もう40年以上も前に新潟で国体があった。その年は東京オリンピックもあったから、本来の秋の国体が春に行われ、その春の大会が済んですぐに新潟地震があった。
橋げたがパタパタと落ちてノコギリの歯みたいになり、集合住宅が液状化現象でパタンと倒れた。石油コンビナートでは火災が起り何日間も燃え続けた。新潟県は夏の国体を返上したが、東京オリンピックは支障なく予定通り開催された。
チベットで暴動があり、聖火リレーが人垣リレーになり、四川大地震があっても北京オリンピックは間違いなく開催されるだろう。
中国批判をする評論家を近頃よくテレビで見る。彼らの言うのを聞いていると、まるで中国という名の一人の人間がいるような印象をうける。何もかもいっしょくたの擬人化をして国を語っている人が多い。おそらく彼らは偏見を助長しデマの発生源となっている。
中国国内の若者の間ではインターネットの呼びかけで大きな集団が発生し、大きな力となることがあるようだ。単純化した方向と力のベクトルを作り操るのはどこでもよく行われる政治手法だ。利用されているのだろう。
中国政府が日本政府と手を携え、韓国政府ともインド政府ともベトナム政府とも仲良くしてしまったら、アメリカはすごく困るらしい。アメリカが困ると言うのはそれこそ、変な言い方だ。アメリカの何が困るかと言えば、軍需産業だ。つまりはアメリカの経済にとって都合が悪いということらしい。
だから、なんとしてもアジアが一体となったりしないように、いろんなところで緊張感をつくり、反日感情を煽り、他の反何々運動を煽って、反米感情だけは際立たせないようにしたいらしい。そうでないと武器が売れないから。
戦争は軍需産業を存続させるために起こされる。すべて経済主導。イデオロギーだ、宗教戦争だ、民族紛争だといっても実は経済的必然から発生している。地道な平和活動がなぜぶち壊されるか・・・それは武器を売らなければならないからだ。
そういう風に考えると小さな個人レベルでも喧嘩ほどばかばかしいものはない。誰かが武器を売りつけたがっているんじゃないか? 武装させたがっているんじゃないか・・・と考えてしまうと、もう喧嘩を防ぐためなら何でもしようという気になる。
というわけで、オリンピックは大々的にお祭り騒ぎにしたらいい。国の威信だ面子だなどということはどうだっていいのだ。世界のアスリートが中国に集まることが必要なのだ。世界中からの見物客が中国全土からの見物客と交流して互いを見せ合ったらいい。
中国の人々と世界の人々とがお祭りで交流することが大事なのだ。マスコミも四川大地震での日本の支援隊の活動に対して「日本人に感謝している」なんていうコメントばかりをわざわざ何度も放映したりせずに、又逆に「日本人は嫌いだ」という中国人の若者のコメントをことさら流したりせずに、交流しているところを正直に流したらよい。
北京オリンピックの開会式が行われる時、中国政府関係者は威信を示せた面子を保てたと安堵するだろう。オリンピックビジネスの関係者は莫大な利益確保が計算通りで大喜びするだろう。そんなことはどうだっていい。我々はお祭りが待ち遠しいのだ。敢えて我々と言わせてもらおう。我々は北京オリンピックが待ち遠しい。北京開会式が待ち遠しいのである。
橋げたがパタパタと落ちてノコギリの歯みたいになり、集合住宅が液状化現象でパタンと倒れた。石油コンビナートでは火災が起り何日間も燃え続けた。新潟県は夏の国体を返上したが、東京オリンピックは支障なく予定通り開催された。
チベットで暴動があり、聖火リレーが人垣リレーになり、四川大地震があっても北京オリンピックは間違いなく開催されるだろう。
中国批判をする評論家を近頃よくテレビで見る。彼らの言うのを聞いていると、まるで中国という名の一人の人間がいるような印象をうける。何もかもいっしょくたの擬人化をして国を語っている人が多い。おそらく彼らは偏見を助長しデマの発生源となっている。
中国国内の若者の間ではインターネットの呼びかけで大きな集団が発生し、大きな力となることがあるようだ。単純化した方向と力のベクトルを作り操るのはどこでもよく行われる政治手法だ。利用されているのだろう。
中国政府が日本政府と手を携え、韓国政府ともインド政府ともベトナム政府とも仲良くしてしまったら、アメリカはすごく困るらしい。アメリカが困ると言うのはそれこそ、変な言い方だ。アメリカの何が困るかと言えば、軍需産業だ。つまりはアメリカの経済にとって都合が悪いということらしい。
だから、なんとしてもアジアが一体となったりしないように、いろんなところで緊張感をつくり、反日感情を煽り、他の反何々運動を煽って、反米感情だけは際立たせないようにしたいらしい。そうでないと武器が売れないから。
戦争は軍需産業を存続させるために起こされる。すべて経済主導。イデオロギーだ、宗教戦争だ、民族紛争だといっても実は経済的必然から発生している。地道な平和活動がなぜぶち壊されるか・・・それは武器を売らなければならないからだ。
そういう風に考えると小さな個人レベルでも喧嘩ほどばかばかしいものはない。誰かが武器を売りつけたがっているんじゃないか? 武装させたがっているんじゃないか・・・と考えてしまうと、もう喧嘩を防ぐためなら何でもしようという気になる。
というわけで、オリンピックは大々的にお祭り騒ぎにしたらいい。国の威信だ面子だなどということはどうだっていいのだ。世界のアスリートが中国に集まることが必要なのだ。世界中からの見物客が中国全土からの見物客と交流して互いを見せ合ったらいい。
中国の人々と世界の人々とがお祭りで交流することが大事なのだ。マスコミも四川大地震での日本の支援隊の活動に対して「日本人に感謝している」なんていうコメントばかりをわざわざ何度も放映したりせずに、又逆に「日本人は嫌いだ」という中国人の若者のコメントをことさら流したりせずに、交流しているところを正直に流したらよい。
北京オリンピックの開会式が行われる時、中国政府関係者は威信を示せた面子を保てたと安堵するだろう。オリンピックビジネスの関係者は莫大な利益確保が計算通りで大喜びするだろう。そんなことはどうだっていい。我々はお祭りが待ち遠しいのだ。敢えて我々と言わせてもらおう。我々は北京オリンピックが待ち遠しい。北京開会式が待ち遠しいのである。