今しきりに柳田法務大臣の問責決議案がマスコミ・ネタになっているので書こうと思ったがタイトルに迷った。『国会の常識を述べた非常識な法務大臣』『まれにみる正直な大臣』『誰もが思っていることをついつい言ってしまった普通の人』『正直は罪だと法の精神のもとに反省した法のトップ』『ウケねらいの漫談は迂闊にもテレビカメラへのサービスか?』などなど思いつくのだが、ここまで書いてひょいと出てきた文句をタイトルにしてみた。
政権与党についたことがない古くからの政党関係者が言うならまだしも、自民党からそんな言葉が出てきた日にはそこらじゅうで失笑が起こったことだろう。今までに自民党が国会軽視を続けてきた伝統をそっくり真似て、あるいは引き継いでやっているに過ぎない。己の感覚に正直なのだが、独自性がないことを責めるべきなのだ。自分の頭で考えた独自性が必要なのだ。
独自性と言えば、数年前の南野元法務大臣を思い出す。元看護師だった人が法務大臣になって、国会答弁でおたおたする姿が印象深かった。用意してもらっている原稿を読むだけだったし、全くのお飾りでしかなかった。この人などは、今回の柳田法務大臣の言った二つのことを、何度も言い含められた口だろう。この人がするなら厚生労働大臣のポストだったはずだが法務大臣なんかをやらされ、任期末に一人の死刑執行の決裁サインをしたそうだ。
鳩山邦夫元法務大臣は〈ベルトコンベアーで自動的に死刑執行を~〉と言った人だ。〈法にもとづいて粛々と~〉などと言っていたのをテレビでよく観たが、あの人ほど〈粛々〉が似合わない人もない。法務大臣になるということは死刑決裁を官僚から迫られるということだ。死刑執行に積極的で任期中に13人もの執行サインをした彼は、法にのっとるということをシンプルに実行した。龍馬が好きだそうだけれど、想像力が乏しい目立ちたがりの面しか見えなかった。
と、このように書いていくと千葉景子元法務大臣の〈一石を投じる・・・〉という死刑執行立会いと、執行部屋のマスコミへの公開などについても書かなくてはならないけれど、それはまた後日。私は死刑廃止論者で、その第一の理由は、{被害者家族が加害者に対して許す機会を持つ可能性を奪う権利は国家にはない}。これは以前にも書いた。許す機会を持てないということは被害のままで救われないから。また後日。
政権与党についたことがない古くからの政党関係者が言うならまだしも、自民党からそんな言葉が出てきた日にはそこらじゅうで失笑が起こったことだろう。今までに自民党が国会軽視を続けてきた伝統をそっくり真似て、あるいは引き継いでやっているに過ぎない。己の感覚に正直なのだが、独自性がないことを責めるべきなのだ。自分の頭で考えた独自性が必要なのだ。
独自性と言えば、数年前の南野元法務大臣を思い出す。元看護師だった人が法務大臣になって、国会答弁でおたおたする姿が印象深かった。用意してもらっている原稿を読むだけだったし、全くのお飾りでしかなかった。この人などは、今回の柳田法務大臣の言った二つのことを、何度も言い含められた口だろう。この人がするなら厚生労働大臣のポストだったはずだが法務大臣なんかをやらされ、任期末に一人の死刑執行の決裁サインをしたそうだ。
鳩山邦夫元法務大臣は〈ベルトコンベアーで自動的に死刑執行を~〉と言った人だ。〈法にもとづいて粛々と~〉などと言っていたのをテレビでよく観たが、あの人ほど〈粛々〉が似合わない人もない。法務大臣になるということは死刑決裁を官僚から迫られるということだ。死刑執行に積極的で任期中に13人もの執行サインをした彼は、法にのっとるということをシンプルに実行した。龍馬が好きだそうだけれど、想像力が乏しい目立ちたがりの面しか見えなかった。
と、このように書いていくと千葉景子元法務大臣の〈一石を投じる・・・〉という死刑執行立会いと、執行部屋のマスコミへの公開などについても書かなくてはならないけれど、それはまた後日。私は死刑廃止論者で、その第一の理由は、{被害者家族が加害者に対して許す機会を持つ可能性を奪う権利は国家にはない}。これは以前にも書いた。許す機会を持てないということは被害のままで救われないから。また後日。