なぜかイソヒヨドリ(磯鵯)のオスを昨日は3箇所で観た。メスもどこかしらで、ちらちら見ているはずだけれど、地味なので認識できないでいるのだろうと思われる。だいたい一羽で行動をしているシロハラ(白腹)やツグミ(鶫)と、同じくらいの大きさなので気にも留めないからだろう。イソヒヨドリの囀りと思われる鳴き声もよく聞くのだが、オスもメスも囀るようだし、真似の上手いヒヨドリ(鵯)がなんちゃってをやっているのかも知れず、実際に鳴いているのを見つけ、双眼鏡を使ってウォッチングしないことには確定とはいかない。昨日三羽観たのはそれぞれかなり離れた場所なので同じ個体ではないはず。とにかく今の時期、我が散歩コース内にはイソヒヨドリが相当数滞在中のようだ。オスの美しさは、メスへのアピールだけではなく、目立って外敵の目を自分に引きつける意味もあるのだろうか。ちょっとポーズをとる目立ちたがり屋に見えるのは、犠牲的英雄的行為に見えるけれど、あまり人を怖がらないキャラクターは馬鹿ビタキと言われたりするジョウビタキ(尉鶲)と同じか。巣材をくわえて雨樋の隙間に隠れるのも観られたので、しばらく注目したい。二枚目の画像は、ツバキにサクラの重なりが見られたので撮ってみたけれど焦点合わせがうまくいかなかった。
なぜかイソヒヨドリ(磯鵯)のオスを昨日は3箇所で観た。メスもどこかしらで、ちらちら見ているはずだけれど、地味なので認識できないでいるのだろうと思われる。だいたい一羽で行動をしているシロハラ(白腹)やツグミ(鶫)と、同じくらいの大きさなので気にも留めないからだろう。イソヒヨドリの囀りと思われる鳴き声もよく聞くのだが、オスもメスも囀るようだし、真似の上手いヒヨドリ(鵯)がなんちゃってをやっているのかも知れず、実際に鳴いているのを見つけ、双眼鏡を使ってウォッチングしないことには確定とはいかない。昨日三羽観たのはそれぞれかなり離れた場所なので同じ個体ではないはず。とにかく今の時期、我が散歩コース内にはイソヒヨドリが相当数滞在中のようだ。オスの美しさは、メスへのアピールだけではなく、目立って外敵の目を自分に引きつける意味もあるのだろうか。ちょっとポーズをとる目立ちたがり屋に見えるのは、犠牲的英雄的行為に見えるけれど、あまり人を怖がらないキャラクターは馬鹿ビタキと言われたりするジョウビタキ(尉鶲)と同じか。巣材をくわえて雨樋の隙間に隠れるのも観られたので、しばらく注目したい。二枚目の画像は、ツバキにサクラの重なりが見られたので撮ってみたけれど焦点合わせがうまくいかなかった。
ようやっと浮いているといった飛び方で来る鳥の姿を見た。
大きさからスズメ(雀)かと思ったけれど、雀らしい模様が全く現れていない雛が矢車草の上に乗っていた。
ばさっと葉っぱの上に不時着した姿のまま、見下ろす私から身を守るには、決して動かないことと心得ている。
撮っただけで離れたら、ちぴーちぴーというような鳴き方をしつつせわしなく椿の枝から枝へ飛び移っている鳥がいた。
口には蚊のたぐいの虫をくわえていたから雛の親鳥に違いなく、くわえながらも警戒鳴きを発することができるようだ。
あきらかに私を意識してちらちら見るので、2mほどの近さに自身をさらして囮(おとり)になっていると分かった。
ウグイス(鶯)かセンダイムシクイ(仙台虫喰)だろうと見当をつけたが、たぶん後者。
矢車草の上の雛はどうしたかと戻ってみたら、まだ同じ姿で目を瞠っている状態。
捕まえるつもりはなかったが手を近づけてみると、意外な力強さで飛び、椿のブッシュの中に突っ込んでいった。
これで親鳥とは無事に会えて虫ももらえるだろう。
うちの庭には、どこの家のものとも分からない猫がときどき侵入してくるのだから、巣立ちは2、3日早すぎた感じだ。
『センダイムシクイの雛』と『ウグイスの雛』を検索してみると、頭のぽわぽわした産毛の写っている雛がいて、ほぼセンダイムシクイだろうと思われる。
全体の色が薄い緑のはずだけれど陽の当たり加減によるのだろうし、とにかく模様が一切なくて上側全体一色なのも決め手だ。
散歩途中の山科川土手からカラスの行水する姿がみられた。
頭を水に突っ込んで、翼をバシャバシャとやっていた。
羽掻くという言葉を思い出したので、帰って検索してみたら、古典文学の恋の世界に迷い込んでしまう。
拾遺抄の紀貫之の和歌『ももはがき はねかくしぎも 我がごとく あしたわびしき かずはまさらじ』
百羽掻きというのは、鴫(しぎ)がせわしなく羽を掻く状態、羽繕い(?)をする姿のようだ。
何しろ、あなたに会えなくてわびしくてはがゆい、という和歌らしい。
こんな意訳をしてから思うに、歯痒いも羽かい〜(痒い)からきているのではないか。
それはともかくも、1羽が水浴びする間、もう1羽は『じゃ一緒に』ということはせずに、見張りをしているようだ。
youtubeでオオタカに捕まったカラスの動画を観たことがある。
傍若無人に見えることの多いカラスも警戒を怠らないんだなと感心した。
白米が無くなりかけたので、最後の備蓄10kgの玄米を精米しに行ってきた。
精米小屋に車を横付けした時点で、すぐにスズメ達が寄ってくる。
小屋内の床に少しだけ散らばっている米を掃きだしてやろうと箒を持つと、つつっと入り口周辺に集まってくる。
逃げ腰の七三の構えだが、飢えてる順位か、勇気の度合か、賢さ具合かで、こちらとの間合いが決まるのかも。
前回の精米時にそのようなことを観察して、次は玄米を少し撒いてやることにしたのを実行した。
スマホを用意してから、米を撒いてパシャパシャ撮った中の、ましな画像でこの程度。
羽の白い模様は翼が広がっている状態を上から見ると目玉模様に見えないこともない。
多少は天敵に対して脅かしの意味を持つのだろうか。
数えたら、前回同様だいたい30羽。
映ったスズメ達は、ここを主な餌場と決め込んだちゃっかりなやつらなのだろう。
雀が帰ってきてくれたという感慨がある。
一昨年までは、しめ飾りの稲穂は片付けるまでに、ほぼ一粒もないくらいに食われ尽くされた。
昨年はまったくそれがなく、下に籾殻が散らばらなかった。
一年前は師走の半ばに手術を受け、クリスマス後に退院しての年末年始だった。
宗教心は希薄だし、周りに干渉されることもない新興住宅地なので正月飾りなんて必要ないのだけれど、一応の見栄で飾ってきた。
雀が稲穂を啄んでくれることで一つの役目があるような気になっていただけに、しめ飾りに雀が手を出さないのは何かしら残念だった。
雀に見放されたような気分だった。
雀は稲作にとっては害鳥扱いかも知れないけれど、住宅街ではいつでも見ることのできる鳥であって欲しい。
やつらは何かしらの安全を示す指標になっているのではないか?
同じ姿勢のまま動かない鳥として有名なハシビロコウが二羽もいた。
空を飛ぶのだから、たいていの鳥はスマートであったり、カッコよかったりする。
天敵も限られているからか美しく飾り立てていたり、餌をとるための細部が特化して見事だったりするものが多い。
そういう鳥の一般的姿から逸脱しているのが、このハシビロコウ。
ゴリラかハシビロコウかというくらいの無骨さ。
飼われているゴリラを見ると胸がザワザワする見世物感を感じるけれど、ハシビロコウにも似たものを感じる。
目を開いていたら『なんと陰険な目つき』と獰猛さを感じ、目をつぶっていれば『すべてを諦めたのか』と哀れさを感じたりする。
生家の敷地の隅に野鳥の巣と卵を発見。
半日前に近くの田んぼからカルガモのつがいが飛び立つのを見ていたので、あのカモか・・と思った。
でも、卵が大きすぎる。
ニワトリを放し飼いしている家は近所にはない。
となれば、キジかヤマドリか。
でも敷地内で見ることは滅多にない。
子供時代の積雪が多い冬に、熟柿を食べにつがいでやって来たのを見たことがある。
巣が隣接して二つあるというのは、ありえない不思議。
5月に帰省した折には、畑仕事が忙しくて、草刈りはいい加減にざっくりとやっただけで、巣の場所には近づいても接近はしていない。
今回の6月は草刈りも程々そこそこやっておかなくてはと思い、それでも一気にはやらずにいろんなことをやる合間合間に少しづつやっていた。
そうして最終日の朝に見つけたのだ。
一回も大型野鳥の姿は見ていないし、発見した折に触ったが卵に温かみはなかった。
見つけた時点で草刈りは一切やめて、と言うより、その気が失せた。
早めに発見していれば、その場所には接近せず、草刈機も使わず、双眼鏡で観察するに留めたのに。
前回すでにどちらかの巣を温めていたに違いない。
私が何も気づかず草刈機で近づいたから、巣を放棄して卵は死んだのだろう。
そうしてほとぼりが冷め、2回目の巣作り産卵抱卵がなされたのに、今回また私としたことが、なんにも気づかずに近づいたのだ。
数時間でも抱卵放棄されたら卵は死ぬらしい。
今回発見した卵もおそらく死んでしまっただろう。
三度目の正直はあるかどうか。
三週間後にまた帰省するのだが、そっと見てない振りをしながら確認したい。
追記;キジの卵は白ではなくグレーがかってるようだ。
そうして、カルガモの卵はニワトリより一回り小さい程度に大きいらしい。
すると、こいつはどうもカルガモのようだ(7/3記)。
予定のない日曜日なので、いつもより遅く起きて雨戸をあけ、1坪あまりの庭を耕していたら鶯のさえずりが聞こえた。
このブログ・サービスは自分の一年前の記事をメールで知らせてくれる。
昨年は3月4日に近所の黄檗公園で初鳴きを聞いたとある。
うちの庭でクロッカスが咲いている記事も3月7日の記事になっていた。
今はまだ咲く気配がないのをみても、この春は何もかも遅い。
画像は数日前の朝、時間調整のために交通量の少ない脇道に車を停めたときのもの。
そこから見えるラブホテルを撮った。
ラブホの近所に停めて時間をつぶすなどということは、はばかるべしだけれど、遠慮もなくなってきてケイタイを向けたりする。
何だかラブホも見た目が変わってきた気がする。
以前は荘厳さを目指した安っぽさのように感じたけれど、近頃はゲームセンター感覚の手軽さ安さを売りにしているようだ。
一昨日に、瀬田川沿いの崖上から撮った。
今の時期、この道路は交通安全のお守りを求める立木観音参りが盛んで、土日祭日は混む。
撮った場所は、南郷洗堰を過ぎて川が狭まり岩場が急流を作っている場所。
昨年のオリンピックでメダルを取ったカヌーのスラローム競技の練習をしてるのを見る場所でもある。
このカモは、わざわざ何でこんな急流に浮いているのだろう。
ヒドリガモだと思い込んでいたが、検索して見ると、雑食で潜水が得意なホシハジロ。
岩場の急流であり、なおかつ深いという条件でしか採れない餌があるのだろうか。
力がみなぎっていて、こんなとこででも遊んでみようか、という様子に見えた。
こいつらは、穏やかな湖面や池で、首を隠してただ浮いているシーンばかり見てきたから意外。
望遠レンズを持っていないので私には無理だと思っていたツグミがスマホでも撮れた。立ち止まるくせのある鳥なので簡単そうに見えても、すぐにツツツッと歩いてしまう。撮れたか!・・と思って画像確認すると、景色の中にヤツが居なかったりする。
伏見稲荷大社の参道で売っている焼き鳥はツグミだと、かなり昔に聞いたことがある。これも昔のことだけれど、かすみ網猟が禁止された数年後に、映画館のニュース映像で渡ってくる途中のツグミが大量に密猟されている実写を観た。稲荷大社の焼き鳥はスズメになったという話しを聞いたような気もするけれど、私はどれも食べたことがない。今はどうなっているかも知らない。
このツグミは小さそうでいて、飛ぶ姿は力強くて速くて大きく見える。あの飛行力からして、胸や手羽元の筋肉は相当なものだと思われる。黙っている鳥だから『つぐみ』という命名らしいが、けっこうキョッキョッと鳴きながら飛ぶ姿を見る。この画像は散歩中にヒトの家の庭を垣根格子越しに撮った。赤い花の木はボケ、ツグミが奥でボケ気味。
滋賀県の水口から信楽を抜けて宇治に戻る途中で、こんな像が道路脇の休憩スペースにあった。どういういきさつからの設置であるか説明する銘板などがなかった。キジの絵はいくらでも見たことがあるけれどこういう像は初めてだ。
オスのキジが飛び立とうとしている姿か。雉の字は簡単なのに書く機会もなくて、書いたことがない。こうやってタイピングしながら印象に留めたので、今後は書けるかも知れない。
オスキジは目の周りの赤い肉腫とメタリックな緑色の美しい羽が最大特徴なので、モノクロの立体像を見せられても、どうもなぁ・・という感じがする。チョンマゲみたいなのは何だろうと思って調べたら、耳のように見える一対の耳羽という飾り羽だそうだ。
田舎育ちの私は子どもの頃に何度か雌雄一対のキジを見た。生家の庭にあった渋柿には冬でもたくさんの実が残り、雪が降る中をときどき食べにきていた。キジはほとんど番(つがい)で見る。キジは日本の国鳥だから、雄飛せんという姿ではなく、できれば仲睦まじい番を創って欲しかったと思う。鬼退治の家来になっている姿ではなかったのがせめても・・・か。
柔かい羽毛が一箇所にまとまってあり、その近くには翼の羽も尾羽も散乱していた。羽の生え替わりだったら集まってはいないので、毟られたはず。ここには写っていないが羽のはっきりした色模様などからシジュウカラのものだと思われる。
英語だと翼はwing、翼や尾羽の羽根はfeather、胸や腹の柔毛はdownとはっきり分かれるけれど、日本語だとどれも羽(はね)と言ってしまう場合が多い。その辺りは少し表現上、不便だ。
閑話休題、襲ったのはカラスだと思われる。ハヤブサだったら、こんな小さい鳥はあまり襲わないし、羽毟りは広々した所や崖のくぼみなどの見晴らしの良い所で行う。ハトをそうやってるのを目撃したことがあるし、野生の王国などで観た。
もうシジュウカラだと決め込んでいる。検索すると天敵はカラスとヘビ。ほとんどが卵から巣立つまでの間か、巣立った直後にやられるそうだ。この羽はまだ新しい。でも今は子育て巣立ちの時期ではない。怪我、病気、加齢などで弱っているところを襲われたか。長明の庵跡の巨石の小川縁でのこと。
よく散歩する川の土手下に団地があって、そこの防火水槽にサギが20羽以上集まっていた。背景の団地のベランダは水槽のすぐ近くのように見えるが、ズームを最大にして撮ったためだ。大きい夕日に人物がすっぽりシルエットになって入ってる画像なんかの、被写界深度というしくみを知って感動したことがある。
元に戻そう。ダイサギが撮れた。集団の内訳はアオサギが一羽、ダイサギが2羽、あとはコサギだった。たくさん撮ったのに、手振れ補正機能がない旧式デジカメなので、この画像が精一杯。作品的にとらえるのでなければ、コサギとダイサギの比較ができる良い画像になった。
ダイサギの首はまるっきりのS字だ。左向きだから逆S字。あごを乗せてる部分の2箇所の曲がりが不自然だ。これはこの手のサギを見るたびに思うこと。もっときれいなS字の個体はいないのか? 多分いないのだろう。何らかの理由がありそうだ。
コサギとダイサギの違いは大きさ、指の色、嘴の色、目の周りなんかで一目瞭然だ。チュウサギは夏鳥で今はいないんだとか。小さいダイサギもいれば、大きいチュウサギもいるから判別は難しいのだと、以前聞いたことがある。チュウサギとダイサギの並んだ画像をいつか是非撮りたい。
手振れ補正もあって、ズームもそこそこのデジカメは手に入れられるか。未投資は暗い。『う』と『お』を間違えると見通しが未投資になる。わたしの道楽に投資がなされる可能性は限りなく薄い。
元に戻そう。ダイサギが撮れた。集団の内訳はアオサギが一羽、ダイサギが2羽、あとはコサギだった。たくさん撮ったのに、手振れ補正機能がない旧式デジカメなので、この画像が精一杯。作品的にとらえるのでなければ、コサギとダイサギの比較ができる良い画像になった。
ダイサギの首はまるっきりのS字だ。左向きだから逆S字。あごを乗せてる部分の2箇所の曲がりが不自然だ。これはこの手のサギを見るたびに思うこと。もっときれいなS字の個体はいないのか? 多分いないのだろう。何らかの理由がありそうだ。
コサギとダイサギの違いは大きさ、指の色、嘴の色、目の周りなんかで一目瞭然だ。チュウサギは夏鳥で今はいないんだとか。小さいダイサギもいれば、大きいチュウサギもいるから判別は難しいのだと、以前聞いたことがある。チュウサギとダイサギの並んだ画像をいつか是非撮りたい。
手振れ補正もあって、ズームもそこそこのデジカメは手に入れられるか。未投資は暗い。『う』と『お』を間違えると見通しが未投資になる。わたしの道楽に投資がなされる可能性は限りなく薄い。
体重計にしばらく乗らなかったのだが、昨日恐る恐る乗ってみてショックを受けた。人生最高体重だった。この年末年始だけで増えたのではないと思うのだけれど、今月中に3kgは落としたい。
今日の新聞にアメリカの国家的課題だという肥満について書いてあった。『肥満は飢えの裏返し』だそうだ。きっと危機感がじわじわと頭をもたげてきたのだろう。私のからだが、何か大変な事態の起こりつつあるのを感じているのだ。
などと言ったら、世迷いごととそしられる。またいきなりの脱線で、蛇足から蛇を描いていくような書きようが私の特徴だ。とにかく歩き回って体重を減らそうと企てて歩き出した散歩の途中でコサギが撮れたというだけのこと。
このコサギは写り方もあろうけれど、ゆるんだ脚半を付けてるように見える。そして足の黄色がチュウサギやダイサギと違う一番の特徴だ。カラスを載せたから、次はサギを載せるのがいいだろうと思ったわけではないけれど、うまい具合にサギに遭遇した。詐欺でなくてよかった。
《追記》 キャハンの変換が『脚反』と出てしまったのをそのまま見過ごしてしまったので訂正した。でもコサギが脚半をまいてるように見える部分は脚ではなく足だ。鳥は爪先立ちをしているのだ。脚半部分は脚反なのだった。
今日の新聞にアメリカの国家的課題だという肥満について書いてあった。『肥満は飢えの裏返し』だそうだ。きっと危機感がじわじわと頭をもたげてきたのだろう。私のからだが、何か大変な事態の起こりつつあるのを感じているのだ。
などと言ったら、世迷いごととそしられる。またいきなりの脱線で、蛇足から蛇を描いていくような書きようが私の特徴だ。とにかく歩き回って体重を減らそうと企てて歩き出した散歩の途中でコサギが撮れたというだけのこと。
このコサギは写り方もあろうけれど、ゆるんだ脚半を付けてるように見える。そして足の黄色がチュウサギやダイサギと違う一番の特徴だ。カラスを載せたから、次はサギを載せるのがいいだろうと思ったわけではないけれど、うまい具合にサギに遭遇した。詐欺でなくてよかった。
《追記》 キャハンの変換が『脚反』と出てしまったのをそのまま見過ごしてしまったので訂正した。でもコサギが脚半をまいてるように見える部分は脚ではなく足だ。鳥は爪先立ちをしているのだ。脚半部分は脚反なのだった。
三箇日も過ぎて・・と、ここで『さんがにち』は三箇日と書くのだと初めて知った。今まで一回も文章に使ったことがない。会話の中ではよく使っていたのに、いざ書くとなるとわからない。読んだこともなかったのか・・実際に筆記具で書いたら、間違いなく三賀日という間違いをおかしていただろう。と、いきなりの寄り道脱線。
三箇日も過ぎて、蓄まるばかりの脂肪を燃焼させなくてはと思い立って散歩をした。途中のホームセンターや家電量販店を覗いたり、図書館や100円ショップに寄ったりするので、私の散歩は連続ではないけれど最低でも5kmは歩く。本日はほぼ連続歩行で7km位。時間にして1時間40分。万歩計は携帯しなかった。
画像はハシボソガラス。ゴミ袋から何かをさらってきたのか、川向こうでつついている最中だった。目ざとく賢いのでなかなか画像にはできないのだが、パンのような物をくわえ上げてこちらを窺った瞬間が撮れた。私のデジカメのズームではこれが限度だ。シャッターを押した直後に飛び立った。
ハシボソとハシブトの特徴は、くちばしの太さと額と鳴き声だそうだ。ハシは嘴(くちばし)だから名前通りだが、額の張っているのがハシブトで、くちばしと額と頭が流線型なのがハシボソ。声はハシブトが細いカーカーで、ハシボソが太いグァーグァーだ。大体は知っていたけれど、こうして画像を撮り、ブログを書く為に調べてはじめて知識となる。もう遅すぎると言うなかれ。いくつになっても知るのは楽しい。
三箇日も過ぎて、蓄まるばかりの脂肪を燃焼させなくてはと思い立って散歩をした。途中のホームセンターや家電量販店を覗いたり、図書館や100円ショップに寄ったりするので、私の散歩は連続ではないけれど最低でも5kmは歩く。本日はほぼ連続歩行で7km位。時間にして1時間40分。万歩計は携帯しなかった。
画像はハシボソガラス。ゴミ袋から何かをさらってきたのか、川向こうでつついている最中だった。目ざとく賢いのでなかなか画像にはできないのだが、パンのような物をくわえ上げてこちらを窺った瞬間が撮れた。私のデジカメのズームではこれが限度だ。シャッターを押した直後に飛び立った。
ハシボソとハシブトの特徴は、くちばしの太さと額と鳴き声だそうだ。ハシは嘴(くちばし)だから名前通りだが、額の張っているのがハシブトで、くちばしと額と頭が流線型なのがハシボソ。声はハシブトが細いカーカーで、ハシボソが太いグァーグァーだ。大体は知っていたけれど、こうして画像を撮り、ブログを書く為に調べてはじめて知識となる。もう遅すぎると言うなかれ。いくつになっても知るのは楽しい。