いじめていた教師が、「・・・かわいがってきただけに本当につらいです。・・」などとコメントを発表して、各局ニュース・コメンテーター一同から、あきれられている。
子どもと同レベル(執拗さの面ではそれ以上)のイジメと悪ふざけをしたことが、連日大きく取り上げられているのに、今ごろいとも簡単に謝罪コメントを発表して顰蹙を買っている。
周りに助言やチェックをする常識的大人がいないのだろうか。
学校側のカレーを中止するとか、家庭科室の改修という方針発表も失笑されるばかり。
こうなっては、学校側がどんな行動を起こしても何を言っても、世間とのズレが露呈するばかりだ。
義務教育の学校をこのような職場にしてしまった原因は何かと考えるに、教育委員会だ教育行政だ社会だということは簡単だけれど、全体にはびこる風潮としての見て見ぬ振りの事なかれ主義なのだろうと思う。
襲撃事件が起きれば、出入りを厳重にして、サスマタを用意したりする場当たり的な対処。
そうして教師には、教室での授業以外に、事なかれの過剰労働とスキルアップを求める体制ができているように思われる。
学校を閉鎖空間にして、何も問題は起きていないと見せかけることを第一に心掛けているようだ。
学校は、一気に解放して風通しをよくしなければならない。
教室に教師が一人(まれに二人)で生徒に対するということすら、本来は異常なことだ。
常に父兄やボランティアの大人が複数教室に居ることが望ましい。
教師は世間の目から監視されるのではなく、一般人と協力しあって義務教育を全うすることが大事だ。
義務教育は子供に義務があるのではなく、大人に義務を課しているのだから。
登下校時に旗を持って、小学生が交通事故に遭ったり、事件に巻き込まれないようにとボランティアをしているのはよく見るけれど、そのようにボランティアが教室内にも常に数人いることが必要なのではないか。
教師の一般常識からの逸脱を防ぐために、子供を見守るために、教育労働の過剰負担を減らすために。