鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ウチで咲いた花 ⑬ロウバイ

2013年02月26日 16時28分03秒 | ウチで咲いた花
よそよりもかなり遅くロウバイ(蝋梅)が咲いた。たった一輪しか咲かない。それは私が、ふとした気の迷いから木を折ったからだ。ウチの小さな庭には鳥の落としものから色んな木が生えるが、ろくなものはないので、こいつもか・・こいつもかと折った中にロウバイが混ざっていたのだ。

このロウバイは私が手にいれて植えたものではない。真冬の寒い時に咲く珍しい花木なので、ウチでも一応大事にされてきた。でも、どれがロウバイだったか、目を掛けてるものではないのでわからなくなっていた。そして冬になって、よそのロウバイがつぼみを付けはじめてから、ようやくウチのロウバイの無残な姿に気づいたのだ。そして私はおおいに狼狽してしまったという次第。

ウチは海抜100mの位置にある。100m上がるごとに0.6℃気温が下がるというのだったか。でも実感では、そんなものではない。ウチの周りが薄っすら雪で白くなっていても、少し下れば、何ともなっていない位の違いがある。というわけで、花は何だって遅い。

さて、一輪のロウバイだ。蝋のような花びらだから蝋梅。画像は沢山撮った中で一番それらしさが出ているのを選んだ。本当に変わった花。透き通りそうな花びらは生気を感じない。手に触れるのが躊躇われる風合いと言おうか気品と言おうか。来年は何輪咲くか。今度、根元からノコギリでばっさりというような事態を起こしたら狼狽では済まない。

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デフォルメ

2013年02月24日 01時02分46秒 | 随筆或いはエッセイ
この日本の地形は大胆にデフォルメされている。本州最南端が強調され、あとは位置が解ればいいのだ。何かを表現するというのは、こういうことなんだと、妙に納得した。

潮岬なんである。黒潮に突き出た岬か。私の田舎には塩野という地名がある。美咲という子が知り合いにいる。で、塩野美咲という人もどこかにはいるのだろうな・・などという連想は書く意味がない。

表現したい事の周辺事情は、シンプルにデフォルメする。周辺との関係性をはっきりさせながら核心を浮き上がらせることが肝要だ。脈絡もなく思いつきや連想したことを、言わずにいられない人はどこにでも居る。と、他人事のように書いてみる。

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旅先で何となく撮って思ったこと

2013年02月17日 17時09分52秒 | 詩・文芸・作品

連れ子同士で血のつながりはない兄妹が恋をして、片一方は肺を患っていて、行く末をはかなんだ挙句、口紅で辞世の句を岩に残し三段壁から身投げ心中を決行したのだそうだ。時は1950年6月10日。

わたくし、この2泊3日の旅から帰ったとたんに大風邪を引いて苦しんでいる。ようやくピークは過ぎたが、咳き込みがきつく、おそらく今までで最悪だったのではないかと思っている。肺が飛び出すのではないか・・肋骨が折れるのではないかというくらいの咳き込みだった。医者にも行かず、熱も測らず、薬も呑まないでじっと直るのを待つのが、わが家のやりかた。風邪を引くのは自己管理が甘いからだと、自己責任に徹するのである。子供の頃にスペイン風邪(インフルエンザ)を経験しているので、インフルエンザではないだろうという安心はあった。自分のことを書きすぎた。

この画像の定一さんと貞子さんは、病気がなければ、死ぬまではしなかったのではないかと思った。多分、肺結核だろう。特効薬のストレプトマイシンのことを調べてみると、ワックスマンにより1945年発明、日本での発売は1950年とある。もうちょっと待ってたら良かったのに。それにしたって、咳は辛いのである。叶わぬ恋に、実際上苦しい胸。同情しないではいられない。片方が投げやりになり、片方が同調するのはわからないではない。

『白濱の海は今日も荒れてゐる』と口紅で書いてあったのを発見されて、彫りこまれたとか。しかし何とも釈然としない一文だ。句と説明には書いてあったが二行にわたっている一行詩だと思う。それにしても謎だ。

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アングル ③送電線鉄塔(その2)

2013年02月09日 01時51分55秒 | アングル
先の送電線鉄塔を撮った山歩き散歩の時に、もうひとつ別の鉄塔下にも行った。建てる地形や、鉄塔間距離や、電線の張り角度や、電線の本数重量などで鉄塔の大きさや形が決まるのだろう。安全性経済性を踏まえた機能一辺倒のデザインが自動的に決まるのだろう。

ドリームキャッチャーを想起してくれた人がいた。そこでわたしはタイムトンネルに見立ててみた。あるはずのない、われらの生きているあいだには起こりえないタイムマシーンでのタイムトラベル。映画などのSF作品でイメージが提供されるファンタスティック・ワールドに想いを馳せた。

今日からの連休は、数十年ぶりの再会を約している人たちと泊りがけで逢う。インターネット無かりし時代の友人達。電話で声は聴いているのだが、テレビ電話やSkypeなんかで姿を見せ合ったりはしていない。逢った途端に、身体がスイーッと浮かんでしまうだろう。タイムトンネル、タイムトラベルを疑似体験することになる。地に降りるのは連休が終って雑事を再開してからだ。

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アングル ②スズカケノキ(阿修羅のような・・)

2013年02月04日 07時25分04秒 | アングル
こちら京都では街路樹に使われているのをよく見る。枝を四方八方に伸ばすので、毎年毎年枝払いをされる。木肌は白とうす緑のまだらで若々しくみずみずしいのに、切られまくってボコボコだ。力仕事の手作業をして生きてきた年寄りの手を連想させる。そういう私の手もこんな感じ。

送電線鉄塔を下から覗いたのに続いて、これも下から撮ろうとしたが、しゃがんで見る姿勢がつらいので、カメラを上向けにして適当にたくさん撮った内の一つがこれ。あの有名な三面六臂の阿修羅像を連想した。少年の身体をした美しい阿修羅像。でも、阿修羅なら、この樹のこの様子の方が、ずっとそれらしいのではないかと、想う。

子どもの頃から慣れ親しんでいるのに気になる樹だ。田舎の小学校の校庭の縁に植えられていた。鈴懸けの名の通り、秋には無数のボンボンをぶら下げる。ふわふわの毛で被われた玉の中には、堅い意思のような実がある。葉はカナダの国旗のサトウカエデ(メープルリーフ)に似ているがもっと大きい。茶色の枯葉が校庭に落ちて、がさがさと踏んだり掃いたりするのが楽しかった。

広い場所にのびのびと自然樹形に育ったスズカケノキを観てみたい。そんなふうに一本くらい自由に伸ばしてやりたいものだ。sukebo!誕生日おめでとう。

追記;スズカケノキは別名プラタナスだが、色々種類があるようだ。子どもの頃に見たのと、現在街路樹になっているのとは違うかも知れない。実もこの画像のものは上に書いた形状ではないかも知れない。

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