新年を迎えるに当たって、しめ飾りを下げるのは大晦日の前日中でないといけないそうだ。ナイロン袋から取り出したら、裏表がわからなくなり、ネットで調べたら同じ疑問をぶつけるヒトがたくさんいて、ただちに解決した。
ワラは太い方を右にするのだと・・。ウラジロは、裏の白い方を表にするのだと・・。ところで、ウラジロはいつも必ずウラジオストックを思い出す。行ったことがあるわけではなくて、『ウラジオストック、1015ミリバール、晴れ』というような昔のラジオの声。
ダイダイのヘタに付いていた葉っぱが包装を外す時に、もげてしまった。製造出荷は、葉っぱがなければ不合格の筈。新年を迎える前にダイダイにケチが付いた。ダイダイは、採らなければ一本の木に前々年度の実も前年度の実も今年度の実も落果せずに一緒に生るという代々繁栄の縁起物。
仕方がないので金の水引に挟んでおいた。これではいけない。『最後の一葉』の話もあるから待ち針で留めておこう。稲穂が付いているが、これは毎年二三日しかもたない。スズメに見つかって食い散らかされる。しめ飾りは我が家においては、スズメへの捧げものだ。
六地蔵という地名と地区は少しややこしい。この謂れの銘板があるのは、JR六地蔵駅前。六地蔵関連は、宇治市と京都市伏見区に分断されている。
六地蔵の大元である大善寺と京阪電鉄六地蔵駅と六地蔵交差点とイズミヤ六地蔵店は京都市伏見区にある。
六地蔵地区とJR六地蔵駅と地下鉄六地蔵駅と六地蔵奈良町交差点と六地蔵町並交差点とイトーヨーカドー六地蔵店は宇治市にある。
私の住んでる地域は六地蔵地区ではないけれど、最寄り駅が六地蔵なので、よその人に『どこに住んでるんや?』と聞かれたら六地蔵と答える。それで大体オーケー。JR六地蔵駅が新設される前は、最寄りバス停からのバスはJR木幡駅の方に行っていたので、木幡と答えていたのだ。途中で左右に分かれるが、ウチからの距離は六地蔵も木幡もほとんど同距離の位置にある。
この木幡がまた古い地名でややこしい。この銘板にある木幡山というのは、伏見桃山という地名で呼ばれ、伏見桃山城のあった山のことで京都市伏見区にある。こちらに引っ越してきてから、公民館で見た資料に『木幡の関』というのがあったが、それは伏見区内だった。巨幡(こはた)という文字も資料で見た。
JRの木幡(こはた)駅も京阪電鉄の木幡(こわた)駅も許波多神社(木幡と五ヶ庄の2箇所に同名だが別の神社がある)も木幡小学校も木幡中学校も宇治市にある。私の住む地区は実は木幡地区で、木幡○○という地名がいくつかある。
以上は検索して調べたわけではなくて、地元なので縄張りを歩き回り、自然に見聞きして知ったことのまとめ。今回、検索して知ったことは木幡山が伏見桃山だったということ。京から宇治に抜ける道を木幡道と呼んだというのも知った。
何回か見たことのある文句で、ほとんどどれも3万円という金額に統一されているようだ。10万円では嘘くさくて脅しにならず、かといって1万円では、居直って『払ってやるよ!!』という人があらわれるかもしれず、3万円が効果的らしいということなのだろう。
『空きあります』に一瞬『ん?』と思った。『空き部屋』というように、下に何かが付いていないと宙ぶらりんな感じ。付けるなら『空き場所』だろうか、それとも『空きスペース』か。改めて見ると何を面白いと思って撮ったのか今ひとつ。一応、名前や電話番号を隠してみた。必要に迫られたほどではないけれど、こんなこともやれる事がようやく分った。
城陽市と京田辺市を結ぶ山城大橋が木津川に架かっている。検索してみると、奈島は現在の城陽市をいうようだ。渡しでは対岸の京田辺にある草内という地名での『草内の渡し場』というのにヒットしたが、『奈島の渡し』はでてこない。
草内にも用で行ったことがあるけれど、渡し場の碑はあるのかどうか。昭和の戦後に橋が架かるまで渡しがあったそうだ。画像の石碑は、これまたある用で訪ねた会社の私有地内に建っていた。草内から渡しを使って奈島に着いて、宇治田原や信楽へと向かう街道がある。というわけで信楽の狸。
歴史愛好家が各地の史跡を巡り、多くの文献を読んだり記録を参照したりしながら、紹介したり検証したりの文章を書いているけれど、そういう学究的文章を私は書けない。今はネットで検索して切り貼りしたらそれらしい文章はすぐ出来てしまうのだろうけれど、私は見たまま雑念書き散らし脈絡なく小出し連続をめざす。
散歩の途中、普通の民家にこんな看板を発見。私は中国を旅しているのではないのです。その証拠に見慣れた電力計ボックス。さらに下を見れば、信楽焼の狸。揚子江は、中国のあの大河と同じ字なのかが疑われて、帰宅してから調べたほど。
天理教に対し、私は何の偏見も持っていないつもりだし、この画像をこのように出しても問題にはならないだろうと思いたい。念のために天理教揚子江分教会を検索してみたら、ちゃんと宇治市に存在するとわかった。
揚子江という町名ではなさそうだし、なぜなのか気になるけれど飛び込んだり深入りしたりせず『こういうこともあるだろうさ』と受け入れたい。と言うより受け流す。
以前とりあげたロゼットの群落。花が枯れて種となり、それも飛び散って茎も完全に枯れたのに、ロゼットとして地べたに張り付いている葉っぱは、いつ枯れるのだろう。つぎつぎに葉が中心から開いて外側がその分だけ枯れるのか? 絨毯状のコケの上にロゼットは広がっているので踏まれてもほとんどダメージを受けないようだ。
下の画像はほぼ干上がっている川底。このブロックはH型というのだろうか? 上下T合わせ型とでもいうのだろうか? 川底にこういうブロックが使われているのを初めて見た。洋服の模様のテキスタルデザインになっていそうな気がする。機能一辺倒の必然的偶然デザインなのだろう。
画像を最近撮っていないので在庫が尽きかけている。こんなのを出してもどうかと思うのだけれど、自分が面白いと思ったことは正直にだしていこうと思う。下向き志向の地べた評論家を目指しているのだから・・・なんて。
我が家のマンリョウが実をつけている。マンリョウもセンリョウもナンテンもそこら中に芽をだすのは鳥が糞をしていくからだ。このマンリョウもせまい庭に芽を出したのを見つけて植木鉢に移植したら大きくなり実もつけるようになったもの。
手前の実はピンぼけで、奥の実と茎に焦点が合っている。そうして上に実がもげてしまった後の星の形が写っている。クリスマスツリーのトップスターということにしたい。
Mercianのペットボトル入り赤ワインを昨日のクリスマス・イヴと今日のクリスマスで1本飲み干した。正確に言えば、あと3センチほどで飲み干す。安売りで四百数十円。ラベルが剥がせるようになっていて、空容器はリサイクルへと示してある。リサイクルに出すのはもったいない。720mlの何かに利用できそうないい容器だ。
きょろきょろしたり、思いつきにはまりこんだりしながら、だらだらペースで気持ちよく歩いていてぶつかるのが、先細りに消えていく歩道の柵にくくりつけてあるこの看板。
左に見える川の対岸は広い遊歩道になっているので、自転車と歩行者の通行量は多い。それに対し、こちらは、バイパスのような抜け道のような位置にありながら、そうはならずに車は少ないし、散歩する人もほとんどいない。
川の土手としての改修や、道としての舗装や拡張と、合場川という支流が山科川に合流する地点としての橋が、それぞれ違う時期と思惑と予算によって、只今はこのような状態なのだろう。通行量が非常に少ないので、橋の拡幅や歩行者専用架橋は望み薄だ。
積雪凍結対策の塩化カルシウムも置いてあるけれど、使われることはあるのか。私ひとりだけが『なんじゃそれ~』と思う看板なのか。橋の欄干柱の一角が欠けている。歩道がないことの腹いせに何かをぶつけたのか。これも門柱というのかな・・などと思いつつ当てのない遊びはつづく。
いつの事だったか、若い頃にブロッコリーを知ってから、それまでは好きだったカリフラワーがマズくなり嫌いになってしまった。そういう劇的な変わり身が自分に起こった事としては、ほかに例がないような気がする。
桐島洋子が堂々たる未婚の母として、アメリカでの生活を書いたエッセイにブロッコリーのことが出ていて初めて知った野菜。検索してみると、アメリカではそうとう前から一般的で象徴的な食い物らしい。ブッシュは嫌いだったそうだ。
和名は芽花野菜、又は緑花野菜。昨年は色々と園芸のようなことをやってみたのに、今年は小さな庭を草ぼうぼうにして放ったらかしにしてしまった。画像のブロッコリーは、昨年の株をそのままにしていたら2年目なのに1本の茎だけが生き延びて先頃から花芽を出した。
そういう事はあるのかどうか調べている時に、1年生植物と2年生植物と多年生植物という分類を知る。多年生植物というのは一般的な木のこと。ウチのブロッコリーは木化してしまったのだろうか。気に掛けて、大事に育てて、木にしたい。そうなったら面白い。
近江八幡の琵琶湖方面ではない駅前ロータリーにこの看板と石碑が建っていた。この石碑を見て、この限定的場所の地中から近江商人がもこもこと湧いて出てくるアホな空想をしてしまった。
発祥の発の字がどうにも不審なので、casioの電子辞書で引いてみると、行書の別体ということらしい。でもよく見ると、そうとばかりは断定できにくくて、上は行書で下は草書のようだ。文字もそんなにも自由に書かれるものなのか?。
きっと高名な書道家に依頼したに違いないけれど、読めない漢字で石碑を建ててどうするの!?。前後の文字や意味からして発祥に違いないのだがと首を傾げつつ、書と無縁な者が何となく気になって調べたりして『ほー』と感心したら、思うツボなのでしょうか!?!。
パソコンへの入力が済んで、一息ついた時や、やるべき事がどうにも進めなくなって飽きた時にYouTubeを観るというのが私のいつもの事なのだが、いきなり昨日からYouTubeが観られなくなって困った。
画像は先頃の、はやぶさ2の打ち上げシーン映像をiphoneで撮ったもの・・・他人の撮ったものがテレビで映っているのを撮って出すというのは誠に不本意だけれど、何となくこんな気分なので『ま、いっか』ということで。
パソコンと悩む・・とするほどパソコンと寄り添い合ってはいない。パソコンに悩む・・とすべきかも知れないけれど、しょせん道具じゃないかという気がするのでそうはしたくない。それでパソコンをどうしてくれようかと悩むのです。
『flashが最新ではありません』とかで動画が動かない。クリック、クリックで進むのだけれどインストールが97%で止まってしまう。検索して理解できにくいまま試行錯誤すること不連続に数時間。ようやく先ほど解決した。
これでいけるのではないかという要素を一つずつやっていったらどれが悪かったか良かったかが分るだろうけれど、あれもこれもしてこれでどうや、とやるので因果関係は分らないまま結果オーライとなった。何だっていつだってこれでやってきたので、科学する基本がなっていない。
もしかしたら、あの小保方さんも基本は嫌いなのではないか? 基本を逸脱して独自の感覚でやらないと、200回以上作り上げたSTAP細胞にはたどりつかないのだろう。もう彼女は日本では何もできない。アメリカに渡り、指導してくれた師や新たな同志と研究を進めてノーベル賞をとって欲しいものだ。そして凱旋記者会見での最初の言葉はこれであるべし。『STAP細胞は・・ありました』
いつも歩く川の土手道を進んでいくと、なぜか道が低くなっていき、その分の堤防代わりにコンクリート塀がある部分にでくわした。右の土手斜面は川側で、高さは1m位。私が乗っている塀の上が堤防の最高地点という計算にはなってはいないのだろう。
左の道は1.8m位下にある。私は高所が平気なわけではないけれど、すこしばかりバランス感覚に自信があるので、いい歳をして平均台を渡るような小さいチャレンジが好きなのだ。前後に通行人もいないことだし、こどもが現れることもなさそうなので、何食わぬ顔で塀渡りをしていくと、こんな所があった。
川側の地面が高いから、当然ながら手前が左に傾いたのだろうと思われる。そうして、苦肉の繕いが成されているのだ。もうこれ以上ズレが大きくならない処置は埋設部分ではなく、セメントが塗られてる部分で施してあるのだろうと推測した。
地面探索者として、あるいはマンホール愛好者としては見逃せない代物だ。京都市山科区内で見つけたのだが、『新山科』という地名はないはず。すると『新』は『山科空気弁』全体にかかるのか!? 以前、入れ子構造のフタは見たことがあるけれど、このフタはそのように見せていても実は入れ子ではない。
たてに読むのではないだろうし・・と不思議に思い『新山科』を検索してみると、新山科浄水場というのにヒットした。その流れの水道管に付帯する空気弁がここにある・・ということだと思われる。山科区を歩く機会があったら、この場所以外にもあるのか探してみたい。
方向がわからなくなるほどの吹雪が北海道では予想されると、一昨日も昨日もニュースで注意を呼びかけていた。台風ではない低気圧も猛烈に発達することがあるんだなと・・ようやく理解した。
上の画像は1ヶ月ほど前に北海道を旅行中だった友人が撮ってメールに添付してくれたもの。低気圧の目に入って、風が止み何ごともなかったような静けさがあるとすれば、こんな雰囲気ではなかろうか!?
我が故郷新潟県の十日町では、積雪1m80cmだとNHKが全国に向けて言っていた。京都は宇治の我が家の裏手にある公園で撮ったのが下の画像。氷点下をかなり進んだと思われる氷の出来方だった。防火用バケツの水には1cmほどの氷が張った。寒い。 (上方画像提供:F.Rabbit氏)
看板の効果なく、ビンも缶もスプレー缶も骨箱までも捨てられている。一時的に置いたのかとも思われるが、墓地に人はいなかった。スプレー缶は何だろう。撮ったときは思わなかったが、画像を拡大してみると『サラテクト』。虫除けスプレーらしい。お供えだろうか・・・墓参りに持参して、使い切ってしまったのでポイか?
それにしても骨箱だ。お骨が入っていたわけだから大事に扱われて奇麗なままなのに、用が済んだら捨てられる。持って帰っても、どう扱ったらよいか分らないので置いていってしまったのか。石板に彫られた看板の文字が目に入らなかった訳はなかろう。レンタルにして葬儀屋さんが引き取るとか、リサイクルできないのだろうか。
寺男という言葉を思い出したけれど、階級社会的差別用語とされて、もう使われなくなったか。と言うよりそういう人を雇うようなことがなくなったか。昔は寺男が葬祭仏事の後始末など雑用万事引き受けていたのだろうけれど、今は墓地管理係という檀家の当番か外注か・・その人たちが、『またか~い、バチアタリが!』などとぼやきつつ分別してゴミに出すのだろう。