鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

語尾の拡がり

2008年01月31日 00時30分06秒 | 言葉の世界
「そうなんですね」という変な相槌のことを前回書いたのですが、関西弁では「そうなんや」という相槌がそれに相当するようです。
何かを一生懸命説明しているときに、「そうなんや」と言われて、何だか小ばかにされたようで不愉快になったことがありました。
「そうなんですね」とは直接言われたことはないのですが、やはり小ばかにしてる感じがどうしてもします。
とは言え、「そうなんですね」と「そうなんや」はビミョウに違うような気がします。
と、こんなことを思うわたしは関西の産ではないので、そのせいか敏感だったり不分明だったりするわけです。
今回は思いつくまま結論をめざさずに書いてみましょう。
いままで付き合いのあった人たちを思い起こしてみると、一番変化があるのが語尾ですね。
コテコテの鹿児島人は、話の終りに「~だち」と言っていました。
この「~だち」は、ひとに話を聞かせてやろうというサービス精神のあらわれのように思われて、うわさ話が好きなんだなぁ鹿児島の人はと思っていました。
沖縄の人間は「~さぁ」と何かと言っていました。
本人がどういうニュアンスで使っているかを確かめもしないまま、沖縄の人間は詠嘆調が多いなぁと思っていたのでした。
独り言のような自分ひとりでいつも納得している感じ。
それから北海道の人は「~でないかい」と言うことが、やたら多かったような気がします。
北海道の人はいつも他人に軽く同意を求めているなぁと思っていたものでした。

で、近ごろのことですが、日常的にテレビでも仕事の付き合いでも聞くことのできる語尾で気になってるのがあります。
それは「~ですよ~」です。
若い女性の甘えた「よ~」ではなくて、ラップの『よう・・・よう・・・・何々よ~!」と歌う時の感じ。
または、『あんにょんはせよ~」の『よ~』の感じで言うあれですよ~。
これはもしかしたら、本当にラップの影響?
韓流ドラマの韓国語の語尾のまね?
これを、いち早く取り入れて携帯電話なんかでしゃべっている、中年おじさんを見かけたりすると、
『あ~この人は、すぐに郷に従うことのできる変わり身の早い人間だな』と少し警戒したりするんですよ~。

それにもうひとつ、違和感のある語尾があります。
「~です」「~ます」のこと。
「です」「ます」は一音の感じで切り離せい筈なのに「で」と「す」のあいだ、「ま」と「す」のあいだにほんのわずかだけれど、間(ま)を置く人が居るんですよね。
これを聞くと、何かタクラミがあるのか・・・この人は!?と思ってしまったりするのはわたしだけでしょうか?
「です」「ます」に間を置くのはたいてい、若い女性のような気がしますね。
これは本当に不思議です。どういう意図があって、そうなったんだろう。
大多数がそうだというわけじゃないから、これは誰かの真似なんだろうか?

このように語尾はどんどん変化しつつ無限に拡がっていくんでしょうか?
ゴビの砂漠のように・・・。
あ~これがオチ。
失礼しました。
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「そうなんですね」という相槌

2008年01月28日 22時39分37秒 | 言葉の世界
車を運転しながらラジオを聴いていたら、パーソナリティがゲストと話をしていた。
質問をされたゲストが何かを話すたびに、パーソナリティーが「そうなんですね」と相槌を打っている。
疑問を少し含みながら同意をもとめる「そうなんですね!?」ではないのだ。
「そうですか」「そうなんですか」ではないから、相槌としての意味をなさない筈なのに何なんだろう、この言葉の使い方は。
ゲストも初めて話す話に、「そうなんですね」なんて言われたら、「何ですか?それは!?」「同じ経験でもあるんですか?」「知ってたんですか?」などと聞き返したらいいのに、かまわず話は進んでいる。
聞いているこちらが、相手も見えないラジオなのに居心地の悪い違和感を感じて思わず他の放送局にかえてしまった。
どうも『ちゃんと聞いて理解している』ということを示すつもりで「そうなんですね」と言っているようだ。
優しく柔らかい応対をしようとしてそういうフレーズになっているのかも知れない。

『私は話が上手で、人当たりもいいし、声も良いからパーソナリティを任されてるんですよ』という自信に満ちた独り言が聞えてきそうだ。
それに対しては、
『そうなんですね』と言ってやろう。
その心は
言葉が遭難してる。
『遭難ですね!』
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春夏秋冬

2008年01月27日 13時43分06秒 | 言葉の世界
《ウチくる!?》というテレビ番組に出演した泉谷しげるが彼の一番有名な曲『春夏秋冬』を歌っていました。
最近のテレビは何かと字幕が出てくるので、少しくらい聞き逃しても目で追えるから都合が良い。
それで歌を聴きながら歌詞を見ていたら、覚えていたのと違う箇所があるのです。
『季節のない街に生れ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て』ときて、わたしは『愛のない人になる』と覚えていたのですが、じつは『愛のない人にあう』なのでした。
その後に続く歌詞はどうでもよくて、『今日ですべてが終わる 今日ですべてが終わるさ』だけで自分のなかでは完結していたのです。
たまに口ずさむこともあり、気に入ったフレーズだったのだ。
ところが間違いだった。
何だかとてもがっかりしました。
すごく損したような気分になりました。

『愛のない人にあう』じゃぁ駄目でしょう!ここは『愛のない人になる』じゃないと・・・
『あう』じゃ、単なる成り行きになってしまう。
『なる』だと成り行き以上の反語的表現も含んで希望が見えてくる。意志が見えてくる。いい詩だと思っていたのになぁ。とっても残念だ。

こういう記憶違いというのか、間違えて覚えたまま感動してたりする事はありますよね。
つい先日、《トリック トロワジェムパルティー 腸完全版 3》出演: 仲間由紀恵, 阿部寛というのをちらっと観ていたら、額に書かれた『兎おいしいかの山』を見て、書いた人間が『兎追いし』を『兎おいしい』と誤解したまま書いていたという事で謎解きがなされるというくだりがありました。
う~ん、これはかなり苦しい。
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飲酒運転による福岡市の3幼児死亡事故のこと。

2008年01月20日 11時59分25秒 | 個人的主張など
福岡市で幼児3人が死亡した飲酒運転車追突事故で、福岡地裁が業務上過失致死傷と道交法違反(ひき逃げ、酒気帯び運転)の罪で懲役7年6月とした元市職員今林大被告(23)について、福岡地検は18日、故意犯の危険運転致死傷罪を適用しなかった判決には事実誤認があるとして、福岡高裁に控訴する方針を固めた。週明けに控訴する。(時事通信)


福岡市役所の対応について。

懲戒解雇はベストの選択だろうか。
司法が判断を下す前に福岡市は懲戒解雇という罰を課した。
加害者を排除してしまっては市としての責任を果たしたことにならないのではないか。
住民感情や心情を無視しての話だが、加害者排除は被害者家族にも市にとっても多大な損失となるのではではないか。
加害者は市役所に必要な人として採用された筈だ。
採用担当者は被害者宅にお詫びに行ったのだろうか。
市の責任を痛感すると侘びたのだろうか。
加害者が刑期を終えた後、民事の賠償に関わる負債なり借金があるなら、そのためにも職に復帰させるべきだ。
市が職員として採用した責任を全うするにはこれしかない。
つまり、賠償を終えるまでは(定年退職金をもってしても足りないなら定年まで、更に嘱託でも働き、年金をも)本人自らが責任からの逃避離脱することのないようにフォローしてしっかり働いてもらうべきだ。
当然のことながら、反面教師として常に多くの人に見られ、自然に監視されるかたちになるだろうが、そのことによって日々償いができることになるだろう。
何といったって、市役所なんだから、それくらい大局に立って住民本位の仕事をすべきなんじゃないだろうか。

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相撲技の革命

2008年01月19日 19時09分55秒 | 勝手に応援
安美錦×琴欧州を観ていて『あれ?』と思いました。
立ち合いで琴欧州が右から張り手をやって、いわゆる張り差しをしようとしました。
それに対して安美錦がクッと頭を下げてよけたのです。
まんまと空振りさせたところでふところに入り込み、安美錦が寄り切りの楽勝というかたちでした。
相撲の張り手というのは最近の上位の力士は当たり前のように下位に対してやります。
腕を突き出す突っ張りやのど輪はいいけれど、横からの平手打ちはいただけない。
あれは卑怯な手だ。
今日も上位の力士が押し込まれて、大慌てで張り手を使い劣勢打開を図ってました。
子供のケンカみたいな張り手のやりあいも観た事があります。
それで思ったんだけど、今日の張り手をボクサーの様にかわした安美錦。
これは画期的なんじゃないでしょうか?
突っ込んでくるのを、左や右にかわるというのはあるし、突っ張りを下から手をあてがってかわすという技もあるけれど、首を動かすというのは初めてみました。
安美錦いいですねぇ。彼は相撲界に新風を起こすかも知れない。
一瞬の避け技、彼のかわし技は相撲界を救うかも知れない・・・かな?

ちなみにトビーは琴欧州のファンで、あの憂いを含んだ端正な顔とよさげな性格?が好きなのです。
だから敢えて琴欧州に言いたい。
姑息な張り差しなんかやめ、長身を生かして上手を取ったら片方でも両上手でも
振り回してしまうという豪快な相撲取りになって下さい。

ああ、そうして安美錦と琴欧州で次の時代を作って欲しい。
安琴時代!
が来たらいい。そうなって欲しい・・・。頑張れ安琴!

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ブログをつくることにしてみました。  

2008年01月19日 13時16分42秒 | テレビ・ネット・映画
あーもしもし ハロ~ アロ~?
もしもし?って、電話じゃないんだからさ。
そう、ブログ。
まず、自分をどう呼ぶかの一人称を決めなくては。
これからはじまるんだね。
わたくしでもオレでもI(アイ)ですんじゃう語圏じゃないから、私俺拙者わたいあたしに、僕おいら。
tonbimawarebaというIDにしましたから、トビーと称すことにしましょう。
『ハリーポッター』にドビーという愛すべきキャラクターがいましたね。
「ドビーめは・・・」と上目使いでしゃべる。
フィギュアスケートのミキティも真央ちゃんも、ついこの前まで「美姫は・・・」「真央は・・・」なんてインタビューでも言ってましたよね。
などと、ふと連想しましたが卑屈になるわけでも、舌足らずのぶりっこぶるつもりでもなく、ただ自分を客観的に見たらどうかと思っただけなんです。
一人称をどのように決めようと考えるだけで、誰かに話してるような文体になってきました。
たぶんブログは、誰にむかって語るかを想定することから始まるんですね。
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