鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

原始力発電所(その5)

2011年04月28日 02時26分28秒 | 詩・文芸・作品
この作品は今回で終る。物語の骨組みに作者の想いやあこがれを入れて部分的に肉付けした感じだけで、この物語は終ってしまった。後のことや細部の肉付けは読者の想像力にゆだねられている。この作品は警鐘をならしたくて書いたというものではなく、思いつきが自然に予言的内容となったのだろう。書きあげてから作者自身『我ながら恐ろしい』と想ったかも知れない。

大分前に書かれたものだが、今の福島第一原発の予断を許さない状況に重ね合わせてしまうところがあって不気味だ。私は宮崎駿の《風の谷のナウシカ》を再読し始めた。森さんの《原始力発電所》も恋や情愛や哀しみをいれてシナリオを書いたら、すばらしいアニメができるだろうなぁと想ったりするんである。

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 原始力発電所
       森 哲弥

 11・川魚漁師            
研究は別方向からもすすめられた。最大八六〇ボルトの電気鰻の起電力を二〇〇〇ボルト台まであげられないか。その取り組みにとって奥アマゾン切っての川魚漁師トッポピのこの地域の魚に対する卓越した知識と、その漁法、調理法、加工法、繁殖、養殖と魔術と見紛うばかりの技術にまじかに接することが出来たのは幸運であった。トッポピの脳内に体系的な生物学的知識はない。しかしそこには何千年来蓄積されてきた川魚漁師としての知恵が貯えられている。繁殖等の生物学的手技もあざやかなものである。
ジョージ儼哲は電気鰻に他の魚体から摘出した電気柱を移植して電荷を増やし起電力を高める実験に成功したが。トッポピに冷笑を浴びせられた。「そんなことをしたら旦那、魚は喜んて電気を出しませんぜ」トッポピのとった方法は魚卵を秘密の薬草の搾り汁に漬けるというものだった。その卵から育った電気鰻の起電力は二〇〇〇ボルトに達したのである。
トッポピはその薬草の群生地を容易にジョージ儼哲に明かさなかった。彼はなにかに怯えていた。「ひい祖父さんに叱られる」彼はそういった。川魚漁師は自然を変えることは許されない。掟を破ればいずれ自分に災難が降り掛かる。ジョージ儼哲はそれはアマゾンの川魚漁師に限ったことではないと思った。だがもう人類は舵を切ってしまった。早晩大鉄槌で一撃を食らうだろう。ただそれまでの時間生きていなければならない。ジョージ儼哲はトッポピを説得して秘密の薬草の群生地を教えてもらった。             
                     
 12.原子力から原始力へ      
ジョージ儼哲はこの高度に起電力を高めた発電魚を使っての発電および蓄電方法を全世界に普及させた。集中的な発電システムではないので大規模インフラは必要ない。大型水槽と付帯の蓄電ユニットがあれば十分だ。個別型、独立型発電所なのだ。一般家庭は個々の発電所と契約し専用容器に「電気液」を充填してもらえばいい。LPガスの要領で。電気鰻は遺伝子操作で全世界で棲息可能となった。しかし劣化防止のために、ときどきはアマゾンの野性の血を入れなければならない。
電気鰻の供給はアマゾンの川魚漁師トッポピが引き受けているが、「出し渋る」とすこぶる評判が悪い。「なんとかなりませんかね」ジョージ儼哲の所へ苦情が行く。トッポピはアマゾンの生態系を守れる範囲でしか出荷しないことを彼はしっている。ジョージ儼哲は言う。
「みなさん電気の使いすぎではありませんか。原子力発電所の時代は大爆発でおわりましたいまは自然が便りの原始力発電所の時代です」
                     
 エピローグ           
ウクライナの吟遊詩人が持っていた手帳の詩にあった《空飛ぶ卵》。数百年前、惨状から逃れた人々が乗っていたという。あるいはそうかもしれない。その子孫にあたる人々が今もどこかで生きているかも知れない。
また、こうも考えられないだろうか。太古、現生人類の黎明期、ある地域で人類の文明が著しく発展し、ついに《ドラゴンの心臓》を持つにいたった。そして或る日・・・
この時《空飛ぶ卵》に乗った子孫としてならジョージ儼哲も当てはまるかもしれない。いや彼のみでなくすべての人々にそれは言えるだろう。すべての人が何処かの、または何時の時代かの「悍ましき地層」と関わりがあるのではないかということが。           
                     
                     (おわり)
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原始力発電所(その4)

2011年04月27日 06時19分35秒 | 詩・文芸・作品
この作品は詩なのだろうか、と疑問が起きるかも知れない。森哲哉詩集と書かれた本なのだが、これを単品で読むとSF小説だ。詩も詩人も他人に認められることで初めて、詩と言われ詩人と呼ばれる。次の回で、11と12とエピローグを紹介してこの作品は終りとなる。SF小説にしては余りに短い。硬く難しい表現でコンパクトに書いてあるので読みづらいかも知れない。

作者本人に昨日(4/26)会った。「(自分の作品ながら)読み返してみると面白いゎ~」と嬉しそうだった。自信作なんである。この作品を元にしたアニメ映画ができたら良いのにとか、CGを駆使した実写風映画でもすごいだろうなぁなどと私も想うのだ。私は大阪日本橋の電器店で《スター・ウォーズ》がテレビに映ってるのに出くわした時、終いまで立ち尽くして見続けた。目を離せなかったのだ。おっと話が横道にそれた。森作品の精緻な構成から、ほんのり立ち上がる詩情も味わって欲しいのである。

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 原始力発電所
       森 哲弥

  8・ドラゴン暴発          
人知では禦しきれなかった《ドラゴンの心臓》を揺り動かすことになった。技術の二分が災厄の契機となった。原子力発電所建設と人工火山建設の同時進行は、数百年封印されてきた原子力技術の穏やかな目覚めを難しくしていた。建設工事はとどこおりなく進んではいたが悲劇は発電開始直後に起きた。建築物も人もそして人にかかわる歴史も何一つ残らず灰になった。何が原因だったのか、どのような状態だったのか、いまとなっては何一つとして知る手立てはないのだ。      
                     
  9・叡知壊滅            
人工火山による大エネルギー基地および基地建設のための電力需要を賄うための原子力発電所が中央シベリア高原に建設されたのは、その地が凍土草原で人跡が疎らであったことそして数百年前原子力発電所が建設されていたという「実績」があるからであった。その曾ての原子力発電所は、この地の一皮むいた地層を一瞬にして不毛の「悍ましき地層」に変えてしまう大爆発を起こしたのであった。そしてその時の残存放射能はまだ完全に除去されてはいない。《忌み》という感覚を持つ東洋人からはとうてい許容しがたい候補地ではあったのだが緊急性と合理性によって口を塞がれていたのである。このたびの爆発事故とかつてのそれには何の因果関係もない。しかし人々の心のなかに打ち消しがたい「符合」感じさせた。建設を陣頭指揮していた人間の心理にもまた符合の影を落としたであろうが全滅したいまとなっては確かめようがない。世界規模の大事業。それぞれの国家や連邦にはその維持に必要な最小限の科学者だけが残り、先進的、独創的な科学者はみなシベリアに集まっていたわけだから爆発事故は一瞬にして世界の科学の叡知を全滅させたのであった。 
                     
  10・科学者ひとり          
いや厳密に言えば全滅ではない。国際エネルギー緊急委員会の肥大化する計画に異を唱えてシベリアへ行かなかった日本人科学者、国際エネルギー緊急委員会の初期重要メンバー 、ジョージ儼哲こと儼哲譲治ひとりがアマゾンの奥地で円筒形の巨大淡水魚と戯れていた。生け簀からやや離れたところにジョージ儼哲が「草庵」といっている彼の研究所があった
  個体α 起電力六八〇ボルト      
  個体β 起電力八二〇ボルト      
  個体γ 起電力九〇五ボルト      
  ・                  
  ・                  
  個体φ 起電力二五七〇ボルト     
「あっ、ついに二〇〇〇ボルトを突破した」ジョージ儼哲はコンピュータ画面を見て思わず叫んだ。「ついにやった」ジョージ儼哲は国際エネルギー緊急委員会を離れたあとも、独自の研究を続けていた。生物電気現象、特に発電魚から電気を抽出する方法を研究していた。彼が着目したアマゾンの電気鰻は電気鯰、電気鰾を抑えて最高で八六〇ボルトの起電力をもっている。発電魚では体内に最小単位の電気板が積み重なって電気柱をなし電気柱が平行に並んで発電器官が出来上がっている。ジョージ儼哲はそれから動物性繊維で作った神経電導管を使って魚の体外に電気を抽出し電気を液化して蓄電するという方法を発明した。この様式をシステムとして使えばたとえば電気自動車は重いバッテリーを積むことなくサービススタンドで燃料タンクに「電気液」を注入してもらえばよくなるのだ。                     
                     (つづく)
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原始力発電所(その3)

2011年04月26日 00時38分43秒 | 詩・文芸・作品
宮崎駿の漫画作品《風の谷のナウシカ》に世界を焼き払った巨大な人工生命体というおぞましいモノが出てくる。巨神兵と名づけれられていて、アニメでは形のはっきりしないドロドロ生命体で火を吐くシーンがあった。核爆弾を想起させるけれど、物語だから人工生命体としていて喩に富んだ創作物になっている。

私は《風の谷のナウシカ》の漫画全巻を持っているが、これも自慢の一つとして良いかも知れない。連載している森哲弥作品《原始力発電所》は、風刺だけではない何かを示してくれるだろうと、読み始めて直ぐに思わせてくれるようだ。《原子力発電所》と《風の谷のナウシカ》の違いなどを考えてみたいと思っている。


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 原始力発電所
       森 哲弥
  5・人工火山            
結論的に言えば、ジョヴァンニ・グアルニエリの主張は、火山エネルギーの直接的利用という構想の部分だけが採択され、火山帯からはより遠くへ、そして一箇所に集中してより強靭な効率のよい基地を作るべく大幅に修正された。その裏事情については彼の来歴がかかわっていた。彼はイタリア生まれではあるが、若くしてアメリカにわたって地球物理学の研究をしていて、今日にいたるまで地震というものを経験したことがなかった。火山帯からそう離れていないところに人工火山を作るということは地震が起きたときに誘爆する危険性を否定できないということだった。もちろんジョヴァンニ・グアルニエリは火山性地震のあらゆる事態を想定した上での計画案を出したのであったが、地震多発地帯からきていた研究者たちは実体験からくるトラウマを、精緻ではあるが事実を知らない学者の理論で宥(なだ)めすかすことはできず、激しく反論したのである。当時、委員会の常任理事であったジョージ儼哲のみがこの修正案に反対した。彼は火山タービン作戦を、エネルギー計画の世界的根幹におくことに反対していた。「数あるうちの一つとして」考えれば設備は小規模ですむ。人工火山を小さくすればもとの火山の傍でも誘爆することはない。ジョヴァンニ・グアルニエリのもとの案で問題はない。地震国日本で育ったジョージ儼哲の主張には力があった。だがジョヴァンニ・グアルニエリにとっては自分のエネルギー構想が世間を席捲するということに有頂天になり自説の多少の修正などはもはや問題でなくなり、かえってジョージ儼哲を疎ましく思うようになっていた。あらゆる遺留工作を突っぱねて国際エネルギー緊急委員会をジョージ儼哲が辞職したのはこの時であった。

  6・月夜              
満月だった。河岸の密林は闇を抱いていた。長く太い円筒形の淡水魚は生け簀の中でピチピチと跳ね、月光に反射して川面を鋭い刃で切り裂いているようであった。時折、生け簀の傍で閃光が起こった。雷光ではなかった。雷光は天に発して地にいたる。しかしここでの閃光は生け簀の近辺から発して天に向かって放たれている。しかも一定時間の間隔をおいて光るのである。「南海プレス」のロバート・ケナリーは、あの日以来アマゾンの男が気掛かりで南米方面の取材の時はかならずアマゾンの生け簀まで飛ぶのであった。
                     
  7・計画の肥大化          
「火山タービン作戦」は世界中の資源、資金、人材、労役を注ぎ込んで始められた。第一次計画は中央シベリア高原から地中海-イラン火山帯まで、第二次計画はカムチャッカ半島の五火山、シュベルチ火山、クリュチェフスコイ火山、トルバチク火山、カリムスキ火山、ベズイミアニ火山まで掘り進んでシベリア高原に人工火山を作ろうというものだった。工事の大変さということで斥けたジム・ハワードの「強風吸収蟻の巣作戦」よりはるかに大がかりな計画になったにもかかわらず、勢いは押し止めようがない段階になっていた。工事は多大な電力を必要とした。世界各国に「節電令」が敷かれ、ただでさえ枯渇の危機にあったエネルギー事情は悪化の一途をたどり、その当面の対策として過去数百年間封印してきた原子力発電を再開しようという動きになり、シベリア高原に未曾有の大原子力発電所建設が始まった。       

                     (つづく)
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原始力発電所(その2)

2011年04月24日 00時23分33秒 | 詩・文芸・作品
現代詩の書き方はソネットというような形もあるけれど、たいてい自由に書かれる。句読点も付けたり付けなかったり、散文調のなかに行分け部分が嵌めこまれたりもする。ルビの振り方も法則性は作者の想いの内で意のまま成される。この《原始力発電所》も漢字にルビが振ってあることがある。このブログではルビが振れるのかどうか・・・わからないので、( )に入れることにした。作者が( )を使って表現している箇所もあり、紛らわしいかも知れないが勘弁してもらおう。ワード文書の提供を受けたので、タイピングミスは発生しないと思うけれど、触っている内に間違いが起きる可能性もある。注意しながら早め早めに進めたい。


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 原始力発電所
       森 哲弥

 2・悍ましき地層          
北半球、中央シベリア高地、ベルヤンスク山脈西方、森林凍土帯(森林は絶滅して久しい)そこを皮一枚掘り起こす。         
その地層は《a層》とよばれた。悍(おぞ)ましき地層(アパーリング・ストレイタム)のaをとってそう名付けられたのであった。a層には生物の痕跡はなかった。いや広い意味において有機質の痕跡さえ極度に乏しかった。それは北半球の極めて限局された地域、世界史的、地政学的に何ら意味のない地域であったために社会の耳目に触れることなく悠久の眠りのなかにあった。そこは高濃度の放射能で汚染されており除去作業も不徹底なまま放置されていた。唯一つこの悍ましき地層、そのうえに薄幕のように広がった地表の取り得といえばそれは宏漠たる無人の空間であった  
この地について残されている資料は乏しく、あっても放射能の影響だとか、残存微生物についてとか言うもので人間についての物はほとんどなかった。ただモスクワの酒場で飲んだくれて急に倒れこんだ自称「吟遊詩人」といっていたウクライナ人が粗末な布カバンから本人の物でなさそうな堅牢な装幀の手帳をたまたま居合わせた日本人に託した。吟遊詩人はその男に向かって「あなたは《空飛ぶ卵》にのった人の子孫だ」といってこときれた。その手帳に詩の一節が記されていた。この地についての人文的資料はこの詩の断片のみである。                  
  山川荒涼として            
  草木悉く枯れはて           
  空に鳥無く              
  野に獣無く              
  地中に虫無く             
  巨大な力生み出した異形の城塞は    
  爆裂の残骸と成り果てて        
  土に帰すことも許されず        
  いまだ禍根の粉塵を吐き続ける     
  人は羊の皮袋にわずかの水を溜め    
  自ら築いた石鉄の殻から出て      
  空飛ぶ卵に乗り込み          
  国を棄てて流浪した          
  時は火矢にのって飛び去り       
  暦日は彗星の周回に帰した       
                     
 3・エネルギー危機          
世界中の、殊に北半球諸国のエネルギー事情は逼迫(ひっぱく)していた。世界の国々は多くの曲折を経ながらも、すでに何百年も以前から原子力発電を人類の叡知では制禦しえない《ドラゴンの心臓》として認識し、技術を封印したのであった。河川という河川に水力タービンが回り、山岳の南面には悉く太陽電池パネルが張り巡らされ、もはや登山という営為もそれにまつわる文化も消滅しかけていた。また測量され尽くした風筋には群れたフラミンゴのように林立した風車が物憂(ものう)げに回っていた。だが尚もそれに倍するエネルギーが必要であった。化石燃料はすべての国で国家管理となり緊急事態に備えられた。ただ緊急事態ということではある国では軍事・防衛を、ある国では自然災害等民生用を意味した。化石燃料はすでに過去の物となりつつあった。    
平時に於いては、奇抜な構想は往々にして妄想と片付けられる。しかし常識人が描き得る空想と現実との幅がもはや距離を失ってしまった現況では、妄想に近しい空想も世界を救うものとして受け入れられる土壌が出来つつあった。                 
                     
 4・百家争鳴            
国際エネルギー緊急委員会が発足したのは丁度この時期であった。マッド・サイエンティスト、予言者、賢者の石を携えた占星術師、また研究室の隅に追いやられていた周辺科学者達が口を開きはじめた。         
世界中の人々が戒律にしたがって一年のうち四ヵ月間、物質面での制限生活を送れば、その慣習は物質文明への世界人類規模での反省を促すことになりエネルギー事情は劇的に改善されるであろうと唱えたのは断食の伝統のあるイスラムの予言者だった。アメリカとイタリアの科学者は、自然の驚異、暴風雨や火山爆発から逃れるすべでなく、そのはかり知れないエネルギーを、人間の側の物として取り込むことは出来ないか。について考えた。まずアメリカの気象学者ジム・ハワードは北米のハリケーン、インド洋のサイクロン、アジアのタイフーン、それから南仏のミストラルにいたるまで、世界の名だたる強風のエネルギー量を計算し、巨大でかつ強靭な風力タービンを頻回通過予定コースに無数に設置し地下に蓄電鉱脈を作ってエネルギーを貯めようと主張した。世間でそれは「強風吸収蟻の巣作戦」とよばれた。イタリアの、いやEUイタリア区の地球物理学者ジョヴァンニ・グアルニエリは火山に注目した。彼の考えは従来の温泉や、地熱利用の範囲を大きく越えて火山から離れた地点からボーリングしてその炎道に通じさせる、つまり小規模な火山を人工的に作り上げるというものだった。強力なフィルターを設置し、岩漿はもとの火山へ導き、人工火山の方へは噴出ガスを通す。まずその噴出力でガスタービンを回して発電するという方法である。さらにその高温のガスは送気管によって都市にくまなく送られ熱源として幅広く利用できるという点を強調していた。地球のマグマが無くならないかぎり永久機関のようにガスタービンは回り電力は供給され続けるのだ。これを世間では「火山タービン作戦」とよんでいた。         
「強風吸収蟻の巣作戦」は精緻な計算に基づく検討が繰り返されたが、その膨大な数のタービン設置、地下蓄電鉱脈の建設にセメント、鋼材等基礎建設材料の必要量が天文学的数値になるということで基礎設計の段階で見送られた。                  
より《現実的》と世界に迎えられたのは「火山タービン作戦」であった。ジョヴァンニ・グアルニエリは国際エネルギー緊急委員会のメンバーとして迎えられた。彼はその後も研究を続け、この作戦に付随していた難問つまり火山噴出ガスの無毒化の方法を発明した。小規模な段階では類似の技術は既にあった。それはEGR=イクスハウスト・ガス・リサーキュレーション(排気ガス再利用装置)といって排気ガスを再燃焼して有害成分を除去するというものであったが、有害成分が除去されたガスを利用するための物ではないという点で根本的な違いがあった。 
                     (つづく)
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原始力発電所(その1)

2011年04月23日 15時20分52秒 | 詩・文芸・作品
自慢したくても指折り数えて片手でさえ余るのだけれど、その中のひとつを紹介したい。友人に森哲弥という詩人がいる。彼は詩の方面の芥川賞と言われるH氏賞を『幻想思考理科室』という詩集で受賞した。その後の2008年10月に出版した詩集『ダーウィン十七世』に《原始力発電所》という作品がある。

原子力ではなく、原始力となっているところがキャッチコピー的で想像力をかき立てられる。情緒的直感から得た予言的着想を世に知らしめたいと願うのは、詩人の特性の一つなのだろう。彼に作品を紹介して欲しいと頼まれた。彼が自分自身のブログを作って載せたらいいのだが、今のところブログを作る閑がなく、実はブログ作りの手伝いを私が頼まれているのだが、雑事にかまけて出来ずにいる。とりあえずタイムリーな内に、このブログで紹介することにしたい。

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 原始力発電所
       森 哲弥
                     
 プロローグ           
サービススタンドのオーナーはアルバイトの青年にいった。「餌をやる時間だ。分量を間違えるなよ。ついでに鱗の艶と発電コンディションもチェックしておいてくれ」     
青年はスタンドの横の大きな建物のドアを開ける。一瞬プンと魚臭が鼻を突く。この臭気は若者に不評で求人難の原因になっている。世の中はしかしその対策に消極的だ。今のこの平穏な生活を続けるために魚臭くらいは我慢すべきだということになっている。一つの快適さ、一つの便利さが積もり積もって自然を食い尽くしてきたではないか。魚臭くらいは我慢しよう。これが今の世の分別だ。   
前の道路を緩やかに自動車が走っている。  
いまは研究生活を中断して市井の人として生きている元科学者の老オーナーは密かに思っている。「この臭いを消そうと世の中が動きだしたらもう人類に未来はない」                      
                     
 1・アマゾンの男          
生け簀(いけす)はアマゾンの支流の一つに作られていた。それは川の岸近くの流れを竹の簀で囲っただけの物であった。船外機つきの船がやってきて船上から川魚漁師がなにか叫んだ。生け簀の陰から白髪の男があらわれ応答した。川魚漁師は長くよく太った円筒形の魚体を手荒く生け簀の中へ投げ入れた。ひと時の波立ちはやがてしずまり、川魚漁師の船も夕日に染まった風景から消えた。         
IECE=インターナショナル・エマージェンシー・コミッティ・フォア・エナジー(国際エネルギー緊急委員会)主要メンバーの一人で電子物理学の権威、ジョージ儼哲(げんてつ)が急に委員会から消えて三年になる。世間が彼の存在を忘れかけた時アメリカの地方新聞社「南海プレス」がアマゾン紀行のためにチャーターした小型機から撮影した奥地の写真に人影が写っており、画像解析の結果ジョージ儼哲であることを突き止め、記事にして配信した。しかしIECEの機構の歯車の欠損は瞬く間に修復されていたので「南海プレス」の担当記者ロバート・ケナリーの期待したほどには注目されなかった。人々の関心はアマゾンのジョージ儼哲ではなく、いまどきアマゾン奥地にすんでいるめずらしい人なのであった  
                     (つづく)
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復興のモデルケースのことなど

2011年04月12日 11時23分03秒 | 随筆或いはエッセイ

東関東大震災被災者や救援全般に関わる人々にとって今はまだ目先の問題が多種多様に差し迫っていて復興のシナリオを論じる場合ではないかも知れない。私は何の専門化でもない部外者だけれど、どうなっていくのだろうかと度々想像する。

今回の津波では斜面を最高37.9mまで駆け上がったということだが、津波自体の高さの最大値はどれほどだったのか、それを防ぐには何mの防潮堤があったらよかったのか知りたい。1993年に発生した奥尻島地震を検索してみると、『奥尻島は震災発生から5年後の平成10年3月に「完全復興宣言」をいたしました』と奥尻島観光協会のH.P.にある。防潮堤や人口地盤や避難路を造り、奥尻島地震時と同程度の津波を想定して対策を施したそうだ。

太平洋沿岸の平地を高さ30mの堰堤(えんてい)で蔽いつくす事なんてできるのだろうか。近所の知人は早い時点で『万里の長城を築くしかない』と言っていた。もしそれが本当に計画されたら、ニューディール政策の規模を大幅に上回る長期大土木工事になる。そんな決断ができるだろうか。

個別地域的には計画が机上論からすでに実行へと動きだしているのかも知れない。『離れたくない』『残りたい』『元に戻したい』というインタビュー場面をテレビでよく目にする。願いのイメージは、地域の結びつきであったり、風景であったり、先祖伝来のものを守りたい、移転移動が考えられないなどなど多様だろうけれど、発想のコペルニクス的転換も必要になっているようだ。旧約聖書の出エジプト記のような、200年程前のアメリカ移民のような・・・。

部外者の空想なので、少し飛躍が過ぎるかも知れない。場所があるなら高台への集合移転は先例もあるのでスムーズに行われるだろうけれど、高台が十分になければ城塞都市のような村や町を造るしかないだろう。それとも流れ橋の逆発想で、メガロフロートの村なども検討されているのだろうか。

画像は私が持っているバール、くぎ抜きの類。梃(てこ)の原理を実際的に感じられる身近な道具だ。阪神大震災時、崩れた家の中に閉じ込められた人に、誰かがわずかな隙間からバールを差し入れたので、自力で脱出できたという記事を読んだことがある。それ以来バールは寝床近くに備えている。梃(てこ)は力を何倍にもすることができる。今現在かの地では、地道な努力とともに梃(てこ)の作用が必要とされている。何が梃(てこ)となり得るか、知恵の出し所だ。

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