはなく、家の前で体に石鹸をつけて洗ってやるのも世話一式も、家の主人でもあるこの人がやっているようだ。
人を看る介護犬もいるのに、この犬は飼い主の精一杯の介護を受けながら余生を過ごしている。
この犬を亡くした後のご主人が心配になる、余計なことだけれど。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走は下着を買いに

2019年12月02日 00時02分02秒 | 随筆或いはエッセイ






ずっと前に関わりのあった人から聞いた話。
年末には新しい下着を買いに、連絡船で町へ連れて行ってもらうのが習わしだったと嬉しそうに話す。
そうして家族全員下ろしたての下着を着けて、正装をして新年を迎えるのだと懐かしんでいた。
私の生まれ育った家では、父親だけが正装をして大晦日真夜中に裏山の鎮守様に出かけた。
一度連れて行かれたことがあるけれど、各戸の代表男衆が新年明けての参拝をして茶碗酒を一杯呑んで解散というだけ。
残りの家族は特別に新年を迎えるための身だしなみといったことはなかった気がする。
下着なんか多少くたびれていても気にしないのだけれど、昔からの白い木綿の下着は着るとき冷たいから、温かみがあって伸びる化繊が良い。
そう、ユニクロのヒートテックしかないという目的でショッピング・モールへ。
外に着て出ても良いような厚手のシャツはX Lにして、薄手のタイプはLにした。
税込1639円と1089円もしたけれど、これで冬の間に手術だ入院だということになっても良い。
だからどうしたということもないのだけれど、吹き抜けの手すり繋ぎ目が面白いと思った。
こんなものを見てさえ、節目といったものを感じてしまう今日この頃。

  ※ニホンミツバチの蜂蜜販売中です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコン内はゴミ屋敷

2018年12月12日 00時08分22秒 | 随筆或いはエッセイ

もうすぐ葉は総て落ち、骨組みだけの鳥かごのようになる。

数日前に、パソコンOSのアップグレードをしようとしたら、容量不足と出てショックを受けた。
ついつい色んなものを捨てずに溜め込んでしまっているけれど、ここまで増えていたとは。
分類方法を自分なりにより良くしようと思いついてはフォルダーを作るものだから、デスクトップもアイコンだらけ。
ゴミ箱は思い立った時に空にしているけれど、フォルダーごと消去してしまいたいと思ってもついつい残してしまうので残念な現状となった。
そうしてパソコン内はゴミ屋敷。
思い出の数々も記憶媒体なんぞに残そうとしないで、どんどん消してしまおうと何年も前に決心したはずではなかったのか。
というわけでパソコンもスマホもいつどういう形で失ってもアドレス帳だけはクラウドに入っているから良いと見極め、せっせと思い出も通信記録も消している。
記憶も曖昧になってきているけれど過去にこだわってなぞいられない、そう『私には現在と未来しかない』。
そしてラインの会話でもメールでも画像でもせっせとどれそれ構わずに消去している。
最近は読んだらほとんど即刻削除する。
思い出はいらない、大事な数字が書いてあるものだけ手書きで書き留める。
過去という過去を断捨離して今現在ようやく、パソコンの空き容量は15ギガで、スマホは50ギガ。
まだまだスマホの方は相当あるな・・と考えてはいけない。
日々消去削除をして私は未来を目指す。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緑色のカーネーション

2018年10月10日 00時00分00秒 | 随筆或いはエッセイ




先日の土曜日、ホテルでの食事会を兼ねた、ある小さなお祝い会に参加した。
祝われる人数が半数近くで、私は祝う側だったけれど、会の最後に小さな花束が全員に与えられた。
本来ならば、花束贈呈が式の最後を飾るイベントであるべきところだけれど、以前はそのように華やかになされたものだけれど、時代が移り構成メンバーの高齢化が進み、世の雰囲気も変わって、このような形になった。
などと書いても、読んでくれる方にはさっぱりわからないだろうし、書いている私自身が何となく『いやいや、そうではないな・・』と思いつつ変な感じで事実からずれていく。
何はさておき、会の最後に、赤とピンクと緑色のカーネーションの小さな花束を一つずつ持ち帰るようにと伝えられたのでありました。
具合が悪くなって、急遽不参加となった人が、全員にと気配りをしたという話だった。
それはともかく、私が花束のところに進んだときには、まだ3色とも残っていて、私はためらうことなく緑色を選んだ。
初めて見た緑色のカーネーションに、これしかないと惹かれた。
それぞれの色を選んだ人の、皆がそれぞれの色にふさわしい。
パッと色分けされた人達がいて、妙に納得感心腑に落ちた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電灯のスイッチ

2018年02月16日 11時20分00秒 | 随筆或いはエッセイ
わが家の階段の折り返し踊り場の上には、当たり前の格好で小さな電灯があり、スイッチは階段の上下どちらからでも点灯消灯ができる仕掛けになっている。
いち日の終わりに階段を上がって寝にいく時に、安全のための電灯を私はわざわざ消して階段を上がる。
はじめから消えていた場合も、点けて確認することはせずに、そのまま上がっていく。
節約目的ではなく、せっかちだからでもなく、訓練でもなく、闇に向かって上がっていく小さなスリルが気に入っているから。
つまずくことはないけれど、もう一段ありそうで、から踏みすることはたまにある。
そうしてドアを開けると、部屋は真っ暗だが電灯スイッチを押さない。
何かがひそんでいて、機を窺っているかも知れないということをいつも想う。
それでも点けずに、暗闇のなか手探りで布団に入る。
瞬時身構えて待つ。
そうしていつだって何事もなく、いつの間にか眠り込んで朝を迎える。
誰かに言うほどのことではないけれど、文章練習にこんなことも書いてみる何もない暮らし。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀葉書で5%還元

2018年01月23日 00時17分37秒 | 随筆或いはエッセイ


一昨年は、年末師走に手術入院をしてクリスマスが済んでから退院した。
病院で年賀状を書いている入院患者もいたけれど、私はそういう気になれなくて書かなかった。
そうして正月を迎え、年賀状をくれた人にだけ返信のような形で書いた。
相手もそういう人なら、そこで年賀状が途絶えることになるわけで、少し数が少なくなった。
昨年末は100枚買い、不足分数枚買い足して、もらった年賀状からは末当切手シートが2枚当たった。
順当な当選確率だから勘定計算をすると5%余りの還元があったことになる。
年末ジャンボ・プチも末等だけだったが、こちらは9割預けてる気分でも引き出せる当ては無い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰帆島から

2018年01月11日 00時32分32秒 | 随筆或いはエッセイ








琵琶湖畔の大津市萱野浦に用ができて、さざなみ街道(湖岸道路)を走った。
約束の時間には早すぎたので目的地をそのまま過ぎ、時間つぶしのできる場所があればと進んだら、帰帆島に思い通りの休憩場所があった。
琵琶湖越しに大津の市街地方面を望めば、湖側が曲面になっている全室レイク・ビューの高層ホテル。
右側の二つのこぶは比叡山。
その右は雪をかぶった比良山系。
キャンピングカーのような簡易トイレを使わせてもらった。
朝が早かったので、し残し感があったし、できる所ではやっておこうという念のため志向。
残念ながらウォッシャブルではなかったけれど、臭いもなくトイレットペーパーもちゃんとあって小綺麗。
『きれいなトイレをありがとう』などと落書きしたくなる。
トイレに『帰帆島ー1』というシールが貼ってあったが、調べたら矢橋帰帆島というのが正式名らしい。
近江八景の一つ、矢橋の帰帆の地だが昔の面影はない人工島。
バーベキューをする場合の注意事項などを書いた看板があり、地面には小さく霜柱が起き上がっていた。
駐車場に車は数台停まっていたが、冬のウイークデーの早朝だから外で集う人などはいない。
いい時期の土日祝祭日だったなら場所取りが必要なほど混むのかも。
綺麗なトイレがあることだし、今時分に然るべき用意をして、ひっそりとバーベキューなんぞやってみたら良さそうだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番になる

2018年01月10日 06時09分39秒 | 随筆或いはエッセイ






並ぶのは、あまり好きではない。
並んでまで美味しいと評判の店の物を食べたいとは思わない。
誰かと連れだっていて、並ぼうと言われれば、嫌だとまでは言わない。
そんな感じでやってきたけれど、昨日は一番先頭になり、番号も一番を取った。
今回の免許更新は初めてゴールド免許になるので気の持ちようが違う。
前日は早めに寝床に入った。
それなのに、今まで経験したうちの最悪の不整脈で、なかなか眠れなかった。
眠っても苦しい夢ばかり見て、うつらうつら悶々と朝まで過ごした。
冷たい水でも飲んだら良いかもしれないと思いながらも、ウッとなって階段転がり落ちて生死の境をさまようのは困るなぁなどと思って4時過ぎまでグズグズしてから階下に降りた。
前回の更新時は視力検査でギリギリの感じがあったので、朝もパソコンはほどほどにして、テレビを観る時にかける弱い老眼鏡を持参して出かけた。
待ち時間には、偶然にも視力検査に不安を持っているという人が話しかけてきて、なんとなく意気投合の雰囲気で話をし続けたので1時間以上の待ち時間が楽々過ぎた。
そうして視力検査もギリギリクリアーしての優良運転者講習30分が眠くて困った。
片足ずついろんな力を入れたり、机の下に両手を隠して合掌に力を入れたり、指を絡めて組んで独り引っ張り合いをしたりして、道具を使わない静かなエクササイズで耐えた。
説明のあった無事故無違反の証というSD(safe driver)カードやワッペンを630円出して手に入れるかどうかは迷うことなく却下して、もちろん手続き中にさりげなく協力金をせびられるのも却下して帰った。
これで次の更新時は70歳以上となるので3年ごとの更新となり、高齢者講習も必要になる。
ラスト・チャンスで取得したゴールド免許を有効に使うべし・・と言ったって任意保険が安くなるだけか・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵の不思議

2017年11月16日 07時00分07秒 | 随筆或いはエッセイ


過日、新潟県長岡市の病院に行った時、廊下にあった油絵。
長岡花火(フェニックス)という題で、田中守という人の作。
批評批判するつもりもその能力もないけれど思ったことを一つ。
この画家には花火がこのように見えているのか・・と不思議に思った。
私の見る花火は、光の放射そのものに見えるのだけれど、この花火は押し花のように見える。
鉄橋が下にあり、暗闇があり、打ち上がっている花火の軌跡が描かれている。
写真画像ならばあり得ない情景だと思った。
時間的経過を一枚に重ね合わせた表現なのだろう。
花火の芯からの放射状タッチは油絵だからこその面白さ巧みさなのだろうとは思う。
火薬を爆発させた光なのだから、もっと極彩色というのか、光り輝いた表現になるべきところを、花火であり名もフェニックスでありながら、なんて暗い絵だろうと思ってしまった。
不思議な絵だ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪から逃げ帰る

2016年01月20日 05時35分35秒 | 随筆或いはエッセイ


ロシアからの引き揚げ船と岸壁の母で有名な舞鶴の南隣、綾部に用があって早朝から出かけた。
雪の心配があったので、はじめから長靴を履いていく。
東京都心の降雪ニュースでは、革靴が濡れて足の感覚がないなどとインタビューに答えている人もいたが、雪国生まれはそういう迂闊なことをしない。
スタッドレスタイヤを装着しているが風も強そうなので、危ないと思ったら即撤退のつもりで出かけた。
幸いなことに用も済んで、帰り始めた時に降り出した。
画面が汚れているように見えるのは、雪片の降り様が写り込んだため。
懐かしさに、ついつい興奮し、わざわざ車を止めて撮った。
そうこうしている内にかなりの降りかたをしてきたので、慌てて逃げ帰る。
阪神大震災直後の大雪時、スリップして雪の壁に突っ込んだ苦い経験があるのです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お別れ

2015年12月20日 04時46分49秒 | 随筆或いはエッセイ




亡くなった古い付き合いの人にお別れを告げるために、葬儀場へと向かう。
初めて降りた駅から初めての道を歩いていたら、相生橋があり武庫川を渡った。
広辞苑によれば、相生は『相老い』の意味にも掛けられるそうだ。
それなら、武庫川は『向こう側』にも掛けられるのかも知れない。
故人は掛詞(かけことば)が好きだった。
一般的に駄洒落などと軽んじる傾向があるけれど、掛詞は古くからある文学的修辞法。
私もオヤジギャグと言われようが鼻先で笑われようが、思いつきの洒落を毎日発している同好者で、それが彼との一番の共通点だった。
奥さんを2年前に亡くされて、その命日に自分も死ねたら良いと言っていたエピソードが式辞で披露された。
2週間前ホスピスに見舞ったとき、余命は年内と言われていると本人から聞いてはいたが、奥さんの命日が年末の28日で、あと2週間だったのに・・。
ホスピスのホールに貼られていた、彼の句が切ない。
見舞いのとき私は偶然にも、岐阜の友人から送られてきた富有柿を持参した。


署名を伏せるべきかどうか迷ったが、俳句や川柳では名だけを示してあることが多いので、それに倣った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石を産もうとしているのか、取りこもうとしているのか。

2015年05月08日 02時41分27秒 | 随筆或いはエッセイ




ケヤキが石を産もうとしている。『ケヤキから生まれた石太郎』なんていう物語ができそうだ。だいたいにして、石垣の縁にケヤキを植える(育てる)とか生えたものを放置するのが間違いだろうと思ってしまう。前に金網を透き抜けるかに見える木を取り上げたが、これは石を抱きこんでいる。組んだ当初は石垣として綺麗だったはずだが、ケヤキの根が育つにつれ歪んだのだろう。中越地震で崩れた部分もあったが、この部分は持ちこたえている。木が石垣の代わりとなっていくことを見越してのことだったのだろうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車の特等席

2015年05月04日 00時34分50秒 | 随筆或いはエッセイ






先頭車両の最前部の立ち位置が特等席ではないだろうか。先日ちょっと呑む会があり、各駅停車で15分足らずの距離の京都に向かった。JR奈良線は単線なんである。東山三十六峰の裾を走るので、斜面をVの字に削った場所があったりしてローカル線風な景色もある。

座ろうと思えば座れるほどの空き具合だったけれど、わざわざ座らせてくれと言うのは年寄りの特権行使みたいだからやらない。空いていた最前部に立っていく格好になり、思わず知らずスマホを取り出してパシャパシャやってしまった。緊急連絡用の携帯電話と思われるものが写っていて、充電器がついている。撮影にはどうも邪魔になる。特等席立ち見客のために善処をお願いしたい。

電車内でシャッター音なんか立てたから、『どいつだ!誰だ!』となったはず。何のためらいも恥じらいもなく撮って、スマホをしまう時に、『注目されてしまったかな』と思ったものの顔を赤らめる歳でもなく、周りの視線を確かめるでもなく特等席で、また線路前方の景色にかぶりつく。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電車の遅れ

2014年10月05日 11時18分35秒 | 随筆或いはエッセイ


ある約束のためにJRを利用したのだけれど、電光掲示板に文章が流れていて、架線にビニール袋が付着したので電車が遅れているということだった。何とまぁそんなことで・・と思ったけれど、さてどうやって取り除いたのだろうと興味が湧いた。

架線に流れる電気を止めるわけにもいかないだろうし、感電防止のゴム長靴ゴム手袋をして、竹竿で取り外したのだろうか? 駅員と鉄道管理をする人員は別だろうし、昔の言い方の工夫(こうふ)さんでも、電気架線関連は軌道工事とは別の職種だと思われる。

最近リモコンのヘリコプターが急激に進化している。ローターが4つとかそれ以上付いており正確な動きができるらしい。ピザの宅配だったかの計画があるとかないとか。

宅配便が発達する段階でバイク便や自転車便ができたように、小型リモコンヘリコプターに仕事をさせることが急激に増えていくのだろう。今回の『架線にビニール袋が付着した』ことだって、近い将来は小型リモコンヘリコプターの仕事になるのだろう。

林道深く入って人里離れた平地に、いつもリモコンヘリコプター愛好家が遊んでいる場所がある。昔からのヘリコプターのミニチュアサイズ。おもちゃと呼ぶには高額な代物で農薬散布などにも利用されるものもあるそうだ。

ところが、最近のおもちゃのヘリはそういう形ではなくて、しかも安価なのもあるらしいし、是非とも欲しいと思う。孫に買ってやる雰囲気で、買いに行きたいと目論んでいるのです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気に入り百均小物

2013年10月31日 12時27分48秒 | 随筆或いはエッセイ
シリーズにしてしまいそうだ。背景も色違いの座布団に変えてみた。こういう画像としては、目を引きさえすれば良いわけで、不快感を与えずに『何これ!』と思って頂いたら成功だと思いたい。

左は耳かき。かんざしの先の耳かきとは形が違うのを、お分かり頂けるだろうか。東京スカイツリーの先端がこんな形ではなかったか。全方向掻き取り機能の優れものなのである。材質は、磁石にくっついたから鉄。メッキをしてある。ロクロの挽き物と言っても、馴染みのない人には分からないだろうけれど、材料をモーターで回転させて削る製法の品だ。使用するにはスプーン型と違うので耳の深さだけを気にすれば良い。耳垢を取り終った後は、反対側を耳に入れると、火照った耳の中が冷や冷やと癒される。

昔は床屋で耳垢を取ってくれた。今は医療行為になるから禁じられているはずだ。子どもの頃に、床屋で新米の若い娘が耳垢取りをしてくれたことがあった。ものすごく下手で痛いのに、何も言い出せなくて最後まで堪えた。一生懸命に取ってくれたのだろうけれど、あの痛さは忘れられない。

右は小さな+-ドライバーだ。ねじになっていて三分割される。真ん中の部分の両端が+と-のドライバーになっている。メガネのねじがゆるんだのを締めなおす時や、小物の修理なんかに重宝する。私の得意な分解遊びにも使われる。何より、ねじ回し然としておらず、一見何か分からないところも気に入っている。

こういう精密らしげな製品は、ドイツ製のように思われるかも知れない。でも百円ショップで売られているのだから、アイディアは日本かも知れないけれど中国か韓国か東南アジアのどこかだろう。貴金属の小物を欲しいと思ったことはあまりないけれど、こういう小物を見つけると嬉しくて、即購入してしまう。いつまで経っても、宝物としてこんな物がひきだしに一杯。

追記:耳垢取りは医療行為ではないと分かった。ちょいと検索してみたら、2005年にそのような見解になったらしい。今では、女性の膝枕で耳垢を取ってくれるサービスがあるらしい。癒し系の商売なのか、いやらし系の付属サービスなのかは、寡聞にして浅学なので知らない。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする